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ボランティアは、お好きですか? ――「教養」の来た道(65) 天野雅郎

ボランティアは、お好きですか? ――と訊かれたら、はたして君は、何と答えるであろう。好きです、と答える側であろうか。嫌いです、と答える側であろうか。まあ、どちらでも構わないけれども......と、またもや抜きました、伝家の宝刀 
m(_ _)m 。なお、この「伝家の宝刀」という語を英語で言うと、どうやらlast resort(=最後の手段)やtrump card(=切り札・奥の手)という言い回しになるようであるが、そもそも「伝家の宝刀」を『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の語釈のように「いざ〔、〕という大事な時以外めったに用いないもの、事柄、手段などをいう。奥の手。切り札」と受け取るならば、結果的に僕の「伝家の宝刀」(「どちらでも構わないけれども」)は、ほとんど「伝家の宝刀」とは呼べない、いたって日常的な、台所庖丁くらいのものであったことになる。

さて、そのような台所庖丁(キッチン・ナイフ)を使い、僕が今回、君に調理をし、食べて欲しい(!)と願っている料理は「ボランティア」である。――が、正直な所、この「ボランティア」という語が、あまり僕自身は好きでは(^^;)なく、したがって、今回の表題(「ボランティアは、お好きですか?」)のように、この語の好き嫌いを尋ねられたら、僕個人は当面、嫌いです、と答えざるをえない側の人間であることを、まず率直に、君には告白して(コクって?)おくべきであろう。理由は簡単で、この「ボランティア」という語は元来、志願兵や義勇兵を意味する英語(volunteer)に由来する語であり、この語の対語である「ドラフト」(draft→徴兵)と並んで、これらの語が自分の口からポンポンと飛び出すことになるのを、僕は御免(ごめん)を蒙(こうむ)りたいからである。

言い換えれば、このような軍事用語(military term)を平然と、声高に叫びつつ、場合によっては義務的な「ボランティア」や、場合によっては強制的な「ボランティア」まで、よく訳の分からない「ボランティア」が、堂々と罷(まか)り通っていること自体、僕は普段から、いささか気持ちが悪くて、仕方が無いのである。ただし、このような僕の、気持ちの悪さ(これって、君は「キモさ」と呼んだりするのかな?)は、はなはだ単純に、この語の文字表記の上での話でもあって、どうして英語のvolunteerという語を、日本語でカタカナ書きにする際に、これを日本人は「ヴォランティア」と表記しないで、揃いも揃って「ボランティア」と表記するのかなあ、はるかに「ヴォランティア」の方が好ましいのになあ......という疑問が、困ったことに、僕の頭からは離れてくれないのである。

分かりやすい例を挙げれば、君は英語のviolence(=暴力)という語を、日本語のカタカナで表記する際に、これを「バイオレンス」と書く側であろうか、それとも「ヴァイオレンス」と書く側であろうか。あるいは、勝利のvictoryは「ビクトリー」であろうか、それとも「ヴィクトリー」であろうか。処女のvirginは「バージン」であろうか、それとも「ヴァージン」であろうか。吸血鬼のvampireは「バンパイア」であろうか、それとも「ヴァンパイア」であろうか。――と言った調子で、僕自身は恥かしながら、この齢に至っても、かつて(1960年代!)のコニー・フランシスや、弘田三枝子の顔を想い起こしつつ、やはり「夏休み」(summer vacation)は「サマー・バケーション」ではなく「サマー・ヴァケーション」(V-A-C-A-T-I-O-N 夏休み~♪)だよなあ、と思い込んでいる次第。

もっとも、このような表記の中にも、案外、人間の奥床しい価値(value→バリュー? ヴァリュー?)や、美徳(virtue→バーチュー?ヴァーチュー?)は隠されているのであって、例えば楽器の、violaやviolinを「ビオラ」や「バイオリン」と書くのか、それとも「ヴィオラ」や「ヴァイオリン」と書くのかで、その人の、楽器に対する愛着は窺われるし、あるいは声(voice→ボイス? ヴォイス?)や、その声を発し、歌うこと(vocal→ボーカル?ヴォーカル?)や、その声を震わせること(vibration→バイブレーション? ヴァイブレーション?)で、そこから君や僕が生き生きした状態(vivid→ビビッド? ヴィヴィッド?)になり、心や体に力(vitality→バイタリティー?ヴァイタリティ―?)が漲(みなぎ)るような気持ちがするのも、このような文字表記の影響ではなかろうか。

......と、このように書き記している内に、実際、僕自身の気持ちも不思議なことに、何か浮き浮きしてきた(viva=万歳!→ビバ? ヴィヴァ?)から、もう少しだけ、続けて君に文字表記の選択方法を、振り返って貰(もら)おうか知らん。――と言う訳で、今度は以下の、有名な地名や人名や、おまけに神名である。 Venice(べニス? ヴェニス?) Versailles(ベルサイユ?ヴェルサイユ?) Verona(ベローナ? ヴェローナ?→「ああ、ロミオ様、ロミオ様!」) Vietnam(べトナム? ヴェトナム?) Vergil(バージル? ヴァージル?) Vivaldi(ビバルディ? ヴィヴァルディ?) Voltaire(ボルテール?ヴォルテール?) Verlaine(ベルレーヌ? ヴェルレーヌ?) Venus(ビーナス? ヴィーナス?) Via dolorosa(ビア・ドロロサ? ヴィア・ドロロサ?→キリストの「悲しみの道」)

さて、このようにして振り返ると、いかにも些細(trivial→トリビアル? トリヴィアル?)な、このような文字表記の選択方法(ヴァか? バカ? おっと、間違えました。バか?でした......)が、突き詰めるならば、一人の人間の言語感覚(すなわち、言語を用い、考え、生きるための、その人の固有のセンス)を深層において規定し、それを表現するものに他ならないことを、君は理解してくれているのではあるまいか。すなわち、このようにして表層に浮かび上がり、漂っている、字面(じづら=文字の表情)の機微(subtlety)や、その陰影(nuance)を抜きにして、一人の人間の言語感覚や言語能力を測定することは不可能であり、裏を返せば、一人の人間の言語感覚や言語能力は、このような些細な、文字表記の選択方法にこそ、現われざるをえない(「神は細部に宿り給う」)のである。

もちろん、どちらの表記(ヴァか? バか?)を選んでも、それは君の自由であり、そこには別段、正解と不正解がある訳でもないから、君は先刻の、僕の問い掛けによっては、これまでの君の習慣を改めるには至らないであろう。けれども、このような小さな、ほんの僅かな「心遣い」や「気配り」が、実は君の、これまで「ボランティア」(「ヴォランティア」?)と呼んできたものに他ならないことを、僕は君に伝えたい。なぜなら、もともと英語のvolunteerという語は、確かに最初、17世紀の初頭の頃、軍事用語として使われ出し、やがて志願兵や義勇兵を意味する語となるが、この語自体の、はるかに源(みなもと=水の本)へと遡ると、そこには人間の「自由意志」(free will)を求める、さまざまな声が谺(こだま)していることを、ぜひ君には、知っておいて貰いたいからである。

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