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台湾旅行と、思い出の夏 ――「教養」の来た道(38) 天野雅郎

 思い出の夏……というフレーズを聞いて、ただちにロバート・マリガン監督の、と言うよりも、ジェニファー・オニール主演の、アメリカ映画の『おもいでの夏』(1970年)を想い起こしたり、そこから更に遡り、ザ・ワイルドワンズの歌った『想い出の渚』(1965年)を諳(そら)んじて、ついつい「波に向かって 叫んでみても/もう帰らない あの夏の日~♪」(作詞:鳥塚茂樹、作曲:加瀬邦彦)と口ずさんだりしてしまう、今回も僕は相当に、困った「年配の人間」であるが、それでも僕が心底から、このようなアメリカ気触(かぶれ=接触性皮膚炎)の、アメリカ贔屓(びいき)の「日本人」と思われるのは、やはり心外であって、実は僕は、このようなアメリカ擬(もどき)の若者文化、その中でも特に、俗に言う「湘南サウンド」が、好きになれない(^^;)のである、率直な所。

と言う訳で、僕は今回も「日本人」らしく、ふたたび日本映画の話や、前回から話題になっている、台湾映画の話を君に聴いて貰(もら)いたい、と思っている。ちなみに、僕自身は昨年(2012年)の夏、と言うよりも、暦(こよみ=日読み)の上では「秋分の日」へと繋がる、秋の「お彼岸」の前半を使い、はじめて台湾旅行に出掛けたけれども、もともと台湾は僕の中で、母方の曾祖父(音読:ソウソフ、訓読:ひぢぢ→ひいぢぢ)が宮大工(みやだいく)をしていたこともあり、いささか関わりのある場所であった。と言うのも、かつて日本が台湾を半世紀に亘り、明治28年(1895年=「日清戦争」の終結の年)から、昭和20年(1945年=「十五年戦争」の終結の年)まで、植民地化をしていた時分、僕の曽祖父は台湾に、日本の神社を建てるために、赴(おもむ)いていたからである。

とは言っても、残念ながら、その曾祖父(great-grandfather)のことや、その「ひいおじいさん」(正しくは、ひいおぢいさん)が建設に携わった、台湾の神社のことが旅行中、僕の頭の中を過(よぎ)ることは稀(まれ)であり、もっぱら僕は、観光客(tourist)として、観光業者(tourist agency)に命じられるまま、観光団(tourist party)の一員となり、観光コース(tourist route)を辿りつつ、観光地(tourist spot)を巡り、観光ホテル(tourist hotel)に泊まり、その名の通りの、典型的な観光(tour=周遊!)をした上で、ほとんど旅行(travel)という語の本来の、そもそもの語義である「苦労」や「骨折り」をすることもなく、文字通りのトラブル(trouble=濁った、不透明な状態)に巻き込まれもせず、実に快適に、順調な旅を終え、日本への帰還を果たしたのであった。

ただし、そのような僕にも幾つか、このようにして観光名所(tourist attraction)を回る中で、その、いわゆる「アトラクション」に心を惹かれ、興味を持つことの叶った場所が、なかった訳ではない。その内の一つが、例えば、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の監督した『珈琲時光』(2004年)に因(ちな)んで、同じ名前の喫茶店を一階に設(しつら)えた、台湾映画文化協会の「台北之家」(台北市中山北路二段)であった。もっとも、この建物自体は、かつてのアメリカ領事館であり、歴代のアメリカ大使の居住の場所でもあったが、その割には(失敬)僕は正直な話、ガッカリせざるをえなかった次第。ところが、幸いなことに旅先で、お土産(みやげ)を買うことに異常な(?)情熱を傾ける、典型的な「日本人」である僕には、この場所が、いささか気に入ったのでもあった。

なぜなら、この施設には映画館(「光點電影院」)と一緒に、台湾映画関連のグッズを並べた、販売店(「光點生活」)が設けられており、そこには日本では、お目に掛かることの少ない、台湾映画の書籍や雑誌や、いろいろな「お土産」が揃えられ、その中には、例えば日本でも結構、トレンディーな――という言い方をすると、この1980年代風の語に対して、僕自身は幾分、恥かしい思いをせざるをえないのであるが、ともかく、そのような最新の流行の、まさしく「トレンド」になっている俳優さんたちと共に、例えば『海角七号~君想う、国境の南~』(2008年)で主演を務めた、日本の女優の田中千絵(台湾の表記は、田中千繪)が表紙を飾った、映画雑誌なども目に付いて、ついつい僕の、生来の勉強癖にも火が付いて、これを資料収集の名目で、購入することになった訳である。

正直な所、僕自身は田中千絵という女優さんを、上記の映画以外の作品で、目にしたことがなく、その意味においては、ほとんど彼女のことを知らないに等しいし、この映画が台湾の、歴代の興行史上、例の『タイタニック』(1997年)に次いで、第二位の興行成績を収めている点についても、この映画の出来からすれば、よく理由が分からない、としか評しようがない。けれども、この映画が日本の、いわゆる台湾統治時代と現在を結び付けながら、日本と台湾の60年余りの時の流れを、二組の男女の人間関係(要するに、恋愛関係)の交錯によって描き出そうとしている点は、この映画が逆に、中国では上映禁止(!)になった点も含めて、今の君や僕が日本のことを、また、日本と台湾のことを振り返り、考え直す上で、はなはだ格好の歴史教材となりうる映画であることは、確かである。

その点では、もう一つ……あいにく僕が訪れた時には、ちょうど工事中で、ほとんど収蔵品(コレクション)の主要なものを目にすることは叶わなかったけれども、君に台湾旅行の「お土産」として、僕は「台北市立美術館」(台北市中山北路三段)のミュージアム・ショップで手に入れた、一冊の本(パンフレット?)のことを話しておこう。すなわち、その店の書架で僕は、たまたま映画関連の書籍を見ている内に、何と台湾で出版された、台北金馬影展叢書というシリーズの中の一冊で、僕の大好きな、映画監督の市川準を記念し、追悼した本(『轉眼人生:市川準』)を見つけ、さっそく購入した次第である。副題には英語で、In Memory of Ichikawa Junと書かれており、出版の年月を見ると、2009年12月とあるので、これは結果的に彼の亡くなった、翌年の本であったことが分かる。

事実、この本の最初のページには――「2008年9月19日、市川準因腦出血猝死、享年59歳、留下影迷無限唏嘘」という一文が掲げられている。日本語に直せば、2008年9月19日、市川準は脳出血により急逝した。享年59歳。その訃報に接し、台湾の映画ファンは限りない、すすり泣きの声を漏らし続けている、と言った辺りか。ともかく、この一文に巡り合い、しかも、外国(!)で偶然に立ち寄った美術館の、そのミュージアム・ショップの片隅に、この本が置かれ、そして、その本のページを捲(めく)った時に、まず僕の目に飛び込んできたのが、この一文であったことは、大袈裟に言えば、僕にとっては最高の、この台湾旅行の収穫であり、いささか季節外れであっても、僕にとっては確実に、この出来事を「思い出の夏」の中に蓄(たくわ)える、貴重な瞬間ともなりえたのである。

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