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明日は明日の、風が吹く ――「教養」の来た道(68) 天野雅郎

考えてみれば、映画とは摩訶(まか)不思議なものである。......と言った際の「摩訶」という語が、もともと梵語(ぼんご→「サンスクリット」=完成された言語)のmaha(マハー)の音訳であり、その意味は「大」や「多」や「勝」であることを、君は知っていたであろうか。――例えば、古代のインドの叙事詩であり、ヒンドゥー教徒の聖典でもある『マハーバーラタ』(mahabharata)や、ジャイナ教の開祖(バルダマーナ)に冠せられる「マハービーラ」(Mahovira)という尊称や、あるいは、戦後のインドの民族独立運動の指導者であった、あの、ガンジーに宛がわれる「マハートマー」(Mahatma)の称号も、ことごとく、この語と繋がり合っている。さらには、偉大な王様を意味する「マハーラージャ」(Maharaja)や、何よりも大乗仏教(マハーヤーナ=Mahayana)という呼び名が。

さて、そのような摩訶不思議な映画を、僕は子供の頃から大好きで、この連休(ゴールデン・ウィーク)の間にも、僕は子供の頃を想い起こし......と言う訳では、必ずしも、ないけれども、この語(ゴールデン・ウィーク)の起源に肖(あやか)り、実際に映画館に出向くことが叶わなかった分、我が家で山内鉄也(やまのうち・てつや)監督の『忍者狩り』(1964年)と、それから『怪竜大決戦』(1966年)を鑑賞した次第。でも、よく考えてみると、このようにして今から50年(半世紀!)も前の映画を、現在、ほとんど僕が違和感もなく観ることができるのであるから、これは摩訶不思議としか、言い様のない事態である。とは言っても、よほど君が映画好きではない限り、この監督の名前も、この二つの映画も、まったく君には、これまで目にしたことも、耳にしたこともなかったはず。

ましてや、この二つの映画の中で僕自身が、いちばん目にし、耳にしたかったのは、僕の大好きな俳優、天津敏(あまつ・びん)である。――とは言っても、この天下無双の敵(かたき=仇)役の存在自体が、君には皆目、見当が付かないよね(......^^;)。まあ、それでも君が、意外や意外、ひょっとするとテレビ・ドラマの『仮面の忍者・赤影』(1967年)で、甲賀幻妖斎(こうが・げんようさい)役を演じていた天津敏や、あるいは、例の長寿番組(通算1227回→これって『ギネス・ブック』の記録ですか?)の『水戸黄門』(第5部、1974年)で、鉄羅漢幻竜(てつらかん・げんりゅう)役を演じていた天津敏を、知っている可能性が、ない訳ではなかろうが、はっきり言って悪いけれども、それらは天津敏が稀代(きたい→きだい)の敵役としては、もう峠を越していた時期の作品である。

裏を返せば、この稀代の敵役が一番、その光を放っていたのは、テレビ・ドラマで言えば、昭和37年(1962年)から昭和40年(1965年)まで、大瀬康一(おおせ・こういち)を主人公(「秋草新太郎」役)にして、日曜日の「ゴールデン・タイム」(19:00~19:30)に放送されていた『隠密剣士』の、例えば水口幻斎(みなぐち・げんさい)役や風魔小太郎(ふうま・こたろう)役や、それから甲賀の金剛(こんごう)役を演じていた天津敏であり、それは年齢的に言えば、この稀代の敵役が40歳代の前半であった時期に当たっている。と言うことは、僕が先刻、君に紹介した映画においても、この境界線は明瞭であり、結果的に『忍者狩り』(昭和39年)は今でも、僕をワクワクさせたけれども、もう一方の『怪竜大決戦』(昭和41年)は、もっぱら僕をシンミリさせたに過ぎなかった。

その点で、残念ながら僕自身が、二度と『怪竜大決戦』を目にすることはないであろうし、ついでに、これまた我が家にストックされている、まったく同じ年の『大忍術映画・ワタリ』の中で、楯岡(たておか)の道順(どうじゅん)役を演じた天津敏も、これから僕が目にする機会は、やって来ないに違いない。ただし、それは別段、この稀代の敵役の功績を、僕が貶(おとし)めている訳ではなく、むしろ「俳優は滅びやすいもののなかに君臨している」という、アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』(1969年、新潮文庫)の一節を、逆に僕が信奉しているからに他ならない。――「俳優の栄光は〔、〕あらゆる栄光のうちでも〔、〕もっともはかないものだ。......あらゆる栄光のうちで、もっとも〔、〕ひとを欺かぬものは、栄光それ自体を生きている栄光である」(清水徹訳)。

それにしても、前回と言い、今回と言い、どうして映画の話をしていると、人は不思議(摩訶不思議?)に、せつない思いに浸(ひた)されるのであろう。そのように自問自答をしてみると、きっと映画は君や僕にとって、文字どおりに「せつない」ものであるからに違いない、と僕自身は考えている。すなわち、この「せつない」という語が指し示している通りに、一方において映画が「せつ」(切迫、切実、痛切)の「ない」ものであり、突き詰めるならば、君や僕の娯楽の一対象や一手段に過ぎないものでありながら、その一方で、このような「せつ」の「ない」状態から、逆に「せつ」の「ある」状態へと、それどころか、まさしく「せつ」の「ない」(=甚)状態へと、映画は君や僕を、導いてしまうのではなかろうか。あの、シェイクスピアの言葉("is and is not")のように。

その意味において、例えば前回、話題にしておいた『風と共に去りぬ』(Gone with the Wind)も、僕にとっては「せつない」映画の代表である。と言えば、この映画が「製作費600万ドル、総天然色、上映時間4時間」の、宣伝文句の通りに、むしろ仰々(ギョウギョウ)しい、かなり派手な映画であるイメージを君は持っているのではあるまいか。実際、この映画を僕自身は、学生時代に映画館で、休憩を挿んで観た記憶があるが、この映画の原作は君も知っているように、マーガレット・ミッチェルが10年の歳月を費やして書き上げながら、しかも、不幸なことに彼女の交通事故死により、生涯で唯一の作品となったものであるし、また、この映画の成功の背後には、やがて日本人が13年後(昭和27年)に目にすることになる、ヴィヴィアン・リーの虚ろな姿も、垣間見えているはずである。

そう言えば、この映画の最後の場面は、あの、スカーレット・オハラの有名な台詞(せりふ)で閉じられていたが、その台詞("Tomorrow is another day")を、これまで日本人は「明日は明日の、風が吹く」と訳して、今に至っている。が、これを最近では「明日という日がある」と訳すことも多くなっている様子。元来、この言い回しは『日本国語大辞典』(2006年、小学館)によると、江戸時代の最末期の歌舞伎(河竹默阿彌『上総綿小紋単地』1865年)において用いられたのが始まりであり、それが結果的に、やがて90年近い歳月を隔てて、いささか映画の内容とは違う形で、スクリーンの字幕を飾るに至ったようである。もっとも、僕自身は今後も、この言い回し(※)を従来どおりに、この映画を日本人が、はじめて目にした時のままで、宛がい続けるから、お構いなく。 m(_ _)m

 

(※)この言い回しを、以下のように『日本国語大辞典』は説明しているので、ご参考までに。――「今日はどんなことがあっても、明日はまあ、別のなりゆきになる。くよくよと心配しても始まらない、という楽観的な考え方をいう〔、〕ことわざ。明日のことは明日案じよ」。

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