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夏休みの、おすすめ映画とは? ――「教養」の来た道(36) 天野雅郎

今回も執拗に、夏休みの話である。と言うことは、僕が相変わらずグズグズと、試験の答案の採点をサボり、この一連の文章(「教養」の来た道)の筆を執り続けている……という訳では、決してなく、その点に限って言えば、君も安心(?)をして欲しい。それどころか、僕は昨日、例年通りに締め切りのギリギリで、無事、試験の答案の採点を終え、届け出も済ませ、これで僕が結果的に、今年の夏も心理学の臨床例となる危険性を回避できたことを祝うべく、おもむろに寿司屋の暖簾(のれん)を潜(くぐ)り、暑気払いも兼ね、鱧(ハモ)の湯引きに舌鼓を打った次第。まあ、それでも僕の場合には、このようにして鱧を口に運ぶと、いつも「鱧も一期(いちご)蝦(エビ=海老)も一期」というフレーズが頭の中を駆け巡り、ついつい蝦も注文することに、なってしまうのであるが。

と言う訳で、どうやら僕も今回は、いつもの「先延ばし」癖とは無縁の、サッパリとした文章が書けるのでは――と思いきや、実は性懲(しょうこり)もなく、またもや僕は今回も、夏休みの間に書き上げなくてはならない論文を抱え込んでおり、それにも拘らず、その作業を前にして、このような伝家の宝刀の「サボタージュ」(sabotage)を決め込んでいるのであり、これでは立派な、重度の患者の仲間入りを果たすことになるのかも知れない。なお、この「サボタージュ」というフランス語を縮めて、ひょっとすると君も、お得意の、いわゆる「サボる」という日本語が産み出されたことは、君も知っていたであろうが、例えば、その用例に『日本国語大辞典』(2006年、小学館)が挙げているのは、興味深いことに、大杉栄(おおすぎ・さかえ)の『日本脱出記』(1923年)であった。

ちなみに、私たちの国でも当然、最初に使われていたのは「サボる」ではなく、省略形ではない「サボタージュ」の方であり、ふたたび『日本国語大辞典』を引くと、そこには「労働者の争議戦術の一つ。就業しながら意識的に仕事を停滞させ、能率を落として企業者側に損失を与え紛争の解決をうながすこと。怠業(たいぎょう)。サボ」という、一つ目の語釈が置かれた後、その用例には1921年、私たちの国の年号に直せば、大正10年、小林花眠(こばやし・かみん)の編集した『新しき用語の泉』(博進館)が挙げられている。と言うことは、今風に言えば、この当時の「新語・流行語大賞」にノミネートされそうな勢いのある語として、この「サボタージュ」という語が1920年代(すなわち、第一次世界大戦の「戦後」)になってから、急速に広まっていった語であることが分かる。

ところで、上記の語釈の文章を読むと、そもそも「サボタージュ」が労働者……すなわち、学生である君や、教員である僕の、意識的な争議戦術や、自覚的な紛争解決の、手段と言おうか、方法と言おうか、いずれにしても、私たちが平生、この語を「サボる」という形で使っている時の、実に怠慢な使い方とは、かなり違う使い方をする語であったことを、まず君には知っておいて欲しい。ただし、そのような怠慢な、弛緩(ちかん)をした使い方の方が、むしろ現在の、この語の通常の使い方であることも事実であって、それが『日本国語大辞典』の、二つ目の語釈(「怠けること。比喩的に、動くべきものが動かなくなることにもいう」)であり、こちらの用例には、宇野浩二(うの・こうじ)の『苦の世界』(1919年)が、いささか古風な表記(「サボタアジュ」)で掲げられている。

と言うことは、この二つ目の語義の方が、私たちの国では一つ目の語義よりも、ことによると古い、より早い使い方であった可能性も、ない訳ではなく、その意味においては、例えば『日本国語大辞典』の末尾に、補注という形で付け加えている、この語の原義――すなわち、この語は「中世ヨーロッパの農民が領主の横暴に対してサボ(木靴)で収穫物をふみにじったことを意味し、元来は破壊行為を指した」ことも、結果的に私たちが後年になってから、あらためて発見をし直したものであったのかも知れない。ただし、このようして「サボタージュ」という語の歴史を振り返ってみると、この語が真剣な……言ってみれば、木刀や竹刀ではない、本物の刀剣を懐(ふところ)に抱え込んだ語であって、文字通りの懐刀(ふところがたな)のごとき語であったことが、浮かび上がってくる。

事実、またもや『日本国語大辞典』を引いて、今度は木靴の「サボ」(sabot)の方を調べてみると、そこには一つ目に、この木靴自体の語釈(「ヨーロッパで用いられる木靴。ブナ、クルミ、ヤナギなど堅い木をくり抜いて作る」)と、その用例(サトウハチロー『浅草』1931年)が挙げられている。が、それと並んで、二つ目には「サボタージュの略」という語釈が置かれ、その用例に挙げられているのは、小林多喜二(こばやし・たきじ)の『蟹工船』(1929年)の一節(「昨日ウンと働き過ぎたから、今日はサボだど……」)である。この点から判断すると、わずか2年前ではあるが、木靴自体の「サボ」の使用よりも、逆に「サボタージュ」の略語としての「サボ」の使用の方が、時間的には早かったことになるけれども、ともかく、これらは1930年前後の、用例であったことになる。

さて、この程度で「サボタージュ」や、その省略形である「サボ」や「サボる」の説明については、充分であろうから、そろそろ話を今回の表題(「夏休みの、おすすめ映画とは?」)に戻し、その「おすすめ映画」を、僕は君に伝えておかなくてはならない。――と言う訳で、僕が今回、君に紹介をするのは、その題名の通りに『毎日が夏休み』(1994年)という映画であり、監督は金子修介……ついでに、彼には『1999年の夏休み』(1988年)という、同様に「夏休み」をテーマにした、もう1本の、おすすめの「夏休み」映画も、あるのであるが、この二つの映画を並べると、前者の原作が、大島弓子の同名の漫画であり、後者の原作(と言うよりも、原案)が、萩尾望都の『トーマの心臓』であることに、とっくの昔に気が付いている君は、かなりの「少女漫画」好きであるに違いない。

僕自身は、それほど「少女漫画」好きではないけれども、これまで長い間、半世紀以上に亘(わた)って、この「漫画大国」の片隅で暮らしている以上は、それ相応の「少女漫画」好きにならなければ、逆に「おかしい」話であり、それは日本文化(Japanese culture=日本教養)に対する無知や無学に等しく、突き詰めれば、無教養と詰(なじ)られても致し方のない次第である、という程度の教養や、より適切に言えば、素養は身に付けている心算(つもり)である。それに、これらの映画から巣立っていった、若い女優さんたちも魅力的であるし、何よりも『毎日が夏休み』の方には、父親役として、実は僕の高校時代の同窓生でもある、佐野史郎が出演をし、母親役には僕の「あこがれ」の女優さんである、風吹ジュンが顔を揃えているのであるから、これは何とも、贅沢な映画である。

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