ホームメッセージ憂国について ――「教養」の来た道(371) 天野雅郎

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憂国について ――「教養」の来た道(371) 天野雅郎

一月ばかり前、三島由紀夫(みしま・ゆきお)の『憂国』を、はじめて観た。と言ったのは、もちろん映画の『憂国』の方であり、小説の『憂国』の方は昔、若い頃に読んだと思(おぼ)しき記憶が、あるには......あるが、さて何時の時分のことであったのか、よく憶えていないのであるから、あやしい話である。ともあれ、君も興味があったら新潮文庫あたりで、ごく簡単に彼の「自選短編集」の『花ざかりの森・憂国』を手に取ることが出来るし、そこに表題どおりの、この短編が載っているから、ぜひとも、ご一読を。なお、この「自選短編集」は彼が、わざわざ「短編小説の衰亡期」に際し、あえて「文庫形式」で編んだものであり、さらに有り難いことに、そこには著者自身の「解説」も添えられていて、例えば『憂国』に関しても、以下のような三島由紀夫の述懐が宛がわれている。

 

『憂国』は、物語自体は単なる二・二六事件外伝であるが、ここに描かれた愛と死の光景、エロスと大義との完全な融合と相乗作用は、私が〔、〕この人生に期待する唯一(ゆいいつ)の至福であると云ってよい。しかし、悲しいことに、このような至福は、ついに書物の紙の上にしか実現されえないのかもしれず、それならそれで、私は小説家として、『憂国』一編を書きえたことを以(もっ)て、満足すべきかもしれない。かつて私は、「もし、忙しい人が、三島の小説の中から一編だけ、三島の〔、〕よいところ悪いところ〔、〕すべてを凝縮したエキスのような小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一編を読んでもらえばよい」と書いたことがあるが、この気持には今も変りはない。

 

ここで三島由紀夫が「かつて」と言っているのは、この「解説」の書かれたのが昭和四十三年(1968年)であり、それを遡る2年前(昭和四十一年→1966年)に、彼は映画の公開に先立ち『憂国・映画版』(新潮社)を出版していて、その中に、この一文と、ほぼ同じ書き出しで始まる、この映画の「製作意図及び経過」が収められていたからである。なかなか三島由紀夫らしい言い回しであるから、これも次に掲げておく。――「この小説は私にとつては忘れがたい作品で、わづか五十枚足らずのものながら、その中に自分の〔、〕いろんな要素が集約的に入つてゐる作品と思はれるので、もし私の小説を一編だけ読みたいといふ人があつたらば〔中略〕この「憂国」一編を読んでもらへば、私といふ作家の〔、〕いいところも悪いところも〔、〕ひつくるめて、わかつてもらへるやうに考へてゐる」。

要するに、彼にとって『憂国』は「それだけ愛着の深い作品である」(同上)と言うことが出来るのであるが......それに引き替え、このようにして仮名遣いを、どうにかこうにか本来の、いわゆる旧仮名遣いにしているのが僕の場合は関の山であり、先刻来、煩わしさに感(かま)けて『憂国』を『憂國』と直さないまま、使い続けているのであるから情けない限り。でも、それが小説であれ映画であれ、この作品の表題を『憂国』と書くのか、それとも『憂國』と記すのかで、そこに文字表記を超えた、君や僕の「国」(音読→コク、訓読→くに)に対する考え方や感じ方の違いが浮かび上がってくることも確かであろう。論より証拠、僕の場合は直感的に、その中心に王将(王→玉)の居座っている「国」よりも、むしろ区切られ、仕切られた土地である「國」の方が、ずっと安心なのであるが。

