ホームメッセージあふげば、たふとし ――「教養」の来た道(59) 天野雅郎

メッセージ
メッセージ

あふげば、たふとし ――「教養」の来た道(59) 天野雅郎

今日は雨、昨日は晴。と言う訳で、昨日(3月25日)は無事、和歌山大学の「卒業式」が行なわれ、多くの「大学生」が「卒業生」となり、本学の学舎を後にした次第。でも、その内の何人が、はたして「卒業式」を「学位記・修了証書授与式」(正式名称!)として受け止め、自覚することが出来たのか知らん......と、このような物騒な話は止めにして、僕は君と、いつものノラリクラリの話に興じたいのであるが、困ったことに、人生の大半の時間を「大学」という場所で過ごしていると、いろいろ余計な習性が身に付くらしく、ついつい「卒業生」(graduate)とはヨーロッパの中世に、現在の「大学」(univarsitas)という制度が生まれた頃に、ラテン語で「学位取得者」(graduatus)のことを称したのが始まりである、と薀蓄(ウンチク)の一つも傾けたくなるのであるから、始末が悪い。

ちなみに、そのような「卒業生」という語を表題にした映画として、ただちに僕は、あのマイク・ニコルズ(Mike Nichols)が1967年に監督し、同年のアカデミー賞(監督賞)を受賞した映画で、その名の通りの『卒業生』(The Graduate)を想い起こすけれども、このような「アメリカン・ニューシネマ」の代表作も、ひょっとすると君の目には、もう半世紀近くも前(厳密に言えば、47年前)の、古臭い映画にしか映らないのかも知れないね。もっとも、それならば君も、例えば「卒業式」の日に決まり切った、古臭い袴(はかま)姿を身に纏(まと)い、まるで矮鶏(チャボ)のように(失敬......^^;)チョボチョボと歩いている「卒業生」を見て、その男女両性具有的(androgynous? hermaphroditic?)な出で立ちの由来を、一度、真面目(まじめ)に考えてみるべきでは、ありませんかな。

――と、このような爆弾発言をしたくて、わざわざ僕は、今回、この一連の文章(「教養」の来た道)の筆を執っている訳では、さらさら無い。が、はなはだ有体(ありてい)に言えば、この数年来、きわめて画一的(uniform)な、まさしく制服(ユニフォーム)に身を包んだかのような「卒業生」の姿を見ていると、はたして彼ら(あるいは、彼女ら)は、そもそも何を卒業し、その卒業の先に、今度は何を始業(!)しようとしているのか知らん......と、決して他人事(ひとごと)ではなく、気になって気になって、僕は仕方がないのである。なぜなら、いたって単純な話、僕自身にとって「大学」とは、そのような制服(ユニフォーム)を、お揃いで身に付ける必要のない、小学校とも中学校とも、高校とも違う場所として存在していたし、今でも存在しているに違いない、と信じているから。

ところが、どうも僕の周囲の「卒業生」を見回すと、そのような場所として「大学」を理解し、言ってみれば、それまでの制服(ユニフォーム)を脱ぎ捨て、いわゆる私服――私服警官や私服刑事や私服軍人の私服ではなく、単に「私の服」という意味での私服に着替え、その意味において、正真正銘の「大学生」としての4年間......それどころか、5年間であれ6年間であれ、7年間であれ8年間であれ、とにかく、本来の「大学生」としての時間を過ごした(と、少なくとも僕の目には見える)のは、ほんの一握りの「卒業生」に限られているから。と言うことは、結果的に一人の人間が高校生から「大学生」になり、さらに「卒業生」となるためには、ひょっとすると4年間という時間では足りず、もっと長い時間が必要なのか知らん、と言うのが僕の、昨今の「卒業生」に対する感想である。

