ホームメッセージ「海辺の墓地 」を訪ねて ――「教養」の来た道(43) 天野雅郎

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「海辺の墓地 」を訪ねて ――「教養」の来た道(43) 天野雅郎

夏休みが終わって、後期の授業が始まって、そろそろ今日で20日ばかりの時が経つ。この時期は、そもそも大学の教員(要するに、僕)にとっても、おそらく学生(要するに、君)にとっても、はなはだ慌ただしい、いわゆるテンヤワンヤの時期であることには変わりがないのであろうけれども、そのような慌ただしさに振り回され、この一連の文章(「教養」の来た道)も、しばらく休筆せざるをえない羽目に陥ってしまった次第。そして、そのこと自体が僕には、とても残念であると共に、ひょっとすると君が僕の休筆中にも、何度か、このブログのページを開いてくれたのではないか知らん(^^;)と、まったく冗談ではなく、気になって、気になって、僕は仕方がなかったのであるが、これで久し振りに、ほぼ3週間振りに、このブログも今回から再開、と言うよりも、君との再会である。

ちなみに、このような大学の慌ただしさは、振り返ると、もう何年も前から始まっており、今になって始まったことではなかったに違いない。そのことは、僕も充分に分かっている心算(つもり)ではあるけれども、これでも君の生まれる前から、すでに30年以上に亘って大学の教員をしている人間の感触(すなわち、経験知)からすると、このような慌ただしさは、この数年来、加速度的に勢いを増しており、例えば夏目漱石の『夢十夜』(第七夜)の比喩を借りると、君や僕が突然、訳も分からず「大きな船」に乗せられて、いったい何処に向かって旅をしているのかも判然としないまま、ひたすら前へ、前へと突き進む、そのような正体不明の「大きな船」……それが目下の、ことによると「大学」の姿ではないのか知らん、という気が僕はするのであるが、はたして君は、どうであろう。

しかも、それは単に、この和歌山大学という、一地方大学の枠を超えて、ひょっとすると日本中の、それどころか世界中の、多くの大学で共有されている、うまく言い表すことはできないけれども、それにも拘らず、それは「実感」としか言い表すことのできない何か、であったのではあるまいか。とりわけ、僕のように怠惰で、怠慢で、いつもゴロゴロしているのが好きな人間からすると、人間の成長(growth=植物の緑化)は、働いている時ではなく、休んでいる時に、また、起きている時ではなく、眠っている時に、生じているのであり、生じざるをえないのであって、その意味において、働いている時は休んでいる時のために、起きている時は眠っている時のために、存在しているに違いない、と常々、僕は考えているのであるが、それは君の目には、間違った考え方に映るであろうか?

ともかく、このようにして僕自身が、あるいは僕の周囲が、どんどん忙しく、慌ただしくなり、そのことで、僕の生活や人生の中から、次第に、休んでいる時や眠っている時が減り、端的に言えば、僕が成長を遂げるための時間が少なくなるのは、いたって困ったことであり、大袈裟に言えば、それは僕にとっての死活問題(!)である、とすら評して構わない。――と、このような文章を綴っている最中(さなか)に、ふと窓の外に顔を向けると、僕の目線の彼方には、ほぼ今から100年前に夏目漱石が登り、僕自身もフーフーと息を吐きながら、何度か足を運んだことのある、和歌浦の奠供(てんぐ)山が見えており、その姿は気が付くと、しばらく前の、暑い夏の盛りとは一変し、もう秋の衣替えを終え、木々の梢を秋の風が揺らしている、まさしく秋の山になっているのには驚かされる。

このような時、僕は決して戯言(ざれごと)を言ったり、無粋(ぶすい)きわまりのない「風流」(風の流れ)を気取ったりしたい訳では、さらさら無いけれども、このような折には決まって、習慣のようにして『古今和歌集』(巻第四、秋の歌)の冒頭歌の、藤原敏行(ふぢはら・の・としゆき)の歌――「秋来(き)ぬと/目にはさやかに/見えねども/風の音にぞ/おどろかれぬる」を唱えて、ひとしきり感慨に浸ることにしている。ただし、この歌が今から1100年以上も前の、いわゆる「秋立つ日」(立秋)に詠まれた歌であり、言い換えれば、それは現在の私たちのカレンダー(calendar=朔日、月立ち→ついたち)では、何と、8月7日に当たっており、夏の真っ盛りであることを想い起こすと、さすがに背筋の寒くなるような感じがすることも、付け加えておかなくてはならない。

ところで、話は飛ぶようであるが、この夏休み中に1本だけ、僕は映画館に出向いて、映画を観たけれども、それは何を隠そう、宮崎駿(監督)の『風立ちぬ』であった。もっとも、この映画自体は、それほど僕の興味を引かなかったし、そうかと言って、この映画の中に登場する、数々の喫煙シーンについて、あれこれ仕様の無い議論をする気も、僕は持ち合わせてはいないのであるが、それでも、この映画の題名が堀辰雄の同名の小説から採られている点、さらに遡って、それがポール・ヴァレリーの詩集を典拠にしている点については、いささか気に掛かっている。その所為(せい)もあって、目下、僕の手許には学生時代に読んだことのある、その詩集(鈴木信太郎訳『ヴァレリー詩集』岩波文庫)が置かれている訳であり、せっかくなので、その詩の一節を、君にも紹介しておこう。

 

――海よ、今

風 吹き起る…… 生きねばならぬ。一面に

吹き立つ息吹は 本を開き また本を閉ぢ、

浪は 粉々(こなごな)になつて 巌(いはほ)から迸(ほとばし)り出る。

飛べ 飛べ、目の眩(くるめ)いた本の頁(ページ)よ。――

 

なお、この詩は日本語では、一般に「海辺の墓地」と訳されているが、フランス語の原題は“Le Cimetière Marin”であり、実際に南フランスの、地中海沿岸の港町であるセット(Sète)には、これと同じ名の墓地があり、その墓地には、この地で生まれ、この地を愛した、この詩の作者(Ambroise Paul Toussaint Jules Valèry)も、一族と共に葬られている。そして、この詩の中の、前掲の一節(風 吹き起る…… 生きねばならぬ:原文Le vent se lève, il faut tenter de vivre)に、堀辰雄は例の、きわめて印象の深い訳文(「風立ちぬ、いざ生きめやも」)を宛がい、これをエピグラフ(題辞)として掲げつつ、彼が婚約者(矢野綾子)の死と引き換えにして、彼自身にとっては出世作となった作品(『風立ちぬ』)を出版するに至るのは、昭和13年(1938年)のことであった。

そのような「海辺の墓地」に、僕は何時か、一度は行ってみたいものだな……と、ずっと学生の頃から思っている。が、すでに述べた通り、もっぱら家の中でゴロゴロしたり、時には机に向かい、文章を読んだり、書いたりしているのが一番、性に合っている僕は、なかなか思い立って、遠く海の向こうの、詩人の墓地を訪ねる気は起きないのが実情である。でも、この夏休みに僕は、実は北海道の函館で、もう一人の、日本の詩人の「海辺の墓地」を訪ねることが叶い、それが丁度、彼岸の中日(9月23日=秋分の日)に当たっていたこともあって、お墓参りも兼ね、これまた学生時代から念願の、石川啄木の歌(「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」)との、対面を果たしたのである。――「函館の青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花」(『一握の砂』)

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