ホームメッセージ「夏休み」が、やってきた! ――「教養」の来た道(35) 天野雅郎

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「夏休み」が、やってきた! ――「教養」の来た道(35) 天野雅郎

夏休みが、やってきた! 君にとっても、僕にとっても――と、晴れ晴れとして腕を広げて、背伸びをしつつ、ほがらかに言い放ちたいのは山々(やまやま)であるが、残念ながら、夏休みが許されているのは原則的に、君のような大学生や、高校生や中学生や小学生であって、僕のような大学の教員は基本的に、夏休みを認められていないのが実情である。事実、現時点において僕は、女房と子供を連れ(連れられ?)て、僕の郷里である島根県の松江市に、いわゆる帰省を果たしているけれども、それでは僕が、その名の通りの「夏休み」を与えられ、これを楽しんでいるのか、と言えば、それは「とんでもない」誤解であり、恐るべき世間の妄想(「大学の先生は、暇だからなあ~」)であって、よもや君も、この手の妄想に取り憑(つ)かれて、勘違いをしているはずは……ないよね?

なにしろ、僕の目の前には今、数百枚に及ぶ解答用紙――その中には、ひょっとして君の上出来(☺)の、あるいは不出来(☹)の、答案も混じっているのかも知れないが、いずれにしても、そのような「和歌山大学」の所定の、前期試験の解答用紙が高々と積み上げられており、その答案に一枚ずつ、これから僕は採点をしなくてはならないからである。そこで、どうにかして……例えば、かつて君も受験勉強の折に、無闇に、やたらと身の回りの仕様の無いものに手を伸ばし、仕様の無いことを始め出し、ついつい無用の読書に、のめりこんでみたり、わざわざ、する必要の無い整理や整頓を始めてみたりしたことが、あったのではなかろうか。それと同じで、今回の僕は君に宛てて、どうにかして僕の苦痛(^^;)を和らげようと、この一連の文章(「教養」の来た道)の筆を執った次第。

ところが、このような行為が前回の冒頭部分で、うっかり僕の使いそうになった「先延ばし」という語を宛がわれ、驚くべきことに、それが極端な事態にまで進むと、精神疾患(!)や発達障害(!)の症例に数え上げられてしまうことを、君は知っていたであろうか? すなわち、このようにして僕が現時点において、しなくてはならないこと(要するに、試験の答案の採点)をせず、これを文字通りに「先延ばし」にして、結果的に今、急いでしなくても構わないはずの、他の何かに精を出し、このような文章を書いたり、さして聴く気の無い音楽に、耳を傾けたりしている、そのような事態は突き詰めるならば、僕の怠惰や逃避の、性癖に由来するものであり、このような性癖を放置しておくと、実に困ったことに、僕は心理学の、臨床例にされてしまう危険性がある、らしいのである。

実際、この「先延ばし」という語自体が、もともと心理学の用語であり、その裏面には英語(と言うよりも、米語)の、遅延(procrastination=明日まで、グズグズする)という行為が、非難を込めて、貼り付けられているし、そこから必然的に、このような行為はPCN症候群と呼ばれたり、もっと酷(ひど)い言い方をすると、これを「グズ」症候群と称したりするのであるから、恐れ入る。が、このような場合に用いられている「症候群」という語は、これまた英語のシンドローム(syndrome)の翻訳語であるけれども、その名の通りに「同時発生」の、いまだ原因不明の病(やまい)を指し示す語であり、このような病は見方を変えれば、君や僕の生きている時代に固有の、特有の病ではあっても、ひょっとすると、その病自体が君や僕には必要な、不可欠の健康法であるのかも知れない。

ちなみに、ここで常々、僕が頼りにしている『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引くと、この語(「先延ばし」)は幸いなことに、いまだ「日本語」として認知され、一般に通用するには至っておらず、したがって、見出し語としては掲載されていないのが分かる。――それに対して、今回の話題となっている「夏休み」の方は、当然、君も僕も喜んで、その掲載に賛同の声を轟(とどろ)かせざるをえない「日本語」であり、こちらは『日本国語大辞典』によると「暑さを避けるためや、帰省・健康管理などの目的で学校や職場などに設けられた夏季の休暇。暑中休暇」という説明文が置かれ、その用例には、明治10年(1877年)7月22日付けの、当時、成島柳北と末広鉄腸が編集し、発行していた『朝野新聞』の記事(「生徒夏休中教師フィーラアト氏は……」)が挙げられている。

明治10年と言えば、今から数えて、136年前のことになるが、この頃の日本は、言ってみれば海を越えて、はじめて私たちの国に西洋式の、近代的な教育機関や教育制度が伝わった頃に当たり、例えば明治4年(1871年)には「文部省」が新設され、それに伴い、翌年にはフランスの学区制を取り入れた、いわゆる「学制」も公布されるに至っている。なお、この頃の日本は、いまだ内閣制度が確立されていなかったので、この「文部省」の初代の長(すなわち、文部卿)を務めていたのも、大木喬任(おおき・たかとう)であり、この段階から森有礼が登場し、初代の文部大臣に就任するまでには、さらに15年ほどの時間が必要であったが、この大木喬任も後年、第7代の文部卿と、第4代の文部大臣を歴任することになる人物であるから、その名を知っておいても、君に損は無いはずである。

言い換えれば、このようにして私たちの国に、はじめて「夏休み」が渡来し、その「夏休み」を、いまだ当時は不在の、高校生を除いて、大学生も中学生も小学生も、そろって満喫することが叶うようになったのは、おおよそ今から140年ほど前の出来事であり、それは「夏休み」という語が、好むと好まざるとに拘らず、私たちには西洋起源の、近代的な日本語(要するに、翻訳語)であって、その背後には絶えず、サマー・ホリデー(summer holiday)やサマー・ヴァケーション(summer vacation)という語が見え隠れをしている点を、私たちは見逃してはならない。また、それと並んで、その際に使われている「ホリデー」や「ヴァケーション」という語が、どこか私たちには縁遠く、その本来の語義も、きっと私たちには等閑(なおざり)にされている、そのような語である点も含めて。

ともかく、このようにして「夏休み」は、君の現在の特権であり、僕の場合には、かつての特権であったが、その違いを一口で言えば、君が「夏休み」を「夏休み」としか呼んだことがなく、それ以外の呼び名が存在することすら、とんと頭の中から抜け落ちているのに対して、逆に僕には「夏休み」という語が照れ臭く、きまりが悪く、これを正式名称(?)で「夏季休暇」や「夏季休業」と口走ってしまう、そのような違いとして言い表すことも出来るであろう。――そして、そうであるからこそ、そのような違いを乗り越えようとして、いつも僕は「夏休み」が来ると、やたら声を高くして、しつこく「夏休み」を連呼することに、しているのである。仮に、それが僕の「夏休み」の「先延ばし」と見なされ、そのことで世間から、文字通りの「グズ」症候群と蔑(さげす)まれようとも。

 

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