ホームメッセージ六月八日を祝して ――「教養」の来た道(73) 天野雅郎

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六月八日を祝して ――「教養」の来た道(73) 天野雅郎

六月(ロクガツ)に、なりました。......でも、この「六月」という語(日本語?)を、どうして私たち(要するに、君や僕)は「ロクガツ」と、まったく躊躇(ためらい)もなく、当前(あたりまえ)のように「ロクガツ」と読むことが出来るのか知らん、と君は今まで、不審に感じたことはなかったであろうか。ちなみに、この「あたりまえ」という語も漢字(すなわち、中国文字)で書けば、本来は当然、これを当前(トウゼン)ではなく、その名の通りの「当然」(トウゼン→「当に然り」)と表記するのが正解であり、これを「当前」と書くと、漢字表記においては眼前や目前の意味になり、まったく違う語になってしまう。要するに、この「あたりまえ」という語は日本人が、たまたま漢字を誤って、間違って表記したことで生まれた、幸か不幸か、純然たる日本語であったことになる。

と言った次第で、今回の冒頭も随分、日本語(「ニホン」語?「ニッポン」語?)の奥の深~い話から、僕は君に、前回の続きを喋り始めているけれども、そもそも「六月」という語は『日本国語大辞典』(2006年、小学館)によると、その起源は中国の『詩経』に遡る語のようであって、その由緒は、実に正しい語であったことになる。が、この語の用例に『日本国語大辞典』が挙げているのは、ずっと時代が下って、平安後期(1100年)に催された『百座法談』(聞書抄)であったから、ひょっとすると、この語を日本人が「ロクガツ」と音読し、今の君や僕のように、ごく普通に用いるようになったのは、まだ千年紀(ミレニアム)には達しない、歴史の浅~い読み方であったのかも知れないね。なにしろ、それまでは通常、この語は日本語で「みなづき」と訓読されていたであろうから。

それに、この「六月」という語が古く、はるか昔に中国から日本(と言うよりも、日本の誕生以前の日本)へと輸入された時、それは当初は、おそらく呉音(=中国南方音)で「ロクゴチ」と発音されていたはずであって、さらに後世、この語が装いも新たに、今度は遣隋使や遣唐使を通じて、私たちの国に再上陸を果たした折にも、それは漢音(=中国北方音)で「リクゲツ」と発音されていたであろう。したがって、この語を私たちが「ロクガツ」と発音するのは、これまた前回と同様、言ってみれば日本人の大好きな、お得意の和漢折衷(ロク→中国音、ガツ→慣用音=日本音)の方法であったことが分かる。そして、このような方法こそが日本の、いわゆる「おいえげい」(御家芸)であったり「おはこ」(御箱・十八番)であったりすることを、ぜひとも君には、知っておいて欲しい。

さて、そのような六月の、今日は八日(訓読→やうか・やか・やひ、音読→ハチニチ=呉音・ハツジツ=漢音)であるが、たまたま僕は、この四月から「音楽文化論」という講義を、これまで続けてきた「翻訳文化論」という講義に替えて、新しく始めているけれども、その授業では、ドイツの作曲家で、評論家でもあり、いわゆる「ロマン派」(=「ロマン主義」音楽)の巨匠であった、ローベルト・シューマン(Robert Schumann)と、その妻の、クララ(Clara)の話をしている。そして、ちょうど今日(六月八日)は、そのシューマンの誕生日に当たっている。そこで、その「誕生日」(ドイツ語では、Geburtstagと言います。Alles Gute zum Geburtstag!=誕生日、おめでとう!)を祝して、このブログでも、彼に因(ちな)んだ話を君に聴いて貰(もら)おうか知らん、という訳である。

もっとも、この授業は時間帯が、夕方の4時30分から6時までの、5時限目という所為(せい)もあって、いっせいに和歌山大学では、カエルが「ケロ、ケロ」(=カエロー、カエロー)と鳴き出したり、カラスが「カー、カー」と塒(ねぐら)を目指したりする時間帯であったから、結果的に受講者は、わずか5人ばかりの講義であって、いわゆる演習(ゼミナール)形式の授業を別にすれば、僕個人にとっては、これまで和歌山大学で20年以上に亘って講義をしてきた中でも、もっとも少人数の授業である。なお、このゼミナール(Seminar)という語も、もともとドイツ語であり、英語のセミナー(seminar)と同じ意味であるが、私たちの国ではゼミナールが、すでに明治時代から使われていたのに対して、セミナーの方は戦後になり、ようやくアメリカから持ち込まれたのが順序である。

