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精神について ――「教養」の来た道(350) 天野雅郎

精神について、それほど意識することなく、この語を使うことが出来たのは何歳の頃までであったのか知らん。と、このような問いを発して、振り返ってみると、例えば僕が子供の時分には、いわゆる「精神病院」と言ったら......と、かなり突拍子もない例で、恐縮であるが、それは当時、子供であった僕には近所の坂道を奥に入った、かなり陰鬱な場所と、その閉鎖的(クローズド)な建物であった訳であり、これが現在のように「精神科」という名に変わり、ごく普通に「精神科病院」や「精神科病棟」という言い回しが生活の中に入り込んでくるようになろうとは、それこそ当時は、夢にも思わなかった次第。ちなみに、この用語の改正は今から13年前の、平成十八年(2006年)になって「精神病院の用語の整理等のための関係法律の一部を改正する法律」が施行されて以降のことである。

とは言っても、このような動きは20世紀も終わりに近くなって、それまでの「精神衛生法」が「精神保健法」へと、さらに「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(→精神保健福祉法)へと名を改められてから、おもむろに進行したものであり、前者は昭和六十二年(1987年)に、後者は平成七年(1995年)に、それぞれ施行されている。なお、ついでに『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「精神科病院」を調べると、その語誌には次のような説明があるから、ご参考までに。――「「精神病院」には強制入院、隔離などのイメージから生じた差別意識がつきまとうため、平成になってからは、外科・産婦人科など他の診療科目と同様に「......科」を入れた「精神科病院」への言い換えが進み、平成一三年(二〇〇一)「日本精神病院協会」は「日本精神科病院協会」に改称した」。

さて、このようにして振り返ると、どうやら僕が呑(のん→温)気に、平然と「精神」という語を口から出し、この語を使って会話をしたり、冗談ではなく、読み書きに励んだりしていたのは、むしろ20代の頃から30代の頃であり、しかも、そこから次第に僕個人は、やおら「精神」という語に不審感や不快感を......と言い出すと、いささか言い過ぎになるけれども、なにやら疑いの目や、いけ好かない思いを抱くようになっていったのであるから、その点で推し量ると、結果的に僕と「精神」という語との付き合いは20代の頃がピークであったと見なさざるをえない。――と書き継いでも、さっぱり君には何のことやら、訳が分からないであろうが、昔々、僕が学生であった時分に哲学の勉強を始めた世代は、誰しも一度は、ヘーゲルの『精神現象学』に取り憑(つ)かれたものなのである。

なにしろ、当時は大学の哲学教室や、あるいは哲学講座と呼ばれる場所には、大きく別けて、古代哲学と中世哲学と、それから近世哲学とか近代哲学とか、このように称される教室や講座があり、驚くべきことに、いまだ「現代哲学」という名の教室や講座は存在していなかったのが実情である。ただし、これは日本人の、いかにも新しいもの好きの、せっかちな歴史観が産み出したものでもあって、長い目で見れば、もともと近世も近代も、ひいては現代も、同じ当世風(モダン)な時代の一部であり、その意味において、これらの時代は「ルネサンス」であれ「宗教改革」であれ、あるいは「科学革命」であれ「産業革命」であれ、ことごとく一蓮托生(イチレン・タクショウ)の糸で結ばれている訳であるから、その際の蓮華(レンゲ)は君にとっても僕にとっても、同じ蓮華なのである。

実際、当時の大学で哲学の勉強を始めるとなると、古代哲学にはギリシア語が、中世哲学にはラテン語が、どうしても必要になるから、これらを選択する学生は特定の、一握りの趣味や嗜好の持ち主であらざるをえない。と言い出すと、かなり語弊があるが、そもそも日本人が西洋哲学の、その源流であるギリシア哲学やローマ哲学や、さらにキリスト教哲学(=教父哲学+スコラ哲学)に興味を示すのは、そのこと自体、至って当然のことではあっても、そこに見返りとして、みずからの生活や人生を擲(なげう)ち、これを台無しにしても構わない程度の、情熱や覚悟は必要とされるであろう。それに、そのためには差し当たり、哲学の能力とは別の、かなり違う、文献学(philology=言語学)の才能が求められてもいるのであって、この二つの才能と能力を兼ね備えるのは至難の業に近い。

そのような事情もあって、結果的に多くの学生が籍を置くのは、もっぱら近世哲学や近代哲学や、ひいては現代哲学に、ならざるをえない訳であるけれども、ふたたび驚くべきことに、当時は何と、その大多数がカント(Immanuel Kant,1724-1804)かヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,1770-1831)かハイデガー(Martin Heidegger,1889-1976)か、この三人の内の誰かを選んで、これを研究するのが通例であった。と、このように彼らの名前と、その生没年を書き込むと、はっきりするであろうが、彼らは要するに、それぞれドイツの18世紀と19世紀と20世紀を代表する哲学者であって、たまたま現在、カントの出生地(ケーニヒスベルク)がロシア名(カリーニングラード)で呼ばれている点を除けば、当時の大学で哲学と言うと、それは明らかにドイツ哲学のことであったのである。

いやはや、呆れ返るほどに一面的な、一方的な時代である。おまけに、これは大学や、そこで営まれている知識や技能の伝達に、限られた話ではないが、きっと昨今の日本人であれば、これは好き、あれは嫌い、と杓子定規(シャクシ・ジョウギ)の好き嫌いを持ち出さざるをえないであろうから、このような事態は信じ難い、異常な制約でもあれば、拘束でもあったに違いない。でも、このような時代であったからこそ、きっと大学で哲学の勉強をする学生は、ほぼ決まった形で、例えばカントの『純粋理性批判』や、ヘーゲルの『精神現象学』や、ハイデガーの『存在と時間』を、よく分からないなりに、そのページを開くことが叶ったのであり、それは裏を返せば、このような時代であったからこそ、そこに可能となる、ある種の知識や技能の伝達が、存在していたことにもなるであろう。

僕個人は、そもそも人が何かを勉強する際、その内容や方法に関して、何が適切で、何が不適切であるのか、よく分からないし、そのような線引き自体に、それほど関心のある側ではないけれども、ともあれ僕個人は、このような決まり切った哲学(すなわち、ドイツ哲学)の勉強をし始め、し続けている最中に、幸か不幸か、そのような勉強の泥濘(ぬかるみ)に足を取られたり、足を掬(すく)われたりするよりも早く、このような勉強自体を生業(音読→セイギョウ、訓読→なりわい)とする立場に、身を置くことが叶った訳である。そして、そのような立場から自由に、要は好き勝手に、カントを読んだりヘーゲルを読んだりハイデガーを読んだり、している中で、まあ一番、僕にしては熱心に読んだのが、おそらくヘーゲルの『精神現象学』であったことになるであろう......という昔話。

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