ホームメッセージ怠惰への讃歌 ――「教養」の来た道(44) 天野雅郎

メッセージ
メッセージ

怠惰への讃歌 ――「教養」の来た道(44) 天野雅郎

君は、ラッセルという哲学者の名を、これまで聞いたことがあったろうか? この哲学者は、正確に書くと、第3代ラッセル伯爵、バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell)という、実に長ったらしい名の、いわゆる貴族(nobles the nobility)――子細に言えば、侯爵(marquis)の下で、子爵(viscount)の上の、伯爵であり、初代のラッセル伯爵(ジョン・ラッセル)は、19世紀の中盤にイギリスの首相を二度も務めた人物であった。そして、その初代から数えて三代目に当たるのが、この哲学者であり、その名付け親(ゴッド・ファーザー)も、これまた19世紀のイギリスを代表する哲学者の一人の、ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)であったのであるから、恐入谷鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)。

もっとも、そのような経緯で、このラッセルという哲学者が誕生する頃には、もう一方のミルの余命は、わずか一年足らずしか残されておらず、彼がアヴィニョン……例の「アヴィニョン捕囚」(=「ローマ教皇のバビロン捕囚」)で有名な、南フランスのアヴィニョンに滞在中、不幸にも急性伝染病の丹毒(erysipelas=深紅の皮膚)に感染し、逝去するに至ったのは、この翌年(1873年)のことになる。その点、言ってみればイギリスの哲学の歴史の、ある種の血脈は、19世紀から20世紀へと、この二人の哲学者を通じて、かろうじてバトン・タッチをされたことにもなるのであるが、さらに興味深いことに、彼らは共に、それぞれの家系や家族の事情によって、そろって学校教育(school education)とは無縁の、好むと好まざるとに拘らず、いわゆる「英才教育」の申し子でもあった。

ちなみに、そのようなミルが晩年になって、スコットランドで最も古い、1413年――私たちの国の年号で言えば、ようやく室町幕府が全国統一を果たし、文字通りの「南北朝時代」が終わりを告げたばかりの、應永20年(!)に創設されて、現在ではゴルフ(golf)発祥の地(「ゴルフの聖地」)としても、その名を知られている、セント・アンドルーズ大学(University of St Andrews)の学長を務め、なおかつ、この大学の名誉学長になった折の就任講演が、有名な『大学教育について』(1867年)である。幸いにも、この就任講演は目下、廉価な文庫本(岩波文庫)で、たやすく読めるから、ぜひ君も手に取って欲しい限りであるが、この就任講演については、再度、大学における「教養教育」の重要性と、その必須性という点から、あらためて僕は、君に話を聴いてもらう予定である。

ところで、このようにしてラッセルという、この哲学者の生まれた年(1872年)は、私たちの国の年号で言えば、明治5年に当たっており、この年には、この一連の文章(「教養」の来た道)でも述べてきたように、例えば福澤諭吉の『学問のすゝめ』が出版され、記録的なベスト・セラーになったり、日本では最初の「学制」が、フランスの教育制度を取り入れ、公布されるに至ったり、これまた歴史上、私たちの国で最初の「女学校」(官立女学校→東京女学校)が生まれたりした年であった。さらに、この年には江戸時代の、いわゆる士農工商の身分制度に替わって、今度は皇族・華族・士族・平民の、新しい「四民」が姿を現し、徴兵制が布(し)かれ、太陽暦が採用され、東京(新橋)と横浜間に鉄道が開通し、要するに、それは私たちの国の近代化の正体が、暴露された年でもある。

考えてみれば、これは途轍もない事態であったはずである。なぜなら、私たちの前に突然、例えば「鉄道」が敷かれ、文字通りの「線路」が走り、その上を「機関車」が轟々(ゴウゴウ)と音を立てて通り過ぎる、それだけでも、この頃の日本人には驚天動地の光景であったに違いない。が、それにも拘らず、そのような「鉄道」や「線路」や「機関車」は、元を正せば、イギリスから輸入された「舶来品」であり、そこには半世紀に及ぶ、時の隔たりが介在してはいても、それが同じ一つの世界(world)であることには、まったく変わりがなかったからである。しかも、そのような世界は奇しくも、この同年(1872年)にフランスで、ジュール・ヴェルヌの発表した小説(『八十日間世界一周』)を通じて、もはや「世界一周」(Le tour du monde)をも先取りされ、実現されていた世界であった。

さて、そのようなグローバル(global)な、まさしく「球状」化をした世界が出現する時代の真只中(まっただなか)に、たまたま生まれ落ちた、ラッセルという哲学者のことを、なぜ今回、僕は君に話し始めたのであろう。……と言うと、すでに察しの好い君は、そのまま今回の表題(『怠惰への讃歌』)が、かつて1935年(昭和10年)に刊行された、彼のエッセー集の題名(In Praise of Idleness, and Other Essays)であることに、感づいてくれているのではなかろうか。最近、とは言っても、それは今から4年前(2009年)のことになるけれども、この本は平凡社ライブラリー版で、あらためて読み直すことのできる状態になっており、そのことを僕が発見し、このエッセー集のページを再度、僕が捲(めく)ってみる気になったのが、そもそも今回の、このブログの成り立ちである。

実際、僕の目の前に置かれているのは、1958年(昭和33年)に角川書店から出版された文庫版であり、その訳者も平凡社ライブラリー版と同じ、堀秀彦(ほり・ひでひこ)と柿村峻(かきむら・たかし)の二人であったから、この二人の翻訳者が存命中ではない以上、この二つの翻訳の間にも異同はないに違いない、と僕は勝手に決め込んでいる次第。ともかく、この文庫本を僕は、どうやら奥付(おくづけ)を見ると、大学2年生の時分、すなわち1975年(昭和50年)になって買い求めたらしく、それはラッセルが、まだ亡くなってから5年しか経っていない頃であって、例えば彼の『西洋哲学史』や、あるいは『哲学入門』や『幸福論』や、場合によっては『教育論』や『懐疑論』あたりが、さかんに大学生によって読まれ、いわゆる「教養書」の一つであった時代の、遺物(^^;)である。

と言ったのは、このようなエッセー集の一つ(『結婚と道徳』)が対象になり、彼が哲学者でありながら――と言っては語弊があるが、きわめて例外的な「ノーベル文学賞」の受賞者となり、世間の注目を集めた頃から数えると、せいぜいラッセルの読者層は一世代(30年)が限度で、これが長続きをするのは無理なのか知らん……と、ついつい僕は諦めムードに浸っていたからである。その意味において、この数年来のラッセル復活(?)は、やはり僕には嬉しく、とりわけ『怠惰への讃歌』が、ふたたび新しい読者を獲得する日の来ることを願わずにはいられない。なにしろ、この本に述べられているのは、単純に言えば、君が一日、4時間(!)の勉強をして、それ以外の時間は、君が「自分の時間」として有意義に、君の「人生の幸福と歓喜」のために使いなさい、という主張であったから。

教養の森に関するお問い合わせはこちらまで 和歌山大学学生センター 学務課

| 所在地:〒640-8510 和歌山県和歌山市栄谷930 | 電話番号:073-457-7130 |

Copyright ©2012 - 2017 Wakayama University