ホームメッセージ「お正月」について ――「教養」の来た道(50) 天野雅郎

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「お正月」について ――「教養」の来た道(50) 天野雅郎

謹賀新年。唐突ではあるが......という書き出しで、昨年(平成25年・2013年)の年頭は最初に、まず二葉亭四迷(ふたばてい・しめい)の話を君に聴いて貰(もら)うことから、この一連の文章(「教養」の来た道)を僕はスタートさせている。振り返れば、彼(本名:長谷川辰之助)が僕の郷里(島根県松江市)で、わずか3年ばかりの歳月を過ごし、現代風に言えば、そこで「思春期」に付き物の――きっと、後で想い起こした時には顔から火が出るほどに恥かしい、幾つもの体験を積み重ねた後、彼が僕の郷里を離れ、東京に向かってから、もう今年(平成26年・2014年)で135年余りの時間が経ったことになる。それ以降、二葉亭四迷は二度と僕の郷里を訪れることはなかったけれども、僕自身は例年と同様、いつもの通りに、生まれてから60回に近い新年を、僕の郷里で迎えた次第である。

ところで、このようにして人間(human being)が、文字通りに指を折り、ある種の時間の流れを、あれこれ頭の中で数えること自体が、はなはだ人間的(human)な行為であり、能力であり、きわめて人間に固有の特権であることを、君は気が付いていたであろうか。気が付いていなかったのであれば、例えば、君は和歌山大学のキャンパスで、つい半月ほど前に年の瀬を迎えた、と察せられる一匹の猫(=^_^=)が、ああ、これで今年も終わりだニャ~、来年で幾つになるのかニャ~、最近、おいら(あたい?)の目も耳も、かなり見えなくなってきたし、聞こえなくなってきたし、そろそろ御陀仏(おだぶつ)が近いのかニャ~......と一度でも、その肉球の付いている指(手の指? 足の指?)を折り、数を数えている姿に遭遇したことがあるのか、どうか、つらつら考えてみることを勧めたい。

ちなみに、このようにして日本語(と言うよりも、和語)で、いわゆる数(かず)を数(かぞ)える、という言い方をする際の、その、名詞(かず)にしても、動詞(かぞえる←かぞふ)にしても、どちらの語の頭にも、そろって被(かぶ=頭)せられている「か」という語が、もともと日(か=ひ)の意味であり、例えば、二日(ふつか)三日(みっか←みか)四日(よっか←よか)五日(いつか)六日(むいか←むゆか)七日(なのか←なぬか)八日(ようか←やうか)九日(ここのか←ここぬか)十日(とおか←とをか)――と言った具合に、そもそも数を数える、という行為は日本語において、そのまま日日(ひにち:ひ→訓読、にち→音読=呉音、漢音→じつ)を数(かぞ←かそ=日添)えることに他ならなかったことは、すでに君が小さな頃から、よく知り尽くしている通りである。

そのような君の、あるいは僕の、小さな子供(child=子宮の果実)の頃を、いろいろ想い起こしながら、今回は実は、とても和歌山に縁(ゆかり)の深い、俗に言う、言文一致唱歌(すなわち、口語唱歌)の走りでもある、あの『お正月』(もう幾つ寝ると、お正月~♪)を紹介しておこう。この歌が、おそらく滝廉太郎(たき・れんたろう)の作曲した歌であることを、どこかで君も聞いたことがあったのではなかろうか? と、僕は勝手に決め付けている(^^;)のであるが、その一方で、この歌の作詞をしたのは、現在の和歌山県新宮市の出身で、もともとピアニストでもあり、幼稚園の音楽の先生でもあり、日本で最初の童謡......厳密に言えば、いまだ「童謡」の誕生以前の、童謡の作詞家と評して構わない、由比(ゆい)くめ女史であったことは、あまり知られていないのではあるまいか。