ところで、僕が先日、はじめて観た『憂国』は、もともと昭和三十六年(1961年)の年頭、小説の方が雑誌(『小説中央公論』)に掲載されてから、その4年後(昭和四十年→1965年)に制作された映画であり、当然、原作は言わずもがな――であるけれども、それと同時に、脚本も監督も美術も、また、主人公の武山信二を演じているのも、ことごとく三島由紀夫、その人なのであって、わずかに藤井浩明(ふじい・ひろあき)が三島由紀夫と並んで制作に名を連ねている以外、固有名として登場するのは演出の堂本正樹(どうもと・まさき)と撮影の渡邊公夫(わたなべ・きみお)とメーキャップ・アーティストの工藤貞夫(くどう・さだお)と、それから相手方の女優で、武山麗子を演じている鶴岡淑子(つるおか・よしこ)のみなのである。いやはや、本当に手作り感に溢れた映画であった。

おまけに、この映画は結果的に、三島由紀夫が私費を投じて作った、いわゆる自主製作(indepandent production)であったから、撮影にも2日(!)しか費やされていない。けれども、その分、そこには濃密な、きわめて凝縮された時間と......その時間を相互に、幸運にも共有することの叶った、唯一無二の人間関係が前提とされていたことも疑いがなく、それは例えば、君や僕が普段、口にしたり、耳にしたりするにも拘らず、その真意を充分には理解していない、あの「一期一会」という語に託して、これに置き換えるべき、ある種の特権的体験であったのではなかろうか。そして、そこから産み出された、わずか28分の白黒映画、と言うよりも、その語義に即して言えば、そこに白と黒のみを使い、それだけで描かれた、モノクローム(monochrome)映像が『憂国』であったことになる。

ちなみに、その映像を観れば、一目瞭然であろうが、この映画において三島由紀夫がイメージしたのは、あの「能舞台」であり、それは「人間の生と死の〔、〕すべてが〔、〕その〔、〕まつ白な、まつ四角な限定空間の中で〔、〕かげろふのやうに〔、〕はかなく立ちのぼり、また消えていく」(同上)ための仕掛けであった。しかも、僕自身が興味深いのは、このような「能舞台」の「集約性」と「単純性」と、その「純粋性」に対して、逆に生活に必要な小道具類は、それが什器であれ家具であれ、火鉢(ひばち)であれ卓袱台(ちゃぶだい)であれ、布団(ふとん)であれ枕であれ、これらを三島由紀夫は無用なものと見なし、その上に「猥褻」(わいせつ)なものとすら、考えていたことである。――「私の観念によれば、人間の裸体よりも、布団や枕のはうが〔、〕より猥褻なのである」(同上)。

なるほど、そう言われてみれば、そんな感じも......してくるな、と君が共感(sympathy=共苦)を催してくれるのであれば、いささか僕は嬉しい気が、しないでもない。が、このようにして人が、お互いの感覚や感情や、要は感性の領域へと、あれこれ立ち入ろうとすることほど、やっかいな侵犯行為は存在していないのであって、例えば君が三島由紀夫の言う、何とも「猥褻」な布団や枕に対して、ご執心であり、ご執着であっても、それは致し方のないことであり、せいぜい君は君で、君の趣味を全うするしかない。と、このように嘯(うそぶ)きながらも、おそらく人間にとって一番、気になって、気になって仕様のないのが感性の違いであろうから、これは困った話であり、それに比べれば、むしろ知性の違いなどは高が知れた、どうにでも埋め合わせの利く代物なのではないか知らん。

ともあれ、このようにして「黒白の映画であるから、白の効果が最も大切で、能舞台とはいひながら、すべてが純白に装はれてゐなければならなかつた」と、くりかえし「製作意図及び経過」の中で三島由紀夫は論じている。そして、それとは逆に「黒を代表するものは血だけであつた」とも。――やれやれ、だから僕のように気の弱い人間は、この映画を観ていると、つい目を背(そむ)けたくなったり、目を瞑(つむ)りたくなったり、してしまい、その時、人に瞼(まぶた=目蓋)という重宝な道具が備わっていたことに、あらためて感謝をしてしまうほどなのであるが、さて君は、いかがであろう。この映画自体は、やがて彼の死と共に、お蔵入りとなり、誰も目にすることの叶わないものとなっていたのであるけれども、その映画が目下、幸か不幸か、君や僕の目の前に置かれている。

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