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嗜(たしなみ)について ――「教養」の来た道(345) 天野雅郎

前回、前々回と続けて、いわゆる「たしなみ」という語をタイトルに掲げ、僕は君に話を聴いて貰(もら)っているけれども、その際の「たしなみ」という語を漢字で書くと、このようにして「口」と「老」と「日」とを組み合わせて、そこから「嗜」(漢音→シ、呉音→ジ)という文字が姿を見せることを、おそらく君は知っていたであろう。でも、ややこしいのは最初の「口」と最後の「日」とは、どうやら同じ「口」を意味しており、この点を例えば、白川静(しらかわ・しずか)の『字統』(1984年、平凡社)で補っておくと、次のような説明になるらしい。――「声符は耆〔し〕。耆は六十の老境をいう。耆欲(しよく)のときは嗜(し)の音でよむ。すなわち耆・嗜は声義同じ。耆は〔、〕おそらく老と旨との会意字で、老いて旨(うま)しとするもの。それに口をそえて嗜という」。

ついでに、その「旨」(し)についても引いておくと、こちらは「氏(し)と曰(器中に〔、〕もののある形)とに従う。氏は肉を切る小刀。氏族共餐(きょうさん)のときに儀礼的に用いるものであるから、氏族の字にも用いる。曰は祝禱〔しゅくじゅ〕を収める器の曰(えつ)と字形が異なる。旨は氏をもって器中の肉を食する意である。〔中略〕本来は旨肉をいう字であるが、酒にも旨酒という。同形に釈するものに詣(けい)・稽(けい)の従うところの旨(けい)があるが、その字は祝禱して祈り〔、〕神を降す字で、祝禱の器である曰(えつ)の上に、彷彿(ほうふつ)として霊の詣(いた)る意である。旨肉の旨は脂(し)・嗜(し)の従うところで、この両者は字源が異なり、その声義を異にする字である」。......な~んて所で、もう君はアップアップで、息切れしているかな。

漢字は、むつかしい。ただし、だからこそ漢字は、おもしろい。そのことが子供の時分に、ごく素朴に納得できるか、さもなくば、大人になった折に幸運に、そのことが身に染みて、よく分かる機会(チャンス)に出会(でくわ)さないと、きっと君は遺憾ながら、いつまで経っても漢字の難(むつか)しさに憤(むつか→むずか)るばかりで、そこから『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の語釈にあるように、たちまち「①機嫌が悪くなる。ぶつぶつと小言をいう。腹を立てる。むつける」ようになったり、あるいは「②幼児が機嫌を悪くして泣く。すねる」という態度を漢字に対して取ったり、するのが落ちなのではなかろうか。まあ、それが裏を返せば、まさしく「たしなむ」という語の語義でもあって、だから『日本国語大辞典』にも、この語が次のように説明されているのである。

 

    1. 常日ごろから〔、〕ある芸事に親しんでいて、ある程度の水準にまで達している。

    2. 何かに備えて、ある品物を用意しておく。

    3. 気を配って行なう。

    4. きちんとした身なりをする。

    5. 嗜好品などを適度に口にする。

 

さて、この程度で下拵(したごしら)えは充分であろう。後は、その食材を君が自分で調理して、君の口に運べば、お仕舞い。――と、このように言いたい所では、あるけれども、その行為自体が中々、年季の要る作業でもあって、だからこそ先刻来、述べているごとく、もともと「たしなみ」という漢字には「老」の文字が組み合わされていたに違いないのである。が、それよりも更に、もっと厄介(ヤッカイ)なのは、その際の「老」が安易に「六十の老境」を指し示していて、言ってみれば、誰でも「六十の老境」に達しさえすれば、それで「たしなみ」を手に入れることが叶う訳では、さらさら無く、むしろ「六十の老境」に至っても一向に、この「たしなみ」を身に付けることが出来ないことなど、ごく普通の、ありふれた経験であり、それこそ日常茶飯事であったのではなかろうか。

と言い出すと、それが君や僕の生きている、この現代(modern times=近代)という時代に固有の、特有の経験であるのか、それとも人間(human being)は多かれ少なかれ、いつも「たしなみ」を欠いた、これに手の届かない状態を繰り返してきたのか、その判断と判別には、やはり戸惑(とまど)わざるをえない点が残されている。とは言っても、もともと人間が長い間、いわゆる「人間五十年」(『敦盛』)の世を生きてきたのであり、したがって、そこに古稀(「人生七十、古来稀なり」)という言い回しを、あの杜甫(ト・ホ)も宛がったのであれば、その中間点である「六十の老境」が「還暦」という名で呼ばれようとも、あるいは「耳順」(ジジュン→『論語』)や「杖郷」(ジョウキョウ→『礼記』)という名で呼ばれようとも、それは元来、限られた人間の経験でもあったはず。

と言ったのは、昨年から今年に掛けて、僕は半期の間、和歌山大学の「南紀熊野サテライト」で、その名も「生老病死の哲学」という授業を担当し、昨年の10月から今年の2月まで、ほぼ月に1度のペースで、この「サテライト」(satellite=衛星)通いを続けたのであるが、今回のテーマには和歌山が生んだ、もっとも有名な小説家の一人である、有吉佐和子(ありよし・さわこ)を選び、その代表作の講読を試みたり、それに合わせて、それぞれの映画を鑑賞し直したりした次第。と書き継ぐと、すでに君には了解済みであろうが、それは和歌山を舞台とした『紀ノ川』(昭和三十四年→1959年)と『華岡青洲の妻』(昭和四十一年→1966年)と、それから今回は、とりわけ僕自身が興味を持って、取り上げることを熱望した、あの『恍惚の人』(昭和四十七年→1972年)であった訳である。

有吉佐和子に関しては、このブログで以前、僕は君に幾つかの雑文を書き送っていて、それは振り返ると、ちょうど今から2年ばかり前のことになる。念のため、順次、拾い上げておくと、それは第225回(『紀ノ川』を読み直す)と第226回(有吉佐和子論)と第227回(有吉佐和子論・拾遺)と第228回(映画『紀ノ川』鑑賞)とである。正直な話、どれを読み返しても不満な点が多い。理由は簡単で、この当時、僕は久し振りに有吉佐和子の『紀ノ川』のページを捲(めく)り直し、いろいろ感じる所があったのであるが、それを本当は、さらに別の作品と結び付けたり、繋ぎ合わせたりしながら、論じなくてはならないにも拘らず、ただ『紀ノ川』ばかりに僕の興味が偏(かたよ=片寄)ってしまい、はなはだ中途半端な内容に留まらざるをえなかったのが、おそらく最大の要因であった。

裏を返せば、その中途半端な状態を今回、僕は埋(うず)めてみたい気を起こし、上記の授業を引き受けたのであり、さらに次年度(要するに、今秋)以降も続けて、この「衛星」への小旅行を繰り返そうかな、と考えている。なぜなら、これまで僕にとっての学問は、それが哲学であれ文学であれ、いつも地方と、そこに生きる誰かとの関わりの中からしか、生まれた例(ためし=様)はないのであって、その点、僕は地方(=文化)には心を惹かれるものがあっても、都市(=文明)には心を惹かれるものがない。と言う訳で、このようにして僕の、ある種の「六十の手習い」は引き続き、これから「七十の手習い」(?)や「八十の手習い」となり、その「手習い」に励むことが出来るのであれば幸いである。......「手習ひは坂に車を押す如し、油断をすれば後に戻るぞ」(『松屋筆記』)

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