なお、そのような「卒業生」を『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で、試しに引いてみると、そこには「学校を卒業する者。または、その学校を卒業した者」という、これでは一体、語釈になっているのか、いないのか、よく分からない文面が掲げられてから、用例には明治19年(1886年)の「帝国大学令」(第四条「分科大学の卒業生」)が挙げられている。ただし、この当時の「卒業生」は前々回、君に伝えておいたように、いまだ「9月学年始期制」の段階の「卒業生」であるから、この時分の「卒業生」が「卒業式」を迎えたのは、今のように「4月学年始期制」の「卒業生」とは違い、春(3月)ではなく、夏(7月)であったことになる。したがって、この語の語釈の末尾に≪季〔語〕・春≫という補足を『日本国語大辞典』は加えているけれども、これは当然、大正時代以降の話である。

ところで、そのような夏(7月)に「卒業式」が執り行なわれ、その式場(セレモニー・ホール)において、例えば「文部省唱歌」の『仰げば尊し』が歌われていた(仰げば尊し、我が師の恩~♪)とすれば、その光景は、どのようなものであったろうか。仮に君が、そのような問い(question=探求)に興味を持ち、ぜひとも一度、そのような光景を目にしてみたいのであれば、その際には、あの侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の『冬冬(トントン)の夏休み』(1984年)の、冒頭部分を観て貰(もら)うに若(し)くはない。この映画については、すでに昨年の「夏休み」に、僕は君に、このブログ(子細に言えば、第37回「台湾映画と、夏の思い出」と、第39回「三丁目の夕日の、見える場所」と、それから第41回「『グランパ』の威厳」)を通じて、あれこれ話題を投げ掛けておいた。

実際、この映画では主人公(冬冬)が、小学校の「卒業式」で『仰げば尊し』を歌った後、小学生から中学生へと、成長を遂げるための物語(ストーリー)が始まることになっている。が、その成長(growth=植物の発育)のために必要であったのは、皮肉なことに小学校の「卒業式」であるよりも、むしろ「おじいちゃん(グランパ)」と過ごした「夏休み」の体験であったし、この映画の冒頭で歌われているのも、当然、日本語版の『仰げば尊し』ではなく、中国語(台湾語?)版の『仰げば尊し』(『青青校樹』)であった。でも、君や僕には、やはり日本語版の『仰げば尊し』でなくては、ピンと来ないのが実情であろうから、かつて明治17年(1884年)に発行された『小学唱歌集(第三編)』の中に、収められている形のままの『仰げば尊し』の歌詞を、以下に掲げておくことにしよう。

 

あふげば たふとし わが師の恩

教への庭にも はや いくとせ

おもへば いと疾(と)し このとし月

今こそ わかれめ いざさらば

 

互ひにむつみし 日ごろの恩

わかるゝ後(のち)にも やよ わするな

身をたて 名をあげ やよ はげめよ

今こそ わかれめ いざさらば

 

朝ゆふ なれにし まなびの窓

ほたるのともし火 つむ白雪

わするゝ まぞなき ゆくとし月

今こそ わかれめ いざさらば

 

さて、このようにして書き写してみると、この歌自体が旧仮名遣いの上に、もはや現在の日本語では使われておらず、ほとんど死滅してしまった言い回しも混じっているので、この歌を君が歌ったり、聴いたりする折には、それ相応の困難が付き纏(まと)うに違いない。また、それよりも何よりも、このような「仰げば尊し」という感情を、はたして今の日本人が、みずからの心の中で実感をすることが叶うのか、どうか――この難問を抜きにして、この歌を「卒業式」で合唱したり、あるいは『蛍の光』を合唱したりしているだけでは、おそらく「教への庭」も「まなびの窓」も、君や僕の手の届くものとは、なりえないのではなかろうか。そのようなことを考えつつ、今日は「卒業式」の翌日の雨の中、僕は我が家で、市川準(監督)の『あおげば尊し』(2006年)を、鑑賞し直した次第。

教養の森に関するお問い合わせはこちらまで 和歌山大学学生センター 学務課

| 所在地:〒640-8510 和歌山県和歌山市栄谷930 | 電話番号:073-457-7130 |

Copyright ©2012 - 2017 Wakayama University