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再度、学生の知能低下について ――「教養」の来た道(70) 天野雅郎

前回、僕は君に、三木清(みき・きよし)の「學生の知能低下に就いて」を紹介し、これまで日本の「学生」(すなわち、大学生)が、例えば1910年代と1930年代で、あるいは1970年代と2010年代で、どのように違う状況に置かれ、それにも拘らず、どのように似た状況に置かれてきたのかを、語り始めたのであるが、残念ながら、紙幅の都合で話が中途半端なままに留まっている。そこで今回は、あらためて三木清の「學生の知能低下に就いて」を取り上げ、彼が「学生」をしていた1910年代(要するに、君が「学生」をしている2010年代の、ちょうど100年前)と、それから彼が「學生の知能低下に就いて」を書き、当時の「事変後の学生」の特質を論じた1930年代について、再度、話を繋ぎたい。

その意味において、さしあたり君に知っておいて欲しいのは、いわゆる「満州事変」である。が、この「事変」(incident=偶発的小事件)については、すでに君も高校生の頃、君が受験勉強で「日本史」を選択していようとも「世界史」を選択していようとも、まったく言い逃れ(excuse=罪責免除)――「世界史は取っていません」とか「日本史は取っていません」とか、昨今の大学生が揃いも揃って口にする、お得意の台詞(せりふ→これを「おはこ」や、漢字で表記して「十八番」と言います)が通用しないほど、しっかり君の記憶の中に残っているか、せめて「一夜漬け」(これまた「十八番」と共に、もともと歌舞伎用語なのです)の状態には留まっているであろうから、この場では僕は、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引き、その語釈を君に提示するに留めよう。

昭和六年(一九三一)九月一八日、奉天(今の瀋陽)北方の柳条湖における鉄道爆破事件を契機として始まった日本の関東軍による満州(中国東北部)侵略戦争の日本での呼称。若槻〔禮次郎......僕の小学校の先輩です!〕内閣は不拡大方針をとったが、危機に立つ日本資本主義は経済的にも軍事的にも満州占領を望み、軍は政府の方針を無視して満州全土を占領、翌年三月に満州国を樹立した。以後一五年に及ぶ日中戦争の発端となった。中国では「九・一八事変」という。

さて、この語釈を読んでみて、はたして君は「満州事変」を、どの程度まで想い起こしてくれたであろうか? まあ、そのように問うている僕自身が、いたって曖昧な知識しか持ち合わせていない(^^;)ので、それほど大(たい)したことを言える立場では、ないけれども、例えば映画の、外国映画であれば『ラスト・エンペラー』(1987年)や、日本映画であれば『落陽』(1992年)や、いささか古いけれども、あの大作(三部作!)の『戦争と人間』(1970年~1973年)あたりを観れば、けっこう時代背景は分かるはず。あるいは、安彦良和(やすひこ・よしかず)の『虹色のトロツキー』(1990年~1996年)や、本宮ひろ志の『国が燃える』(2002年~2005年)や、それから、水木しげる『コミック昭和史』(1988年~1989年)あたりの漫画を捲(めく)るだけでも、ずいぶん効果はある。

ともかく、そのような「満州事変」を境(さかい)として、大きく日本の「学生」には変化が生じており、端的に言えば、ある種の階層化(classification? hierarchization? stratification?)までもが起こっている、と三木清は指摘する。しかも、そのような事態を惹き起こして、そこに重要な影響を及ぼしているのは、彼の言に従えば、この当時の日本――すなわち、かつて明治22年(1889年)に産声(うぶごえ=初声)を上げ、この年には、御歳(おとし? おんとし? おほんとし?)42歳(厄年!)の「大日本帝国」と、その「当局」の「文化政策」と「教育政策」であった由(よし)。と言う訳で、また君には『三木淸全集』の第13巻(評論Ⅰ)から、その「學生の知能低下に就いて」の一節を、ふたたび新漢字と新仮名遣いに改め、読んで貰(もら)うことになるので、よろしく。

満州事変後において国家の文化政策〔、〕教育政策は次第に著しく積極化した。この積極化によって果して今日の非常時における国家の必要とするような学生が作られているであろうか。事実は〔、〕この場合最も有力な批評者である。学生の健康が極めて憂うべき状態にあることは当局ですら認めざるを得ない事実である。しかし単に健康のみではない、学生の知能も低下してゆく傾向にあることは彼等の教育に従事している者の多くが気付いている事実である。しかも問題は〔、〕それに留まらない、更に道徳の方面においても同じことが見られるのではないであろうか。

