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天才について ――「教養」の来た道(337) 天野雅郎

天才について、あれこれ考えていた時期がある。もちろん、この「天才」という語自体は漢語であって、とても古くから、中国でも日本でも、使われ続けて今に至る。したがって、例えば『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で調べても、そこには中国と日本の、それぞれ古代の用例が挙げられていて、さらに「天性の才能。生まれつき備わっている、普通の人とは〔、〕かけはなれた〔、〕すぐれた才能。また、その才能をもっている人」という語釈が添えられているから、この語釈に従えば、どうやら「天才」とは君や僕のごとき「普通の人」とは無縁の存在であるらしく、それを「普通の人」が取り上げて、あれこれ考えても仕様のない、特別な存在であることになりかねない。と言い出したら、新年早々、これで話は終わりになって、お仕舞いになってしまうのであれば、困った限り。

そこで、いささか昔話を始めると、この「天才」という語に僕自身が興味を持っていたのは、何と、もう今から30年以上も昔のことであって、その当時、僕はヴィルヘルム・ディルタイ(Wilhelm Dilthey)の翻訳の仕事をしていたのであるが......と書き継いでも、いっこうに君が哲学や、あるいは文学(と言うよりも、文芸学)の勉強をしたことがなく、この類の話が、よく分からないと気の毒であるから、これまた『日本国語大辞典』を引いて、この「ドイツの哲学者」の簡単な紹介を済ませておくことにしよう。――自然科学に対する精神科学固有の方法論を確立しようとして、生の直接体験に基礎を置く〔、〕生の哲学を主張。歴史的世界を体験・表現・了解の連関でとらえる解釈学を基礎づけた。主著『精神科学序説』『精神科学における歴史的世界の構成』『体験と創作』(1833-1911)

もっとも、これで結果的に簡単な、君に対する紹介(イントロダクション)になりえたのかどうかは、あやしい訳であるけれども、僕個人は大学生の頃から、それどころか、高校生の折にニーチェ(Fridrich Wilhelm Nietzshe,1844-1900)の本を、はじめて繙(ひもと=紐解)いた時から、この「生の哲学」の心酔者、と言おうか、信奉者であり、それ以降、僕の気に入る哲学者は何らかの意味で、広義の「生の哲学」に属する哲学者であった次第。これは洋の東西を問わないし、それどころか、はるかに時代を遡って、その射程は古代にも、中世にも及んでいる。であるから、少なくとも君には再度(三度?)この「生の哲学」の語釈を『日本国語大辞典』から抜き出して、君の一読に供する必要があるのではなかろうか、と僕は考えて、しつこく辞書を引き、辞書を引き、している所である。

 

(ドイツ語 Lebensphilosophie の訳語)理性を強調する合理主義や実証主義の哲学に反対して、「体験としての生」を直接的にとらえようとする一九世紀後半から二〇世紀にかけての哲学の一潮流。生きている生、つねに創造的な生の把握をめざして、非合理的・直観的な方法に訴える。たとえば、生の本質を権力への意志ととらえるニーチェの哲学、生の飛躍を直観によってとらえようとするベルクソン(Henri Bergson,1859-1941)の哲学のたぐい、そのほかディルタイ、ジンメル(Georg Simmel,1858-1918)など。

 

さて、いかがであろう。このようにして辿り直すと、きっと君も「生の哲学」が、ヨーロッパの近代哲学の主流である、合理主義(rationalism)や実証主義(positivism)の対極に位置するものであることを、大雑把に感じ取ってくれているに違いない。そして、その結果、残念ながら「生の哲学」は、ヨーロッパの近代哲学においては傍流に甘んじざるをえなかったけれども、むしろ、その傍流の中からこそ、ヨーロッパの現代哲学は流れ出していることも。おまけに、それは当時、世界全体がヨーロッパ化をしている、その最中(さなか)の話であったから、このような「西洋化」や「近代化」や、要は昨今、君や僕が「国際化」とか「グローバル化」とか、このような名で呼んでいる動きは、もう今から100年も200年もの昔に、この地球の裏側の、君や僕の国にも波及していた訳である。

その点、このような「生の哲学」(philosophy of life)は確かに、それがヨーロッパの「一九世紀後半から二〇世紀にかけての哲学の一潮流」として、その流れに沿って、姿を見せたものではあっても、それは同時にヨーロッパ以外の、非ヨーロッパ的な世界の哲学とも通じ合っていたのであって、そこに例えば、ちょうど1870年に生まれた西田幾多郎(にしだ・きたろう)や、あるいは1880年代の最末年に生まれた、九鬼周造(くき・しゅうぞう)や和辻哲郎(わつじ・てつろう)や、ひいては19世紀の終わりに生まれた、三木清(みき・きよし)の名を連ねるのは容易であったろう。が、この場で僕が君に伝えたいのは、このような正真正銘の哲学者ではなく、むしろ昨年来、僕が君に話を聴いて貰(もら)っている、あの小説家の、泉鏡花(いずみ・きょうか)のエピソードなのである。

と、このように言い出したら、まず彼が西田幾多郎とは、わずかに3歳違いであることや、ついでに郷里も同じ金沢であることを、君が気付いてくれているのであれば、とても僕は嬉しいのであるが、それと並んで、このような「生の哲学」の特徴として、その主要な哲学者たちが揃って、みずからの哲学を文学の様式で表現していたことは、やはり忘れられてはならないであろう。すなわち、それは先刻、名前を挙げた、ニーチェであってもベルクソンであっても、はたまたディルタイであってもジンメルであっても、彼らの哲学様式は多分に文学表現と重なり合い、通じ合うものであったし、この点は西田幾多郎や九鬼周造や、和辻哲郎や三木清の方が、より身近で、分かりやすいのかも知れないね。なにしろ、彼らの随筆集を君や僕は、文庫本で容易に手に取ることが出来るのであるから。

このような事態を、ひょっとすると君は、それほど意外に感じないのかも知れないけれども、世の中の多くの哲学者と、称したり、称されたりしている人たちが、あたりまえに随筆を書いたり、ましてや詩を書いたり、小説を書いたりしている訳では、さらさら無いのであって、ことによると、このような文学表現の資質や能力を著しく欠いているのが、ごく普通の哲学者であったり、しかねないのである。でも、そもそも哲学が古代のギリシアで、いわゆる「フィロソフィア」(philosophia→philosophy)という名を冠せられて以来、哲学の主要な様式は文学表現であった訳であり、それが韻文の形を取っていても、また散文の形を取っていても、いつも哲学は文学の領域の中に、さまざまな表現の可能性を探し求めてきたのであった。おそらく、その伝統の潰える、19世紀に至るまでの間は。

と言うことは、逆に「生の哲学」を哲学の歴史の全体に即して振り返り、これを位置づけ直せば、それは至って正当な、本来の哲学でもありえた訳であり、言ってみれば、どのようにして哲学と文学との間に橋を架(か)け、これを架橋することは叶うのか、それを真摯に、繊細に問い掛けるのが哲学者の、哲学者たる真骨頂なのである。そして、そのような問い掛けを通じて、古代から現代に至るまで、えんえん俎上(ソジョウ)に、俎(まないた=真魚板)の上に載せられているのが、実は今回、僕が君に話をする予定で、話を始めながら、ほとんど調理の準備だけで終わっている、あの「天才」なのである。......と言う辺りで、まったく紙幅が尽きてしまったので、また次回。いつもながら、このようにして律義に、きっちり字数を守るのが、この数年来の僕の習慣であるから、ご容赦を。

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