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昔、昔、浦島は...... ――「教養」の来た道(40) 天野雅郎

昔、昔、浦島は……というフレーズで始まる『浦島太郎』は、いわゆる「文部省唱歌」の代表作の一つとして、これまで多くの日本人に親しまれてきた歌であるが、厳密に言えば、その「文部省唱歌」とは『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の説明文によると、広義には「明治一四年(一八八一)以降第二次世界大戦終了時の昭和二〇年(一九四五)までの文部省発行の初等音楽教科書にのせられた、文部省選定の教育用歌曲」を指し、狭義には「明治四三年(一九一〇)に刊行された『尋常小学読本唱歌』以降の文部省が編纂した各唱歌集に収録された歌曲」を指している。――とは言っても、このような「文部省唱歌」の絶大な影響を、直(じか)に蒙ることのなかった君には、そこに広義と狭義の、二つの「文部省唱歌」が存在していることすら、そもそも初耳なのではあるまいか?

この点については、いずれ稿を改めて、僕は君に、詳しい話をする予定であるから、ここでは簡単に、この「文部省唱歌」には大正時代以前(要するに、明治時代)の日本人に親しまれた「文部省唱歌」と、もう一方で、大正時代以後の日本人に親しまれた「文部省唱歌」の、二種類の「文部省唱歌」があることを、覚えておいて欲しい。また、仮に君が人間の、歌(song)を歌う(sing)という行為を重要な、本質的で、不可欠の行為である、と認め、それが人間の、あらゆる文化(culture=教養)の出発点でもあり、到達点でもある、と見なすのであれば、この「文部省唱歌」も私たちの国で、そのような「文化」や「教養」が産声を上げた、まったく共通の土壌から芽を吹いて、花を開いた、その名の通りの文化遺産(cultural heritage=教養遺産)であることも、忘れないでいて欲しい。

具体的に言えば、例えば『浦島太郎』にも二種類の、明治時代の「文部省唱歌」のヴァージョンと、明治時代の末年以降のヴァージョンとが、存在しているのであって、正確に書くと、前者は平仮名で『うらしまたろう』と題されていて、作詞家には石原和三郎(いしはら・わさぶろう)が、作曲家には田村虎蔵(たむら・とらぞう)が、それぞれ宛がわれ、もともと明治33年(1900年)の『幼年唱歌』(十字屋)に掲載されたのが最初である。これに対して、後者の『浦島太郎』は漢字で、そのまま題名が付けられ、君や僕の知っている、あの歌い出し(昔、昔、浦島は、助けた亀に連れられて~♪)で始まるものであり、こちらは作詞家が、乙骨三郎(おっこつ・さぶろう)であることまでは分かっているが、遺憾ながら、作曲家の方は現時点においても、いまだ詳らかでないのが実情である。

なお、前者と後者では幾分、物語の展開の仕方にも違いがあって、前者は「浦島太郎」が「龍宮城」に至るまでの経緯や、海の中を泳ぐ魚の群れ(たひ、しび、ひらめ、かつを、さば~♪)や、はじめて目にする「龍宮城」の豪華さに、描写の多くが割かれている。一方、後者では「浦島太郎」が「龍宮城」に、最初から辿り着いており、むしろ物語の中心は、そこで彼が「乙姫様」と出会い、遊び、楽しみ、それから……お土産(souvenir)である「玉手箱」によって惹き起こされる神秘(ミステリー)へと、論理的――と言っては大袈裟であるが、なめらかな辻褄(つじつま)の合わせ方が工夫されている。すなわち、後者は物語の展開を、あらかじめ知っている読者を前提としており、これに対して、前者は物語を、あまり知らない読者を対象にしている、と言い換えることも可能であろう。

ともかく、いずれにしても彼(「浦島太郎」)は、君も知っての通り、この物語の末尾において、前者であれば「しらがのぢぢ」となり、後者であれば「お爺(ぢい)さん」となり、そのまま一気に、老人への変身(メタモルフォーゼ)を遂げてしまうのであるが、このような物語の結末を、そもそも君は容認できる側であろうか。それとも、このような結末は「愚」の骨頂であり、いわゆる「不条理」(absurdity=馬鹿馬鹿しさ)の極みである、と憤慨せざるをえない側であろうか。なるほど、このような結末では、せっかく彼が例の、亀を助けたことも、まったく報われることのない、それどころか、逆に禍(わざわい)の種にも等しい行為となり、これでは亀を助けた彼……当世風に言えば、動物愛護家(zoophilist)の彼は単なる「お人好し」に過ぎない、と君が嘆いても、当然かな?

ちなみに、このような「浦島太郎」の物語が、実は私たちの国において、古代から現代へと、連綿と受け継がれてきた物語であることを、君は知っていたであろうか? 知っていたのであれば、この場で僕が『萬葉集』や『丹後國風土記』や、あるいは、さらに『日本書紀』を引き合いに出して、この一連の物語の共通性と、それにも拘らず、それぞれの物語の差異性について、あれこれ君に説明をする手間が省けて、大助かりではあるけれども、仮に君が、このような事態は不測の事態であり、文字通りの「寝耳に水」であったとしても、それはそれで、まったく構わない。なぜなら、この「浦島太郎」の物語は、突き詰めるならば、この物語の末尾において、そもそも主人公(hero=半神半人)は、不幸であったのか、それとも、幸福であったのか、という一点に、話が尽きるからである。

僕自身の答えを、あらかじめ君に伝えておくと、僕は「浦島太郎」が幸福であった、と考える側である。理由は簡単で、たまたま彼は、亀を助けることによって、そもそも辿り着くことのできない「龍宮城」に、一度は辿り着くことが叶ったし、何よりも「乙姫様」との蜜月(honeymoon)を、タップリと楽しむことも叶った訳であるから、そのこと自体を不幸であったと言えば、それは罰当たりも甚だしい言動である、と評さざるをえない。たとい、その蜜月に終わりが来て、露骨に言えば、飽きが来て、ついつい彼が、故郷のことや我が家のことを振り返り、そこに日々の暮らしの、ありふれた雑事を想い起こしたとしても、それは至極、当然であり、もし反対に、それを彼が想い起こさず、ひたすら「乙姫様」とイチャイチャして(^^;)いたのであれば、それこそ人間的に、大問題である。

と言った次第で、僕は例えば、ここに「浦島太郎」の室町時代のヴァージョン(『御伽草子』)を持ち出して、この物語のヒーローを鶴に、ヒロイン(「乙姫様」)を亀に見立て、この二人が「鶴亀」のように、とこしえに夫婦の契りを結んだ、という「おとぎばなし」を語り出すことには興味がないし、それは飽くまでも、夜伽(よとぎ)の話に留めておくべき性格のものであろう、と思っている。要するに、この物語で一番、彼(「浦島太郎」)が美(うつく)しく、厳(いつく)しく、輝いている――と言うよりも、輝くべきである(!)のは、彼が自分の、帰り着かなくてはならない場所へと帰り着き、そこで自分の、老人となった姿を発見し、そのことに驚き、嘆き、それにも拘らず、自分の「旅行者」(traveler)としての労苦を、歌い出す瞬間であった。……昔、昔、浦島は~♪

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