ホームメッセージ台湾映画と、夏の思い出 ――「教養」の来た道(37) 天野雅郎

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台湾映画と、夏の思い出 ――「教養」の来た道(37) 天野雅郎

夏の思い出……というフレーズを聞いて、ただちにNHKの『みんなのうた』で歌われていた、あの「夏がくれば思い出す/はるかな尾瀬 遠い空~♪」を想い起こすのは、かなり僕が「年配の人間」――夏目漱石の『三四郎』(1908年)にも描かれている、まさしく「世の中に住み古るした年配の人間」になった証拠なのであろうか。それでも、きっと君も小学校(中学校?)の音楽の教科書あたりで、この「日本の名曲」には出くわしているに違いないし、この歌が当初、これまたNHKのラジオ番組(『ラジオ歌謡』)に登場した頃(1949年)には、いまだ僕も生まれておらず、その点で振り返れば、僕も君も共に、テレビを通じて、あるいは学校の音楽の時間を通じて、この歌と触れ合うことになった点では対等であり、言ってみれば、似たり寄ったりの状態である、と評しても構うまい。

なお、この歌の作詞家は、今から8年前(2005年)に、満年齢で言えば、92歳の誕生日の前日に亡くなった、詩人の江間章子(えま・しょうこ)であり、一方、作曲家は君も、例えば『めだかの学校』や『ちいさい秋みつけた』という童謡で、お馴染みの、中田喜直(なかだ・よしなお)である。ただし、僕自身は振り返ると、この作曲家の曲で印象に残っているのは、日本のシャンソン歌手の第1号、高英男(こう・ひでお)の歌った『雪の降るまちを』(1951年)や、あるいは日本のデュオ(=デュエット歌手)史上で、最高のコンビと評しても構わない、ザ・ピーナッツの歌った『心の窓にともし灯を』(1959年)という、いわゆる歌謡曲であったが、ことによると君が「高校野球」の熱心なファンであるのなら、この作曲家の『君よ八月に暑くなれ』(1977年)も、知っていたはず。

ところで、おそらく君もNHK(エヌ・エッチ・ケー)が、Nippon Hōsō Kyōkaiの略称であり、漢字表記に直すと、日本(ニッポンであって、ニホンではない!)放送協会となることは、知っていたであろうが、そもそも、この「日本で唯一の公共放送事業体」(『日本国語大辞典』)が、厳密に言えば、今から88年前に遡って、もう大正14年(1925年)には設立済みであったことを、知っていたであろうか? 知っていたのであれば、その上で、もともとNHKが「社団法人東京放送局」として創設され、その翌年、さらに「社団法人日本放送協会」と名を改めたことも、また、それが「戦後」になってから、今度は昭和25年(1950年)の「放送法」の制定に伴って、その名を「特殊法人日本放送協会」と称するに至ったことも、その経緯や時代背景を含めて、充分に考慮しておく必要がある。

なぜなら、このようにして私たちが、例えば『夏の思い出』を最初に、テレビで見るのと、君や僕には叶わなかったが、それをラジオで聞くのと、あるいは、テレビともラジオとも異なる、別の媒体(メディア)で経験するのとでは、そこに自(おのず)から違った、見方や聞き方が生じざるをえず、要するに――そこから私たちは異なる、別の聴衆(audience)としての経験を積むことにならざるをえず、結果的に私たちが、どのような聴衆となりうるのか、すなわち、テレビの視聴者(viewer)となるのか、ラジオの聴取者(listener)となるのか、それとも、そのような視聴者や聴取者とは異なる、もはや視聴者や聴取者とは呼べない、別の聴衆に属するのかは、突き詰めるならば、私たちが文化(culture=教養)と名付けているものの、生命線(lifeline)にも等しかったから。

その意味において、例えば「夏の思い出」というフレーズから、ちょうど10年前(2003年)に流行(はや)った、ケツメイシの同名の曲の一節(夏の思い出 手をつないで 歩いた海岸線/車へ乗り込んで 向かったあの夏の日/なんて思い出して感じるこの季節が/来るたび思い出してる 思い出せる……)を君が想い起こすのか、それとも、そのようなヒップホップ(hip hop)によっては、まったく「はじける」ことが叶わず、誰が、何と言おうとも、それは日野てる子の『夏の日の想い出』(1965年)に極まらざるをえない(!)と、その一節――「夏の思い出 恋しくて/ただひとりだけで 来てみたのよ/冬の浜べは さみしくて/よせる波だけがさわいでた」(作詞・作曲:鈴木道明)を思わず諳(そら)んじてしまっている、僕との間には、かなり深い溝(みぞ)があっても当然である。

けれども、そのような溝が溝として存在していることは、疑いがないとしても、それでも君と僕の間には、その溝を越える何かも、存在しているのではあるまいか? そのことを、僕は君と一緒になって考えよう、と思い、今回は僕の好きな、台湾映画の中から幾つかの、とりわけ「夏の思い出」や、ふたたび「夏休み」をテーマにした映画を選び、君に紹介をすることにしよう。とは言っても、僕は君に向かって、ことさら変則的な、いわゆる変化球を投げよう、という気は、さらさら無いし、いたって本格的な、直球(ストレート・ボール)を投げる気でいるから、心配しなくても大丈夫である。それに、僕自身は個人的に、あまり世間で注目されていない映画を取り上げて、まるで重箱の隅を楊枝(ようじ)で穿(ほじく)るような、事細かな穿鑿(せんさく)をするのが、嫌いだしね。

と言った次第で、今回、僕が君に紹介をするのは、楊徳昌(ヤン・ドゥーチャン、英語名は、エドワード・ヤン)の『ヤンヤン・夏の想い出』(2000年)と、それから、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の『冬冬(トントン)の夏休み』(1984年)である。と言ったら、この二人が等しく、1947年の生まれで、かつて1980年代から1990年代の台湾映画界を席巻した、いわゆる「台湾ニューシネマ(新電影)」を代表する監督であり、残念ながら、楊徳昌の方は6年前(2007年)に、満年齢で言えば、60歳を待たずに他界をしてしまったけれども、おそらく現在の台湾映画界を語る時には、抜きにすることの出来ない、最も重要な二人であったはず。その点では、この二つの作品が彼らの、一方は遺作に当たり、一方は出世作の一つに当たるのも、いささかシンミリとせざるをえない話ではある。

それでも、侯孝賢の『冬冬の夏休み』には、いまだ若い日の楊徳昌が、主人公(冬冬)の父親役で姿を見せているし、この映画の音楽を担当しているのも、実は彼である。このようにして、たとえ(正しくは、たとひ)一時的な蜜月であっても、この時期の台湾映画界を支えた、この二人の交流の中から、例えば侯孝賢の『非情城市』(1989年)で助監督を務めた、張作驥(チャン・ツォーチ)の『最愛の夏』(1999年)や『きらめきの季節・美麗時光』(2001年)のような佳作も、産み出されてきたに違いない。僕自身は、これらの映画を数年前に、集中的に観て、そこから何となく、台湾映画の特徴が分かったような気がしたし、そのことで、台湾という場所の抱え込む、困難な事情も分かり、また、そのことに対して、僕自身が断じて無関係ではないことをも、気づかされた次第である。

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