......と、ここから三木清の、当時の「学生」への批判(criticism=危機的主張)が始まる訳であるが、それは単に、いわゆる主体(subject=下に置かれた者)である「学生」と、その責任(responsibility=義務履行能力)に対して向けられた批判であるよりも、むしろ客体(object=上に置かれた者)である「当局」と、その「当局」に擦(す)り寄り、身を寄せる、当時の「教育者」に対して向けられた批判であることを、君は勘違いをしないで欲しい。裏を返せば、彼ら(「教育者」)が「学生」に「一見リベラルな見方をし、種々好意ある解釈を加え、かくて学生をあまやかし、学生に媚びようとすらしている」ことをこそ、三木清は批判している。――「青年から希望を奪わないことは大切である。〔中略〕しかし同時に〔中略〕そのためにまた彼等をあまやかすの〔は〕間違っている」。

このように判断して、具体的に三木清が論じているのが、ほかならぬ「知能」の問題である。そして、そのような「知能」の最大の要素(element=運動契機)として、彼は「批判力」を持ち出し、そのような「批判力」が当時の「学生」から、急激に失われつつある事態を危惧している。「批判力は知能の最も重要な要素である。批判力を養成することなしに知能の発達を期することは〔、〕できぬ。しかるに今日の教育は青年の批判力を養成しようとは欲せず、却(かえ)って日本精神や日本文化に就いての権威主義的な、独断論的な説教を詰め込むことによって彼等の批判力を滅ぼすことに努めているように見える。日本精神や日本文化に就いて講義することが必ずしも悪いのではない。その独善主義的な、教権主義的な教育が青年の知能を低下させている事実を我々が黙視し得ないのである」。

いやはや、なんとも薄気味の悪い雰囲気になってきたなあ、と僕は感じているのであるが、君の方は、いかがであろう。例えば、このような「日本精神」や「日本文化」を教える授業が、君の周囲には存在するであろうか。存在するとして、それは君に「武士道」や、あるいは「茶道」や「禅」を教える授業であろうか。それならば、その授業を通じて、きっと君も新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)の『武士道』が、あるいは岡倉天心(おかくら・てんしん)の『茶の本』も、鈴木大拙(すずき・だいせつ)の『禅と日本文化』も、ことごとく英語で書かれた、その意味において「非日本的」な本であることを、しっかり君は受け止めてくれているに違いない。その点が、おそらく三木清の生きていた時代と、君や僕が生きている時代との違いであろう、と僕は安心をしているけれども、大丈夫......?

と言った辺りで、そろそろ今回の紙幅も尽きようとしている。最後に、それでは三木清が反対に、このような「批判力」を養い、その結果、君や僕の「知能低下」(^^;)を防ぐための方法として、どのような方法を挙げているのかを、付け加えておくことにしよう。――とは言っても、それは別段、変わった方法ではなく、はなはだ単純に、君や僕が「入学試験」の勉強(要するに、多種多様な受験勉強や試験勉強)はホドホドにして、手抜きをし、その分、逆に君や僕が「読書の趣味」を見出し、そのための機会を増やし、これを習慣化する、という方法に他ならない。な~んだ、と君は思う側であろうか、それとも、そのような「読書の趣味」を君が身に付けておらず、結果的に、そこから君の「青年らしい好奇心」がズタズタになっていることに、ようやく、気が付き始めた側であろうか。

この〔入学試験の〕準備勉強によって〔中略〕所謂(いわゆる)学力は低下しないにしても、それが知能の発達に益しないことは屡々(しばしば)云われている通りである。試験準備の勉強は学問に就いて功利主義的な或いは結果主義的な考え方を生じ、かような考え方は知識欲を減殺するのみでなく、知能を磨く上に有害である。昔の高等学校の生徒は青年らしい好奇心と、懐疑心と、そして理想主義的熱情とをもち、そのために〔、〕あらゆる書物を貪り読んだ。〔中略〕しかるに今日の高等学校の生徒においては、彼等の自然の、青年らしい好奇心も、懐疑心も、理想主義的熱情も、彼等の前に控えている大学の入学試験に対する配慮によって抑制されているのみでなく、一層根本的には学校の教育方針そのものによって圧殺されている。

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