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孤独について ――「教養」の来た道(60) 天野雅郎

孤独について......と題する一文の冒頭を、ブレーズ・パスカルの遺稿集(俗に言う『パンセ』)の一節(「この虚無の空間の永遠の沈黙は私を戦慄させる」)で始めているのは、三木清(みき・きよし)の『人生論ノート』(昭和16年・1941年)である。ただし、その原文はフランス語で、Le silence éternel de ces espaces infinis m'effraie.と書かれているから、ごく一般的な日本語に置き換えれば、この一節は「この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させる」と訳されるであろうし、今、実際に僕の掌(てのひら=手平)に乗っている、中公文庫(1973年、中央公論社)の『パンセ』(前田陽一・由木康訳)を見ると、そのように訳されている。と言うことは、ことさら三木清はフランス語の、infiniという形容詞を「無限の」ではなく「虚無の」と、置き換えたことになるのであろうか?

――と、このように書き始めて、いささか気になったので、僕は先刻、手許(てもと=手元)の『三木淸全集』で『人生論ノート』を探し出し(第一巻でした......^^;)その「孤独について」の冒頭を開いてみると、そこには何と、同じ『パンセ』の一節が「この無限の空間の永遠の沈黙は私を戦慄させる」と訳されているでは、あ~りませんか。と言うことは、と僕は繰り返すけれども、どうやら三木清が『人生論ノート』を雑誌(『文學界』)に連載していた時点で、子細に言えば、この「孤独(正しく書けば、孤獨)について」という一文は、昭和15年(1940年)4月号に掲載されているけれども、ついつい彼は、うろ覚え(かん違い?)の状態で『パンセ』の一節を引用したのか、それとも、たまたま僕が目にしている新潮文庫(1954年版)が誤った記載をしているのか、どちらかであろう。

まあ、どちらでも構わないけれども......と、いつもの優柔(不断?)な頭の使い方を、僕は次に掲げる通り、これまたブレーズ・パスカルの『パンセ』(前田陽一・由木康訳)の断章に擬(なぞら)えて、自分自身の知性(intellect=中間選択能力!)の最大目標に挙げているが、そもそも君は、この「優柔」という日本語が明治時代以前には、一人の人間の長所や美徳(文字どおりに、優しい姿や柔らかな形)を指し示す語であったことを、知っていたであろうか? また、それが突然、明治時代以降になってから、今度は「優柔不断」という形で使われ出し、そのことで逆に、この語が「煮えきらないこと。はきはきしないこと。また、そのさま」(『日本国語大辞典』)を指し示す語となり、もっぱら「ぐずぐずして物事の決断の鈍いこと。また、そのさま」(同上)を意味する語となったのを。

 

人が〔、〕その偉大さを示すのは、一つの極端にいることによってではなく、両極端に同時に届き、その中間を満たすことによってである。(断章番号:B353)

 

人間の魂の偉大さは、中間にとどまるのを心得ることである。偉大さは、中間から出ることにあるどころか、そこから出ないことにあるのである。(断章番号:B378)

 

ちなみに、ここで僕が、このパスカルの『パンセ』の断章番号として挙げているのは、かつてレオン・ブランシュヴィック(Léon Brunschvicg)の編集した、いわゆる「ブランシュヴィック版」(1897年)の断章番号であり、君がパスカルの『パンセ』を読む際にも、もっとも標準的(スタンダード)な断章番号となりうるものである。が、もともとパスカルの『パンセ』は彼の死後、遺稿(posthumous work)として1670年に刊行されたものであったから、その編集の方針が異なれば、そこには相当に違った「遺稿集」が姿を現すことも、君は頭に入れておいた方が好都合であろう。この点については、たまたま三木清も『人生論ノート』の「後記」において、このような「編輯者(へんしゅうしゃ)の仕事の文化的意義」を力説しているので、ぜひ君にも、そのページを捲(めく)って欲しい。