彼女が、この歌を始めとして、これまた和歌山県新宮市の出身で、教育学者であった東基吉(ひがし・もときち)と結婚し、その名を「東くめ」と改め、やがて『幼稚園唱歌』(全20曲)を刊行するに至るのは、明治34年のことであり、それは滝廉太郎の短い生涯(満23歳)に即して言えば、彼の逝去の、わずか2年前でもあれば、それは同時に、ちょうど20世紀が始まりを告げた年(1901年)でもあった訳である。なお、この歌以外に、例えば『鳩ぽっぽ』や『雪やこんこん』が彼女の代表作として知られているけれども、これらは残念ながら、かつて君や僕が口ずさんだことのある、あの「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ、豆がほしいか、そらやるぞ~♪」(『鳩』)や「雪やこんこ、霰(あられ)やこんこ、降っては、降っては、ずんずん積る~♪」(『雪』)と同じ歌ではないので、念のため。

 

もう幾つ寝ると お正月

お正月には 凧(たこ)あげて

独楽(こま)を回して 遊びましょう

はやく来い 来い お正月

 

もう幾つ寝ると お正月

お正月には 鞠(まり)ついて

追羽根(おいばね)ついて 遊びましょう

はやく来い 来い お正月

 

さて、このようにして君も僕も、小さな子供の頃、この歌を口ずさみながら、文字通りに自分の幼い指を折り、数を数え、やがて訪れる「お正月」を、待ち望んだ時分があったのではなかろうか? 裏を返せば、その当時の「お正月」とは、君にとっても、僕にとっても、そこで何かが生まれ、まったく新しい姿を纏(まと)って現(あらわ=露・顕)れる、いたって特別な時間――と言うよりも、瞬間(moment=契機→運動原因)であったはずである。そして、その神秘的(!)な瞬間が訪れて、端的に言えば、すっかり世界が様相を変え、新(あたら←あらた)しく、装いを改(あらた)める事態が到来するのを、君や僕は、夜の帳(とばり)の中で、それとも夢(ゆめ←いめ=寝目)の中で、ひたすら指(ゆび←および)を折り、掻(か)き数(かぞ)えては、待ち続けていたに違いない。

でも、それから随分と時間が経って、僕の指は君の、おそらく若い、しなやかな指とは違って、至る所に傷の付いた、皺(しわ)の入った、かなりゴツゴツした指に、姿を変えてしまっている。けれども、そこは「亀の甲(こう)より年の劫(こう=功)」という格言(これって、要するに「駄洒落」ですか......?)の通りに、今では放っておいても、ただちに僕の指は『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「指」の語を引いて、そこに僕の大好きな、凡河内躬恒(おおしこうち・の・みつね)の歌を発見し、この歌が何と、どうやら私たちの国で、最古の「ゆび」の語の使用例であるらしい(!)という点も含めて、僕に数々の情報を伝えてくれるのであるから、有り難い。――「過(す)ぐしてし/年を幾(いく)らと/数ふれば/指(ゆび)も暇(いと)なく/老いにけるかな」(『躬恒集』)

と言った次第で、これまた最後に、指折り数えてみると、このブログも今回で、ちょうど50回目(^O^)の、記念すべき節目を迎えることになる。僕自身の心境は、もう子供の頃とは打って変わって、ことさら歳月の移り変わりに際しても、また、このような物事の節目に当たっても、それほど特別の感慨を催すことが少なくなってしまったのであるが、強いて言えば、かつて高濱虚子(たかはま・きょし)が吟じた、あの有名な「去年今年(こぞことし)」の句(去年今年/貫く棒の/如きもの)のような心境であることを、いささか君に伝えたく......そうかと言って、それでは余りにも、無芸無能なのは分かり切っているから、ここでは以下、彼の長男(高濱年尾)と、その次女(稲畑汀子)の、親子三代に亘る「去年今年」の句を順に並べて、君への「お正月」の挨拶に、替えることにしよう。

 

会ひたしと 思ふ人あり 去年今年

淋しさは 淋しさとして 去年今年

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