ホームメッセージ宗†教†誕†生 ――「教養」の来た道(33) 天野雅郎

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宗†教†誕†生 ――「教養」の来た道(33) 天野雅郎

唐突ではあるが、君は森有礼(正しく書けば、森有禮)の名を知っているであろうか? 知っていても、知っていなくても、どちらでも構わないが……と僕は相変わらず、いつもの「ノラリクラリ」を決め込んでいるけれども、そもそも君が、あるいは僕が、森有礼と個人的な知り合いであるはずはなく、仮に君が、彼の名を知っていても、それは単に君が無知(^^;)や無学(^^;)では、なかっただけの話であり、逆に君が、彼の名を知っていなくても、そのことで君の全人格が否定をされたり、君の無教養が非難をされたりする訳ではないから、それほど心配しなくても大丈夫である。ただし、そのことで君が自分の無知や無学を逆手(さかて)に取って、逆に「カッコイイ」大学生を装い、演じることなど、とうてい不可能であるから、そのことも充分に、弁(わきま)えておく必要はある。

なお、念のために付け加えておくと、森有礼は「もり・ありのり」と読む。――が、仮に君が、この名前の読み方を知らなかったのであれば、その際には「ユウレイ」と、そのまま漢音で音読しても構わない。日本人の名前の場合には、分からない時には漢字(すなわち、真名)を漢音で、あるいは呉音で、音読するのは失礼ではなく、むしろ敬意表現にすら、なりうるからである。もっとも、森有礼の場合には、この名前を呉音で音読すれば「ウライ」となってしまうし、姓名(森)の方は「シン」と音読せず、これを「もり」と訓読しておきながら、そのまま名前のみを音読するのも変な話ではあるけれども、このような「和漢混交」が日本文化の、言ってみれば奥義に他ならないから、俗に言う「チャンポン」も日本文化の極意と、澄顔(すましがお)でいるのが日本人には相応しい。

ところで、そのような森有礼が生まれたのは、私たちの国の年号で言えば、弘化4年のことであり、それは孝明天皇(例の、和宮親子内親王の兄)が在位をし、将軍職には徳川家慶(とくがわ・いえよし)が就いていた、江戸時代の末期のことであり、これを西暦に直せば、1847年のことになる。この時点から、彼は郷里の薩摩藩(現在の鹿児島県)で人生をスタートさせ、私たちの国の年号で言えば、明治22年、西暦に直せば、1889年、結果的には42歳に満たない、短い生涯を閉じることになる。と言うよりも、その生涯を無理矢理、暗殺犯(西野文太郎)の刃が断ち切ることになる。ちなみに、このような森有礼の、誕生と逝去の双方の時点を、今年(2013年)から遡れば、前者は166年前の、後者は124年前の、いずれにしても遠い、昔の出来事であったかのように受け取られがちである。

けれども、そのような昔(むかし)は語源的に、私たちの「回想の向かう方向」(むかう→むかし)を指し示し、その点において、対義語の「今(いま)と対立し、今とは断絶した状態にある時」(白川静『字訓』)を意味してはいても、そのことを通じて、むしろ今は逆説的(paradoxical=背理的)に、昔へと引き寄せられ、そこから再度、時が今に向かって流れ出す、源(みなもと=水の本)ともなりえていたに違いない。事実、例えば一人の人間の、いわゆる最長寿命(!)は120歳から130歳に達する、という説を真(ま)に受けるならば、彼(森有礼)の生涯も、現在の君や僕が生きている、この今(いま)と「間断」なく結ばれており、それは一人の人間を媒(なかだち)として、そのまま直にバトン・タッチをすることの出来る「時間」でもあったことが、見逃されてはならない。

あるいは、ちょうど森有礼が20歳を過ぎた頃、いわゆる「明治維新」を迎えたのと同様に、今度は君が「第三の開国」の時代の若者として、やれグローバリズム(globalism=地球主義?)だ、やれグローバル・スタンダード(global standard=国際標準?)だ、やれグローバル・ランゲージ(global language=世界言語……これって、そもそも「英語」のことなの?)だと、あれこれ七面倒(しちめんどう)臭い注文を付けられ、それが結果的に、君の能力を超えていたり、君の志向に反していたり、突き詰めるならば君の幸福に、そぐわなかったりするにも拘らず、君が毎日、馬車馬(失敬)のように「和大坂」を上り下りしているのだとしたら、その責任の一端は、ひょっとすると森有礼の、100年前の行動に起因しているのかも知れないのであって、他人事(ひとごと)では済まされない。

と言ったのは、君も多分、森有礼の名を聞いて、まっさきに初代の文部大臣(現在の文部科学大臣)を連想するように、彼は私たちの国の「公教育」の歴史において、文字通りの舵取(かじとり)を務めた人物であったから。子細に言えば、彼が入閣をするのは、明治18年(1885年)――これまた初代の内閣総理大臣であり、やがて等しく、暗殺者(安重根)の銃弾によって命を落とすことになる、伊藤博文の組閣の際であり、それから足掛け5年、実質的には3年余りを、彼は文部大臣の職に在り、すでに君に伝えた通り、明治22年(1889年)に現役の文部大臣のまま、凶刃に倒れることになる。が、この間に彼は「学校令」(帝国大学令、師範学校令、中学校令、小学校令、等々)を始めとして、これ以降の私たちの国の、近代的な教育理念と教育制度の、礎を築き上げることに奔走した次第。

このように書くと、当時、いかにも彼が相応の年齢に達し、まさしく中年(40代!)や老年(60代!)の、豊かな経験を踏まえた政治家(statesman? politician?)であったかのような印象を、君に与えてしまいそうであるけれども、はじめて彼が文部大臣になったのは、いまだ数えの39歳の時であり、満年齢に直せば、それは38歳の時に過ぎない。したがって、彼が数えの43歳で、満年齢に直せば、わずか41歳の若さで、いわゆる壮年(=働き盛り)の生涯を閉じることになったのも、もはや繰り返すには及ばない点であろう。言い換えれば、このようにして私たちの国の「公教育」は、はなはだ若い、それ自体が「若気の至り」や「若気の過ち」に、陥り兼ねない時点から始まった(と言うよりも、始まらざるをえなかった)のであり、それは独り、森有礼に限られた話ではない。

さて、ここまで僕が森有礼について、いろいろ書き綴(つづ)っておきながら、今回の表題……何とも怪しい、記号入りの表題(「宗†教†誕†生」)の中の「宗教」について、いっこうに触れてこなかった理由を、君は理解してくれているであろうか?その種明かしも兼ねて、ここで前々回に引き続き、ふたたび『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「宗教」の語を引くと、そこには二つの語釈が並べられており、その内の、第二の語釈の典拠として挙げられているのが、実は、森有礼の『航魯紀行』(1866年)であった。――と言った辺りで、そろそろ紙幅も尽きてきたので、この話題は次回まで持ち越さざるをえないが、その折には君が、以下の『日本国語大辞典』の第二の語釈を、熟読してくれていると有り難い。もちろん、この説明に納得するのか、しないのかは、君の自由である。

 (英 religion の訳語)人間生活の究極的な意味をあきらかにし、かつ人間の問題を究極的に解決しうると信じられた営みや体制を総称する文化現象をいい、その営みとの関連において、神観念や聖性を伴う場合が多い。アニミズム、トーテミズムなどの原始宗教や、呪物崇拝、多神教、およびキリスト教、仏教、イスラム教などの世界的な規模のものがあり、文化程度、民族などの違いによって、多種多様である。

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