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三丁目の夕日の、見える場所 ――「教養」の来た道(39) 天野雅郎

安安(アンアン)と冬冬(トントン)という名前を聞いて、これを、どこかの動物園で飼われているパンダの名前かな、と早合点(はやがてん)をしてみたり、ことによると、あの、リンリン・ランランの歌っていた『恋のインディアン人形』(わたしはおませな インディアン人形~♪)を、思わず口ずさんだり(^^;)しているのは、この歌が巷(ちまた=道股)に流れていた当時の、1970年代の中盤には物心(ものごころ)が付いていた、いわゆる「高度経済成長」(high economic growth)の真直中(まっただなか)に生まれて育った、ゆたかな時代の「日本人」であるに違いない。――何を隠そう、そのような「日本人」の一人である僕は、この歌を丁度、大学生になった年(1974年)に聴いており、その意味においては生粋(きっすい)の、まさしく「三丁目の夕日」の世代なのである。

と言ったのは、この漫画(『三丁目の夕日』)を作者の、西岸良平(さいがん・りょうへい)が雑誌(『ビッグコミックオリジナル』)に連載し始めるのも、ちょうど1974年、私たちの国の年号で言えば、昭和49年のことであり、しかも、この物語の舞台となっているのは、まさしく日本が「高度経済成長」期に突入した、昭和30年(1955年)以降の「夕日町三丁目」であったから。言い換えれば、そのような「高度経済成長」期が終わりを告げて、昇った朝日(rising sun)には必ず、夕日(setting sun)として沈まざるをえない時が待ち構えているように、その黄昏(たそがれ=「誰だ、彼は」?)の時を私たちの国が迎えるのは、昭和48年(1973年)のことになる。と言えば、君は僕が、この一文の冒頭で、わざわざ「パンダ」の語を用いていた理由についても、すでに先刻、お見通しかな?

なお、ひょっとすると君は、この『三丁目の夕日』を漫画ではなく、映画(『ALWAYS三丁目の夕日』)を通じて、親しんだ側であったのかも知れない。映画の方は、2005年(平成17年)になってから、山崎貴(やまざき・たかし)が監督をして、この年の「日本アカデミー賞」の、最優秀作品賞や最優秀監督賞を始めとして、ほとんどの部門で最優秀賞を獲得したことでも知られている。一つだけ、獲得できなかったのは最優秀主演女優賞であって、これは『北の零年』(監督:行定勲)の、吉永小百合(よしなが・さゆり)が受賞した次第。僕自身は、どちらの映画も映画館で――と言いたい所ではあるが、本当はレンタル落ちのDVDを購入して、鑑賞したけれども、いずれも僕には違和感の残る、正直に言えば、時代錯誤(アナクロニズム)の気配の濃厚な、何とも当世風の映画であった。

なぜなら、明治時代の初年の、北海道を舞台にした映画(『北の零年』)が、いろいろな面で僕にはピンと来なくても、それは当然のことであり、それを知った風な顔をして、アレコレと喋り始めることほど、慎まなくてはならないことはないが、それに比べれば、少なくとも僕自身が生まれ、少年期を過ごし、そこに一人の「日本人」として育ったはずの、その頃を描いた映画(『ALWAYS三丁目の夕日』)が、これまた僕には言い様のない、何かしら不自然な、疎外感を伴う映画であったのは、なぜなのであろう? そのことを考えるために、僕は今回も台湾映画を引き合いに出し、とりわけ前々回に取り上げた、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の監督した『冬冬(トントン)の夏休み』(1984年)を通じて、人間の記憶や追憶や、言ってみれば、人間の「生」の謎めいた姿を、君に伝えたい。

