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黄金週間、風と共に去りぬ ――「教養」の来た道(67) 天野雅郎

五月になって、連休(「ゴールデン・ウィーク」)に入り、ようやく大学も新学期の慌ただしさに一段落の付いた、今日この頃である。――と言った、もっともらしい極文句(きまりもんく)を使い、今回、このブログの筆を執りたかったのは山々(やまやま)であるが、実は困ったことに、今日(5月12日)は連休も終わりを告げてから、すでに一週間近くが経っている(......^^;)。一応、この連休には僕も、家族を連れて(連れられて?)郷里との間を行き来はしたけれども、いささか事情があって、のんびり気晴らしをしている訳には、いかなかった次第。それに対して、この連休を君が文字どおりの「ゴールデン・ウィーク」として満喫することができたのであれば、きっと君は僕とは違って、それ相応に御休(おやすみ=安+息→安息)の時間を楽しむことも叶ったのでは、あるまいか。

まあ、その分、しなくても構わないような買い物(ショッピング)をするために、わざわざ車(car→この語が元来、サンスクリット語で、インド起源であったのを、君は知っていたかな?)に乗って、長蛇の列を作り、ブツブツと文句を言いながら、やれショッピング・センターだ、やれショッピング・モールだ、と浅はかな愚行(folly←fool)を犯さずに済んだのは、まさしく物怪(もっけ←もののけ!)の幸いであるが。――もっとも、しばらく前の大学とは違って、恐ろしいことに今の大学は、祝日であれ、休日であれ、1回でも授業回数(全15回)に不足が生じると、その分、決まって補講をしなくてはならなかったり、代替授業日が回って来たりしてしまうので、ほとんど「ゴールデン・ウィーク」の有難味(ありがたみ=滅多に無い美味)も、感謝の対象とはならないのが実情である。

なにしろ、それが天災(natural disaster)であろうと、人災(man-made disaster)であろうと、お構いなしの状態で、とにかく授業回数を一律に守らなければならないのであるから、恐入谷(おそれいりや)の鬼子母神(きしもじん)。ああ、何とも嫌(いや)な御時勢(ごじせい)になったなあ......と、この語(「ゴールデン・ウィーク」)の産声を上げた頃の日本のことを、いささか身を以て知っている世代としては、ついつい時代錯誤(anachronism=時間遡及主義)を承知の上で、あえて映画館の一つにも足を運んで、映画の一つでも観てみようか知らん、と密(ひそか→漢文脈、和文脈→みそか)に思わない訳ではない。と言ったのは、もともと「ゴールデン・ウィーク」とは「はじめは、休日つづきで観客がふえる映画界で用いられた語」(要するに、映画業界用語)であったから。

なお、この語釈を掲げている『日本国語大辞典』(2006年、小学館)には、その用例に昭和27年(1952年)の『新聞語辞典』(朝日新聞社)が挙げられていて、そこには「ゴールデン・ウィーク」が「わが国の映画界ではラジオのゴールデン・タイムにならって五月のはじめごろをゴールデン・ウィーク(黄金週間)と称し、最優秀映画を競って上映し、観客をひきつける宣伝をする」と紹介されている。と言うことは、この語の周囲には、たまたま前回、僕が君に話をしたばかりの「ラジオ」や、この翌年(昭和28年)から放送を開始することになる「テレビ」が、お互い、三つ巴の客引き合戦をしていたことにもなるのであるが、それにしても、この頃の「ゴールデン・ウィーク」には映画館で、それぞれ「最優秀映画」が上映されていたのであるから、それは何とも、羨ましい限りである。

言い換えれば、この「ゴールデン・ウィーク」という語が生まれ、使われ出した頃には、ちょうど日本映画界に「黄金時代」が訪れ、そこには戦前(1930年代)の、第一の「黄金時代」に続いて、第二の「黄金時代」が到来していた訳である。ちなみに、この「黄金時代」(golden age)の方は歴(れき→れっき)とした外国語であり、例えばヘシオドスの『仕事と日々』にも、ちゃんと顔を出している語であるから、完全な和製英語の「ゴールデン・ウィーク」とは、土台、出自が違っている。でも、この「ゴールデン・ウィーク」の方も、その出自とは裏腹に、その背後には「テレビ」の登場に押されて、徐々に衰退の兆(きざし=気差し)を見せ始める、日本映画界の「白銀」や「青銅」や、場合によっては「英雄」や「鉄」の時代も、その姿を覗かしていたことが、見逃されてはならない。

また、それは日本が、この前年(昭和26年)の「サンフランシスコ平和条約」の調印の結果、再度の主権(sovereignty=君主の身分)を回復し、独立国家(!)として国際社会に復帰することになる、その、まったく同じ年の出来事であったことも、すでに君は了解してくれているに違いない。その点で、この年に刊行された『新聞語辞典』(前掲)の帯にも、次のような興味深い宣伝文が書かれているので、参考までに引いておこう。――「時代とともに言葉も限りなく動いて行く。ことさらに新奇を好む要はないが、時代に生きる言葉、正確な新聞語を頭に入れておかなければ、めまぐるしい世界の動き、国内の推移を的確につかむことが出来ない。独立日本の国民として是非とも知って(原文:知つて)おいて頂きたい最も新しい、正しい新聞語を豊富に収めた朝日新聞社の新聞語辞典!」

ところで、この年(昭和27年)に日本(「独立日本」)で、いちばん多くの観客を動員した映画(すなわち、興行成績ナンバー・ワンの映画)の題名を、君は知っているであろうか。......と尋ねられて、まさか君は自分が生まれる前のことなど分かるはずがありません、と応じる薄情(cold-hearted=冷たい心臓)の人間ではなかろうし、このような質問に答えられても、答えられなくても「どこ吹く風」の、いたって鈍感(thick-skinned=ぶ厚い皮膚)の人間でもあるまいが、それは君と同様、この時点においては「オギャ~」の一声も、この世では発してはいなかった、この僕も後年、映画館へと足を運び、いわゆる再上映(revival→リバイバル? リヴァイヴァル?)で観たことのある、あの、ヴィクター・フレミング監督の『風と共に去りぬ』(原題:Gone with the Wind)であった。

無論、主演はクラーク・ゲーブル(レット・バトラー役)と、ヴィヴィアン・リー(スカーレット・オハラ役)である。が、この映画は日本が、いまだ「太平洋戦争」(Pacific War→当時の日本の呼称は「大東亜戦争」)に突入する以前のアメリカで、すでに昭和14年(1939年)には公開されていた映画であって、この映画を戦時中に観ることができたのも、ごく少数の日本人(例えば、小津安二郎や徳川夢声)に限られていたから、この映画が戦後になって、ちょうど「ゴールデン・ウィーク」の生まれた年の秋(9月)に公開された時、それは日本では皮肉なことに、同じヴィヴィアン・リーが主演して、同じアカデミー賞(主演女優賞)を獲得した、この前年(1951年)の『欲望という名の電車』の方を先(5月)に観る、という摩訶(まか)不思議な経験をも、することになった訳である。

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