ホームメッセージ「旧暦」と「改暦」の話 ――「教養」の来た道(51) 天野雅郎

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「旧暦」と「改暦」の話 ――「教養」の来た道(51) 天野雅郎

前回、僕は君に「お正月」について、あれこれ話を聴いて貰(もら)ったのであるが、今回も再度、同じ「お正月」の話を続けたい。なぜなら、たまたま今日(1月31日)は、旧暦の「お正月」であるから。……と言って、このまま君に、僕の話を続けても構わないのか、どうか、いささか不安な気がしないでは(^^;)ないので、今回は最初から『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引いて、その「旧暦」の語の説明文を君に紹介することから、この稿をスタートさせよう。――すると、そこには第一番目に、まず「古い暦。昔、用いられた暦」という語釈が掲げられていて、この語が元来、中国の宋代の嘉祐5年(1060年)に編まれた、中国の正史の『新唐書』(歴志上)に由来する語であったことが分かると共に、さらに江戸時代の日本でも、この語は使われていた語であったことが分かる。

今回、僕が使っている「旧暦」という語も、当然、字面(じづら)の通りに旧(ふる=経る)い暦(こよみ)のことであるから、その意味においては君も、さしあたり「旧暦」のことを「古い暦。昔、用いられた暦」という形で理解してくれて差し支えはない。が、その際に「古い暦。昔、用いられた暦」と言う時の、その「古い」とは、どの程度に「古い」のか、あるいは「昔」とは、どの程度に「昔」なのか……と言い出すと、かなり難しい、ややこしい話を、僕は君に聴いて貰わざるをえないのであって、その「ややこしさ」に、まるで君が「ややこ」(稚児)のように愚図(ぐず)ったり、その難(むつか)しさに憤(むつか→むづか→むずか)って、ブツブツと文句を言ったり、ヒイヒイと泣き出したりするのではなかろうかと、ちょっと心配にならざるをえないのが、正直な所である。

なにしろ、そのような大学生が昨今、僕の身の周りには溢(あふ←はふ)れており、何か、難(むつか)しい語や難しい話に出会うと、すぐに憤(むつか)り出して、イヤイヤ(嫌嫌・厭厭←否否=イナイナ・イエイエ)をし始めたり、機嫌(きげん)を損(そこ)ねて、授業中の講義室から出て行ったりする大学生が、増え続けているからである。あるいは、このようにして露骨(=露な骨!)に、不快な感情や態度を表に出す側がいるかと思えば、そのような不機嫌ぶりが高じたのか、これまた露骨に、ウトウトと浅い眠りを催したり、場合によってはグウグウと、深い、深い眠りに落ち込んでいったり、まるで少し前まで、ヒイヒイと泣き続けていた子供が泣き疲れ、すねてみたり、眠ってみたりするような、それは、それは無邪気な、あどけない大学生も跡を絶つことがないからである。

もっとも、そのような大学生が結果的に、間違っても僕の、このブログ(blog←weblog=「蜘蛛の巣」集?)の読者である心配は、文字どおりの杞憂(『列子』)であろうし、たまたま何かの間違いで、そのような大学生が僕の、この一文を読み始めたとしても、この時点では多分、とっくの昔に「蚊帳(かや=蚊屋)の外」に出て、すっかり蚊(か)に血を吸われて、痒(か・ゆ)い、痒い、と手足を掻(か)いている頃であろうから、僕は君に安心して、先刻の「旧暦」の話を続けることができるに違いない。なお、君は蚊(か)という日本語(と言うよりも、和語)が、もともと擬声語(onomatopoeia)であり、かつて日本人の耳には、おそらく「ブ~ン」という羽音ではなくて、そのまま「カ~」という羽音を立てて、闇の中を蚊が飛んでいるように聞こえていたことは、知っていたかな?

閑話休題。それでは、仕切り直して「旧暦」の話を続けると、ここでも『日本国語大辞典』に再度、ご登場を願って、その用例の紹介を済ませてしまうのが、話は早い。――と言ったのは、この「旧暦」という語の第一番目の語釈(「古い暦。昔、用いられた暦」)に対して、その用例に『日本国語大辞典』が挙げているのは、江戸時代の中期の、天台宗の僧侶で、漢詩人としても知られている、六如(りくにょ)の漢詩集(『六如庵詩鈔』)であったから。ちなみに、この六如(俗名:苗村慈周)という漢詩人が近江で生まれたのは、享保19年(1734年)のことであり、亡くなったのは、享和元年(1801年)のことであったが、そのような彼の漢詩集の中から、ここで「旧暦」の用例になっているのは、日付を見ると、寛政9年(1797年)の漢詩(「秋日郊行雑詩」)であったことが、窺われうる。

と言うことは、この当時、彼は「旧暦」という語を用いて、どのような暦を、実際上の具体的な暦として、指し示していたのであろうか? と問うと、その答えも実は、ふたたび『日本国語大辞典』の「語誌」の欄に書かれていて、それは貞観4年(862年)に採用されて以降、何と823年間(!)に亘り、私たちの国で歴史上、最も長い間、使い続けられた「宣明歴(せんみょうれき)」であった次第である。この暦は、もともと中国で唐の時代に、徐昂(ジョ・コウ)なる人物が作成し、長慶2年(822年)から使われ出した暦であって、この暦(正式名称:長慶宣明暦)を日本に齎(もたら)したのは、貞観元年(859年)の渤海使(烏孝慎)であり、これを当時の、いまだ数えの10歳に過ぎなかった清和天皇が……と言うよりも、その摂政であった藤原良房が採用し、使い始めるに至る訳である。

そして、この暦は本場の中国では、わずか70年余りの使用の後、景福元年(892年)には廃止されてしまうにも拘らず、その頃、ちょうど中国との国交を絶った日本では、驚くべきことに、古代から中世を経て、近世(すなわち、江戸時代)の中期の貞享元年(1684年)まで使い続けられ、この時、その名の通りの「貞享暦(じょうきょうれき)」が登場し、いわゆる「改暦」という歴史的大事件が惹き起こされるまで、延々と生き延びることになる。――と、ここまで話を進めてくれば、この「貞享暦」を作成したのが、例の冲方丁(うぶかた・とう)の小説(『天地明察』)や、その同名の映画(監督:滝田洋二郎)で有名になった、渋川春海(しぶかわ・はるみ)に他ならず、この暦が日本人の手によって作られた、最初の国産暦であることも、すでに君は気が付いてくれているのではなかろうか。

でも、この「改暦」から後も、さらに「貞享暦」から「宝暦暦(ほうりゃくれき)」へ、さらに「宝暦暦」から「寛政暦(かんせいれき)」へ、さらに「寛政暦」から「天保暦(てんぽうれき)」へ……長くて70年(貞享暦)の、短くて30年(天保暦)の、度重なる「改暦」が繰り返され、そして、その「改暦」が目下、停止状態にあるかに見えるのが、現在の君や僕が使っている(使わされている?)「グレゴリオ暦」(Gregorian calendar)であり、この「新暦」を日本では、明治5年(1872年)に採用し、その翌年から使い続けて、今に至っている。と言うことは、このヨーロッパ生まれの、キリスト教暦を使い始めて、今年で日本は142年目を迎えたことになり、その142年目の「お正月」を、つい一月前、2014年(平成26年)1月1日として、君や僕は迎えた次第。―― A Happy New Year!

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