ところで、この映画には原作があって、原作の方は『安安(アンアン)の夏休み』と題されている。と言えば、もはや君は、この「安安」と「冬冬」という二つの名前を使い、この一文の筆を僕が執り始めたことも、想い起こしてくれているのではなかろうか。原作の方は、すでに私たちの国においても邦訳(田村志津枝訳、1992年、筑摩書房)が刊行されているので、君も興味があれば、この短篇のページを捲(めく)って欲しい。作者は、実は映画(『冬冬の夏休み』)の脚本も兼ねている、女流作家の朱天文(ジュ・ティエンウェン)であって……と、この名前を耳にする、とっくに前から、これまで僕が取り上げてきた、侯孝賢の『非情城市』も『珈琲時光』も、いずれも彼女の脚本であったことに気が付いてくれている君は、きっと根っからの、台湾映画ファンであったに違いない。

ちなみに、この物語の主人公が「夏休み」を過ごすのは、原作でも映画でも、現実の台湾の、固有名を挙げれば、苗栗(ミャオリ)県の銅鑼(トンルオ)郷であるが、この場所は実際に、朱天文が少女時代に、いつも「夏休み」を過ごした場所であったらしい。けれども、僕自身は映画を観ていても、原作を読んでいても、かつて一度も訪れたことのない、したがって、いまだ一度も目にしたことのない、この場所が……奇妙にも、としか言い表し様がないのであるが、いつか(sometime)どこか(somewhere)で僕が、少年時代に足を運んだことのある、少なくとも、そのような気がする場所に感じられるのは、なぜなのであろう? 例えば、主人公の祖父の家の、玄関を入り、土間を歩き、階段を上ると、そこには畳が敷かれた、文字通りの「日本間」があり、その部屋の窓から眺めると……。

 

窓の格子の外には、深い緑をたたえた釈迦樹(※)があった。安安はひとつずつ実を数え、どれがいちばん先に熟して食べられるか見くらべた。ときたま、かさなりあった葉に風が吹きつけ、洞穴のような青空がはるかな高みからのぞく。蟬が鳴いている空のかなたに、「バーブ」とアイスクリーム売りの声が、ひと声ふた声聞こえてきた。安安はさびしくなった。

 

無論、僕自身は彼女(朱天文)のように、自分の祖父が医師をしていたり、医院を併設した、立派な門構えの家に住んでいたりした訳では、さらさら無い。それどころか、そのような生活の片鱗も、まったく少年時代に経験したことはない。が、それにも拘らず、僕と彼女の年齢は、わずかに1歳違いであり、そうである以上は、彼女の祖父は確実に、日本が台湾を植民地化していた頃、学校で日本語を教えられ、日本名を名乗らされ、文字通りの「日本人」として生きていかざるをえなかった世代であり、この苦難は、そのまま彼女の親の世代の、少年期や少女期にも当て嵌まる。事実、彼女の母親は結果的に、どうやら「日本文学」の翻訳家となった人のようであるが、その意味においては、この母親の父親(要するに、彼女の祖父)の家こそが、この物語の家であったのも、頷かれうる。

このようにして振り返ると、僕自身は個人的に、この映画に安易に、のめりこむことも出来なくなってくるし、それほど短絡的に、この物語の主人公と僕の少年時代を結び付けることは、控えなくてはならなくなってくる。その点では、至って好都合なことに、この物語は1980年代の前半に、舞台が設定されており、映画では「日本のディズニーランド」が、原作では「ABCDの予習」のための「塾」が、物語の冒頭から姿を見せているので、ついつい僕がフラフラと、この物語の世界に迷い込み、この物語の世界の住人となることにも、歯止めを掛けている。ただし、それも束の間、この物語の主人公が汽車に乗り、目的地に辿り着き、駅前の広場で地元の子供たちと、何と……亀(!)で遊び戯れる、その光景に出くわした瞬間に、僕は一人の、まさしく「浦島太郎」に姿を変えていた次第。

 

(※)釈迦樹とは、どのような樹であるのか、僕自身は不勉強で、よく分からないけれども、ことによると、その実が「台湾フルーツ」として有名な、釈迦頭(しゃかとう=バンレイシ)のことであろうか?

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