そう言えば、三木清の最初の著書(いわゆる「処女作」)も、このパスカルに因んだ、その名の通りの『パスカルに於ける人間の研究』であったが、この本が大正から昭和へと、私たちの国の年号の切り替わる年(1926年)に出版された時、いまだ彼自身は、ドイツのハイデルベルクとマールブルクと、それからフランスのパリを経由して、ヨーロッパへの留学から帰国したばかりの、ちょうど数えの30歳に過ぎなかった。そして、この翌年、彼は京都から東京へと生活の拠点を移し、若くして法政大学の、文学部哲学科の主任教授となり、また、この同じ年に創刊された、日本で最初の文庫本(「岩波文庫」)の立案者となり、あの「読書子に寄す」の一文(「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。......」)を起草したことでも知られている。

ともかく、そのような三木清のことを、僕が今回、君に紹介しようと思い立ったのは、これから屡(しばしば)、僕は君に彼の話を聴いて貰(もら)う必要がある、と感じているからに他ならないが、それに加えて、たまたま僕が大学生であった頃、いちばん愛読した「哲学者」の一人が彼であったことも、大きな理由の一つである。幸運なことに、当時(昭和40年代後半!)は、いまだ三木清の「文庫本」の幾つか――例えば、新潮文庫の『人生論ノート』や『哲学ノート』や、角川文庫の『読書と人生』や、あるいは講談社文庫の『哲学と人生』が、いたって容易に入手することの出来た時代であり、それらの「文庫本」を読み漁(あさ)りつつ、それが機縁の一つとなって、結果的に僕は、大学で「哲学」の勉強を始め出し、とうとう「卒業論文」にもパスカルの『パンセ』を選んだ次第である。

もっとも、その頃の「卒業論文」は、今の大学とは違い、学生が一人で......今回と前回の、このブログの内容に即して言えば、もっぱら学生が「孤独」になり、自分自身が「大学生」となり「卒業生」となるための作業であり、そこに「卒論ゼミ」という名の、はなはだ奇妙な授業は存在していなかったし、学生側が望むのか、教員側が望むのか、よく僕には分からないけれども、教員と学生が相互に密着し、癒着しつつ、共同作業のようにして進める「卒業論文」の作成も、まったく意味を成さなかったのが実情である。まあ、僕自身は今でも、そのような共同作業で「卒業論文」を仕上げるのを、愚の骨頂と考えているから、僕を「卒業論文」の指導教員に選ぶ「大学生」(ひょっとして、君......^^;)には、結果的に「孤独」な「卒業論文」を、ひたすら書き上げて貰うしか、ないのであるが。

そのような君のために、今回は残りの紙幅を使って、これまで紹介をしてきた、三木清の『人生論ノート』の中から、その「孤独について」の断章の幾つかを、次に書き留めておくことにしたい。――これまで君が、このような「孤独」の理解の仕方を、したことがあったのか、なかったのか、僕には判断が付かないけれども、少なくとも君が、単に「孤独」を寂しいことや、一人ぼっちの状態と勘違い(!)していたのであれば、それは「大学生」として、かなり恥ずかしい頭の使い方であることは知っておいて欲しいし、やがて君が「大学生」から「卒業生」となり、いわゆる「社会人」となっても、君が「孤独」から解き放たれることは、いっこうに無く、むしろ、ますます君は「孤独」と向かい合わざるをえないことも知っておいて欲しい。なぜなら......三木清よ、その理由を語り給え!

 

孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。「真空の恐怖」〔アリストテレス〕――それは物質のものでなくて人間のものである。

 

孤独は内に閉じこもることではない。孤独を感じるとき、試みに、自分の手を伸して、じっと見詰めよ。孤独の感じは急に迫ってくるであろう。

 

感情は多くの場合〔、〕客観的なもの、社会化されたものであり、知性こそ主観的なもの、人格的なものである。真に主観的な感情は知性的である。孤独は感情でなく知性に属するのでなければならぬ。

 

物が真に表現的なものとして我々に迫るのは孤独においてである。そして我々が孤独を超えることができるのは〔、〕その呼び掛けに応える自己の表現活動においてのほかない。〔中略〕表現することは物を救うことであり、物を救うことによって自己を救うことである。かようにして、孤独は最も深い愛に根差している。

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