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三度、学生の知能低下について ――「教養」の来た道(71) 天野雅郎

いやはや、これで三度(音読→サンド、訓読→みたび)の、相も変わらぬ「学生の知能低下について」の話である。そろそろ、この話にも切りを付けて、もう少し別の話題に話を切り替えようかな、そうしないと、ずいぶん僕は「しつこい」人間に見られるであろうし、とりわけ女性の目には、そのような「しつこい」男性は嫌われるに決まっているであろうし、とは思っているのであるが、何分、三木清(みき・きよし)の「學生の知能低下に就いて」の一文自体は、分量的に言って、これまで僕が君に話を聴いて貰(もら)っているのは、全体の三分の一ばかりであり、まだ三分の二ばかりが残っている、という恐ろしい事実が、現実なのである。――と言う訳で、今回も三木清の「學生の知能低下に就いて」の話(多分、これで最終回のはず......^^;)であるから、平(ひら)に、ご容赦を。

とは言っても、これまで話を聴いて貰っている限りにおいても、どうして僕が三木清の「學生の知能低下に就いて」に拘泥(音読→コウデイ、訓読→こだわり)を持っているのかを、君は察してくれているに違いない。なにしろ、この「學生の知能低下に就いて」の一文を読めば、読むほど、この一文の書かれた昭和12年(1937年)という年が、今から数えて、とうてい77年前とは思われない、はなはだ現在と似た、見様によっては、現在と瓜(うり)二つの物言いに、満ち満ちているからである。ちなみに、この「瓜二つ」という言い回しは、例えば英語の類似の言い回し(like as two peas in a pod)のように「一つの莢(さや)の中の二つのエンドウ豆」とは違い、二つの瓜が似ている、という比喩ではなく、二つに割った瓜が似ている、という比喩であったから、お間違えのないように。

さて――と、ここから再度、時間は今から77年前に戻るけれども、普段、君や僕は当然のように、大学の下には高校(すなわち、高等学校)が存在しており、その下には、さらに中学校と小学校が存在している、と思い込んでいる。でも、よく考えてみれば、大学と中学校と小学校が、このようにして整然と、順番(大・中・小)の通りに並んでいて、そこには数量的な、あるいは形状的な、上下の関係(大きい⇔小さい)が指し示されているのに対して、どうして高校だけは別の、これとは違った、空間的な上下の関係(高い⇔低い)を指し示しているのであろう......と君は今まで、一度でも疑問に感じたことはなかったであろうか。裏を返せば、高校とは対極の位置にあり、その対語となりうるのは、大学(≒大学校)や中学校や小学校ではなくて、変な話、低校(!)なのではあるまいか。

この疑問は、実は正当な疑問である。なぜなら、もともと私たちの国には大学以外の学校が、中学校と小学校しか存在しておらず――厳密に言えば、これに師範学校や専門学校や、それ以外の各種学校を加えた状態であった時代が、明治5年(1872年)から明治27年(1894年)まで、まるまる22年に亘って続いており、これに新しく、それまでの順番(大・中・小)を掻(か)き乱し、言ってみれば、この「三つ揃い」(trinity=三位一体)の状態を壊す形で参入してきたのが、ほかならぬ「高等学校」であったから。そして、きっと君も、その「高等学校」の生徒であった頃、この教育制度の一大変革については、ある程度、学習を済ませているはずであり、このブログの中でも、その間の「教育令」や「学校令」や、あの森有禮(もり・ありのり)の話を、すでに僕は、君に聴いて貰っている。

要するに、そもそも私たちの国に「高等学校」が姿を見せるのは、ちょうど今から120年前の出来事であり、それ以降、君や僕の前には当然のように、この「高等学校」という異物(?)が存在し、その結果、君や僕には「高等学校」の生徒(すなわち、高校生)であることが、ひょっとすると人生で一番、多くの難題を抱え込まざるをえない日々に、姿を変えてしまった訳である。その点においては、三木清も君や僕と同様、自分が一人の高校生であることに対して、それ相応の悩みを募らせていたのかも知れないね。もっとも、それが120年前の、いわゆる「第一次高等学校令」の公布の段階と、その次の「第二次高等学校令」の公布の段階(大正7年・1918年)では、官立と公立と私立の違いを始めとして、そこに再度、大きな開きが介在していることも忘れられてはならないのであるが。

論より証拠、今回も統計的(statistical=国家統制主義的)な数字を持ち出して、この間の推移を説明しておくと、どうやら現在、日本中には330万人を超える高校生がいて、彼ら、彼女らは合わせて、5千近い数の「高等学校」に通っているらしいが、これを僕が高校生であった時分と比較すると、例えば昭和45年(1970年)の時点で、何と日本中の高校生の数は逆に420万人余りであり、今よりも90万人も多く、これが4,800ばかりの「高等学校」に通っていたことが分かる(国勢社『日本国勢図会』参照)。さらに、これを三木清が高校生であった頃と比べると、例えば大正4年(1915年)の時点で、日本中の「高等学校」の数は8(冗談では、ありません!)であり、そこに通っていた高校生の数も、合わせて6,300人程度に過ぎない、という信じ難い数字に、君や僕は直面することになる。

このような数字に対して、おそらく君も僕も、それなりに言いたいことが......ない訳では、なかろうが、少なくとも三木清が「高等学校」に通っていた時分、彼が君や僕とは比べものにならない、ある種の特権(privilege=個人の恩恵)を意識し、まさしく「エリート」(elite=選ばれた者→選良・精鋭)の自覚を持っていたであろうことは、想像に難くない。また、そのような意識や自覚から、場合によっては鼻持ちのならない、彼の野心や欲望や、それこそ気障(きざ←きざわり)な言動が、次から次へと産み出されてきたことも、やがて僕は、君に聴いて貰う必要があるであろう。ただし、そのような高慢ちきな態度も、当時としては当然の、自然の態度であるかのように感じられたのが、この頃の「高等学校」であり、ひいては「大学」の、学生であり教授であったのも、確かであろう。

その理由として、僕は君に今回も、新漢字と新仮名遣いに改めた、三木清の「學生の知能低下に就いて」を引き、この当時、例の「事変後の学生」が、どのように困惑し、困窮した事態に陥っていたのかを、ふたたび明らかにしようかな、と思っていたのであるが、困ったことに、もう今回の紙幅も尽きようとしている有り様であり、どうやら次回も、この話の続きを、僕は君に聴いて貰うことにならざるをえないようである。 m(_ _)m と言った次第で、また次回も「よろしくネ~」と、文字どおりの「バイバイ」(bye-bye)の手を振る前に、最後に一つ、どうして当時の「事変後の学生」は、逆に三木清を始めとする「事変前の学生」から、ひどく蔑(さげす)まれることになったのか、その背景を、君には考えておいて貰うことにしよう。(これを、世間は一般に「宿題」と呼びます。)

私の知人の某教授は、今日の学校は一階級ずつ低下し、高等学校が中学になり、大学が高等学校になった、と云っている。〔中略〕例えば今日の高等学校の生徒にとっては大学の入学試験が大きな問題であり、その準備に多くの力が費やされている。それは〔、〕ちょうど昔の中学生が高等学校の入学試験に対するのと同じである。また以前は高等学校へ入れば家庭においても学校においても独立の人格として認められた。しかるに〔、〕この頃では、息子の大学の入学試験に対する親たちの態度は〔、〕ちょうど以前の中学生が高等学校の入学試験を受ける場合と同様であるとすら云われている。生徒に対する学校の干渉は〔、〕まさに昔の中学以上である。

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