ホームメッセージ十字路に立つ大学 ――「教養」の来た道(55) 天野雅郎

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十字路に立つ大学 ――「教養」の来た道(55) 天野雅郎

前回も再度、ひょんなことから林達夫(はやし・たつお)の名を書き記すことになり、そのことで僕自身は、引き続き驚いている始末であるが、その前の回から登場して貰(もら)っている、例の金関丈夫(かなせき・たけお)と林達夫が一年の違いで、それぞれ明治30年(1897年)と、その前年の生まれであったことは、僕にとっては無視しえない、重要な点である。なにしろ、前回も君に伝えておいたように、私たちの国の「教養」の歴史は、そこに理念や観念が独り歩きをしている、単なる抽象的(abstract)な歴史の歩みではなくて、それらの理念や観念を生きた、一人一人の人間の、生活や人生を抜きにしては成り立たない、はなはだ具体的(concrete)な歴史の歩みであったから。その意味において、結果的に「教養」の歴史は繰り返し、具体化(embodiment)をされる必要がある。

と言うことは、そのような具体化のために必要な、ある特定の個人(すなわち、誰か)の身体や肉体や――要するに、いわゆる体(からだ)を媒体にして、そもそも「教養」の歴史は語られるべきであって、ここに精神や霊魂や、いわゆる心(こころ)の次元を持ち込むのは、二の次の話であり、後回しにしても構わない、と僕自身は考えている。でも、そのような考え方は、ひょっとして君が硬直した、カチカチ(ガチガチ?)の頭の持ち主(失敬……^^;)であり、ことあるごとに、すぐに精神や霊魂の話を持ち出さないと納まりの付かない、言ってみれば、精神主義者や霊魂主義者(?)なのであれば、いざ(正しくは、いさ)知らず、おそらく君は若い、いたって柔軟な思考の持ち主であろうから、このような僕の考え方にも、それほど目くじらを立てることは、ないのではあるまいか。

例えば前々回から、ご登場を願っている金関丈夫が、父親の仕事で故郷の香川県から、岡山県と福岡県を経て、結果的に明治44年(1911年)に僕の郷里(島根県松江市)に移り住み、そこで数えの15歳から20歳(はたち=はた+ち)までを過ごしたのは、いくら彼がメソジスト(Methodist)派のキリスト教徒であり、プロテスタントであったとしても、それは単に、彼の精神や霊魂の次元の話ではなく、むしろ彼の――当世風に言えば、中学生から高校生への、さらに浪人生への、はなはだ多感な頃の経験(と言うよりも、体験)と、それを産み出した、彼の身体や肉体の次元の話であって、それを彼自身の、個人の歴史(ヒストリー)や物語(ストーリー)として、受け取り直す必要がある、と僕(すなわち、旧制「県立松江中学校」の後輩)は感じるのであるが、君の感想は、どうかな?

ところで、僕は今回の、このブログの表題に、いささか奇妙な名(十字路に立つ大学)を付けているけれども、これが林達夫の同名の文章の、その表題をパクッタ(m(_ _)m)ものである点に、おそらく君は気が付いてくれていないに違いない。と言ったのも、この同名の表題の文章を君が読もうとすれば、君は平凡社から、かつて刊行された『林達夫著作集』の中の、その第6巻(『書籍の周囲』)を図書館(「天野図書館」?)で借りるか、ちょっとだけ金を積んで、この本を古本屋で買い求めるしか、ないからである。もっとも、この文章自体は幸いにも、その後で中公文庫の『共産主義的人間』にも、あるいは岩波文庫の『林達夫評論集』にも、それぞれ収められているから、君の運次第では、これらの文庫本を古本屋の、ことによると100円コーナーで、発見することがない訳ではあるまい。

ちなみに、このようにして1970年代から1980年代へと至る、林達夫の著作と並んで、ちょうど2000年(平成12年)には、ふたたび平凡社から、全3冊の『林達夫セレクション』が出版されている。が、残念ながら、こちらの方は僕の手許には揃っていないので、そこに「十字路に立つ大学」が含まれているのか、いないのかは分からない。――と書いてから、いささか気になったので、調べてみると、どうやら現在、林達夫の著作で、新本で購入が可能なのは、講談社文芸文庫の『林達夫文芸論集』(2009年)と、中公クラシックスの『歴史の暮方・共産主義的人間』(2005年)のみのようである。と言うことは、この内の後者には、ここで話題にしている「十字路に立つ大学」が確実に収められているはずであるから、その気になりさえすれば、この文章に君も、目を通すことは可能であろう。

なお、この文章には副題が付いていて、そこには「困った教授、困った学生」と書かれている。と言うことは、この文章は当時……と言ったのは、この文章が日本評論社の発行する雑誌(『日本評論』)の11月号に掲載された、1949年(昭和24年)のことであり、それは何と、今から65年(!)も前の話であったけれども、そこには驚くべきことに、目下の日本の大学と寸分(すんぶん)たがわない、実に奇妙な、不可思議な人間関係(人間模様?)が描き出されており、そのような日本の大学を、結果的に林達夫は「十字路に立つ大学」と呼び、その大学の内部で、文字どおりに「困った教授、困った学生」として振る舞う、多くの人の姿を活写している。――と書けば、君は一人の和歌山大学生として、そもそも和歌山大学が何時、創設された大学であるのかを、知らないはずはないよね?

はたして、そのような「困った教授、困った学生」の面々が、どのような状態(と言うよりも、生態)であったのか、それは直接、君に林達夫の「十字路に立つ大学」を手に取って、読んで貰うに、しくはない。でも、それでは余りにも、君に僕のサーヴィス(service=奴隷奉公)の精神を疑われることになってしまうと、嫌なので、ここでは簡単に、当時の教室風景を紹介しておこう。「人はみな教室という建物とその機能を知っているつもりになっている。しかし私の実感からこれを定義しようとすると、教室とは複雑にして怪奇な所業の行なわれる場所で、それを単純に勉学の場所だなどとはいささかも思えないのである。教室とは教師側からいっても学生側からいっても、「良心」の見地からみれば、はなはだいかがわしい、多元的な心理劇の行なわれている、グロテスクな舞台なのである」。

具体例を挙げよう。と言っておきながら、そろそろ紙幅も尽きてきたので、今回は君と同じ、学生側の「所業」に留めざるをえないが、それは教室で、例えば試験の際に「種本の受売りを克明に筆記している点取虫」、それから「前の晩身を入れすぎたマージャンのための睡眠不足を取り戻す絶好のチャンスとばかり、講義の声を子守唄にすやすや眠りこけている」学生、逆に「きまって後ろの定席らしいところに屯(たむ)ろして学友との漫談の方に忙しい」学生、あるいは「講義が始まる途端、目に見えぬある不可抗力に駆られて小説本や新聞を披(ひら)いて読みはじめる」学生、ひいては「急に絵心が起こって教師をモデルにせっせと写生の一時間としゃれのめす」学生、そして極め付けは「堂々とヴァイオリンの稽古を後方の空間で開始する音楽狂」……このような、地獄絵図であった。

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