ところで、シューマンが生まれたのは今から二百年余り前の1810年であり、私たちの国の年号に直すと、文化7年になるけれども、この年には例えば、日本では緒方洪庵(おがた・こうあん)や、どうやら国定忠治(くにさだ・ちゅうじ)も生まれているようであるし、ヨーロッパでは、同じ「ロマン派」の代表的作曲家であり、あの「ピアノの詩人」と称された、フレデリック・ショパンや、あるいは、その愛人であったジョルジュ・サンドの、これまた愛人であった、詩人のアルフレッド・ド・ミュッセも生まれている。と言うことは、このような面々を一括りにする語として、現在、君や僕は「ロマン派」という語を手に入れているし、そのような形で、この語を用いる必要もある、という点を忘れないで欲しい。すなわち、医者にも博徒(侠客?)にも「ロマン派」は存在するのである。

さて、そのような時代背景を踏まえながら、さしあたり僕がシューマンのことで、ぜひとも君に伝えておきたいのは、彼が生まれた頃の、彼の家族の話である。――と言ったのは、たまたま今回の授業において使っている副読本(藤本一子『シューマン』2008年、音楽之友社)の中に、次のような興味深い一節を、僕は見つけることが出来たからであり、それはシューマンが、まだ生まれる前の、彼の父(アウグスト)と彼の母(ヨハンナ)の経歴を綴(つづ)った箇所であった。世の中には、俗に「蛙(かえる)の子は蛙」という諺(ことわざ)もあれば、その一方で「鳶(とび→とんび)が鷹(たか)を生む」や「孔雀(くじゃく)を生む」という、まったく逆の諺もあるけれども、さしずめシューマンの場合は、その才能を父から引き継いだ、文字どおりの「親子鷹」であったようである。

シューマンの父〔アウグスト〕は〔...〕たゆみない向上心と文学や学問への憧れを持つ青年だったようだ。十四歳で商人の資格を取り、一時ライプツィヒ大学に籍をおいたのち、二十二歳の年に〔...〕書籍商を開業してヨハンナと結婚した。著述家を志望していた彼は、翻訳も行いながら小説ほか著作を残している。書店を兼ねた自宅には四千冊もの書物が置かれ、近隣に私設図書館としての役割も果たすほどだったが、さらにこれを大規模に展開すべく、一八〇七年に〔...〕弟と「シューマン兄弟」出版社を立ち上げた。 

これが、シューマンの生まれる三年前の状況である。そして、この夫婦には結婚後、次々と子供が生まれ、シューマン自身は六番目の、末子(音読→マッシ=呉音・バッシ=漢音、訓読→すえこ)であった。ただし、その内の次女(ラウラ)は、シューマンが生まれる前年に亡くなり、長女(エミーリエ)も早世(自殺?)し、残りの、長男(エドゥアルト)も次男(カール)も三男(ユーリウス)も、それぞれ、あまり長くない人生を送ることになるのであり、皮肉なことに、この家族の中で最も長命であったのは、享年69歳であった母と、同じく53年の生涯を過ごした父であった次第。と言うことは、言うまでもなく、シューマン自身の人生も時間的に見れば、それほど恵まれたものではなく、その生涯(享年46歳)を、まさしく「ロマン派」の旗手として、シューマン自身は疾走するのである。

少年シューマンに〔、〕もっとも大きい影響を与えたのは、父の人柄と仕事だっただろう。著述家志望だったアウグストは、執筆と出版と書籍販売をきわめて勤勉に行ったようだが、その仕事には等しく啓蒙的な性格がうかがわれる。古典をはじめとする十六冊の書物を編纂・出版するかたわら、みずから文学的な週刊誌を創刊して、これは亡くなるまで続けられた。特筆されるのは、他国を含めた古典文学をドイツで初めて文庫本のシリーズで刊行したことだ。バイロンの『チャイルド・ハロルド』やスコットの小説をみずからドイツ語に翻訳して、生前に百冊以上も出版している。この企画は〔、〕のちのレクラム文庫に匹敵するもので、アウグスト・シューマンは現在もドイツにおける「文庫本の祖」として知られている。

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