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浪漫派音楽論(第一話)――「教養」の来た道(75) 天野雅郎

今回の表題の「浪漫派」は、カタカナ表記で「ロマン派」と書いても、まったく構わないし、その方が、おそらく君にとっても、馴染み易い表記になるのであろうけれども、どうやら日本語において、はじめて英語のromanに対して「浪漫」という当て字を用いたのは、あの夏目漱石(なつめ・そうせき)であったらしい点に敬意を表して、今回は「浪漫派」という漢字表記を宛がうことにする。でも、そのような「浪漫」という語を、はたして漱石自身は「ロマン」と読んでいたのか、それとも「ローマン」と読んでいたのか、はたまた「ラウマン」(ロウマン)と読んでいたのか、よく判断が付かないのが、僕にとっては困る......と言えば困る話であるが、そのような些細(trivial=三叉路)な、どちらでも構わないことに拘ってはいけない(!)と、漱石先生には叱られるに決まっている。

と言う訳で、今回も僕は君に、ローベルト・シューマンの話を続けて聴いて欲しい、と思っている。が、その前に先刻、枕に振ったばかりの、その名の通りの「ロマン派」の説明を済ませておくのが得策であろう。そこで、まず恒例の『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引くことから始めると、そこには最初に「ロマン主義者」とあり、この語(ロマン主義者)を参照してね、という矢印(⇨)が置かれてから、その後には夏目漱石の『野分』(1907年)の用例(「スコット一派の浪漫派〔ラウマンハ〕を生まんが為めに」)が挙げられている。もちろん、このスコットと言うのは、イギリス(と言うよりも、スコットランド)の詩人で小説家の、ウォルター・スコット(Walter Scott)のことである。そして、その次には第二の語釈として、まさしく「ロマン主義音楽」が掲げられている。

ただし、このようにして「ロマン派」から「ロマン主義者」へと歩を進めても、そこには「ロマン主義を信奉する人。ロマン主義の文学者・芸術家。ロマン派。ロマンチスト」という説明と、芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)の『侏儒の言葉』の用例(「無数の国家的羅曼〔ローマン〕主義者」)が挙げられているのみであり、ここから君や僕は再度、さらに「ロマン主義」を『日本国語大辞典』で引き直さなくてはならない羽目になる。なお、いわゆる「ロマンチスト」は、英語ではromanticistであるから、これをカタカナ表記にすれば「ロマンチシスト」となるべきであり、この点についても夏目漱石は、その書簡(林原耕三宛、1912年11月18日)の中で「ロマンチスト」は「間違」であり、これを「ロマンチシスト」に「御訂正を願ひます」と書いているので、ご参考までに。

さて、そのようにして辿り着いた「ロマン主義」とは、いったい何であろうか? ――と尋ねると、それほど『日本国語大辞典』の語釈は明瞭ではなく、下手(へた=端)をすると、いささか要領を得ない(......^^;)と言うのが、正直な感想ではなかろうか。と言うよりも、例えば君が手許にある、何かの辞書を調べても、きっと「ロマン主義」は似たり寄ったりの、以下のような語釈を掲げられているに過ぎないのではあるまいか。すなわち、このような辞書的な説明文を幾ら積み重ねても、反対に、ほとんど正体の掴めない語に留まってしまうのが「ロマン主義」なのではなかろうか、と嘆かざるをえない状況に、君や僕は陥ってしまうようである。ちなみに、そのような「ロマン主義」の用例にも、ふたたび『日本国語大辞典』は、夏目漱石の講演(1908年『創作家の態度』)を挙げている。

 

一八世紀から一九世紀にかけて、ヨーロッパを中心に隆盛した思潮。文芸思潮に端を発し、情緒や自然の重視、超理性的なものや永遠に向かう傾向、創造的個性の尊重など、普遍的、理性的なものを理想とする古典主義に対立する思潮として発展、広く芸術・文学・哲学・宗教のあらゆる分野に及んだ。

 

さらに、この後に続けて『日本国語大辞典』は、具体例として「文学ではゲーテ、ホフマン、ワーズワース、ユーゴーなど、音楽ではベートーヴェン(原文:ベートーベン)、シューベルト、ヴァーグナー(原文:ワーグナー)など、美術では新古典主義に対する潮流として、ジェリコー、ドラクロアなどが輩出した」――と、それぞれ文学と音楽と美術の分野の、いわゆる「ロマン派」や「ロマン主義者」の顔ぶれを列挙している。が、それにも拘らず、そこからは哲学や宗教の、例えばシュライアーマッハーやヘーゲルや、ノヴァーリスやシェリングや、あるいはシュレーゲル兄弟(アウグスト・ヴィルヘルム、フリードリヒ)の、これまた「ロマン派」や「ロマン主義者」の代表であり、忘れられてはならない、錚々(そうそう)たる顔ぶれが結果的に、忘れられてしまっているけれども。

ともかく、このようにして「ロマン主義」(romanticism)とは、そのまま訳せば「ロマンチック主義」(romantic-ism)として、当時(すなわち、18世紀の後半以降)のヨーロッパの全域と、それどころか、世界中の多くの地域をも巻き込んだ、はなはだ広範な精神運動であったことを、さしあたり君には、知っておいて貰(もら)う必要がある。また、そうであるからこそ、例えば「日本では明治二〇年代から三〇年代にかけて、『文学界』『明星』などの詩歌・評論を中心に展開された文芸運動をさす」と、さらに『日本国語大辞典』は付け加えている訳である。もっとも、そこに挙げられている面々(北村透谷、高山樗牛、島崎藤村、土井晩翠、与謝野鉄幹・晶子、泉鏡花、国木田独歩......)の中には、困ったことに、ここでも夏目漱石の名が、置き去りにされてしまっているのであるが。

さて、そのような「ロマン主義」の、とりわけ「ロマン主義音楽」における代表が、ローベルト・シューマンであることは言を俟(ま)たないし、そこに彼の妻となる、クララの名を書き添えることにも、きっと君は同意してくれるに違いない。でも、僕自身は正直な所、そのようなクララとシューマンの間に横たわる、ある種の隔たりを感じることが多い。それは、うまく言い表すことが出来ないけれども、強いて言えば、彼女がフリードリヒ・ヴィークを父に持ち、その母(マリアンネ・トロムリッツ)もピアニストであり、歌手であった家庭に生まれた、親子関係の差異として、説明するのが手っ取り早いのかも知れない。もっと割り切って言えば、あくまでシューマンが音楽家としては、初代であったのに対して、一方のクララは「純粋培養」の果てに姿を見せる、二代目であった次第。

裏を返せば、やがてヴィークが娘のクララを巡り、執拗な争いをシューマンと繰り広げることになるのも、このような音楽家の初代同士の争いに他ならず、それは相互に、もともと音楽家の血筋ではない家に生まれ、それにも拘らず、自分自身の努力と才能で、幸運にも「音楽家」になった者(あるいは、なろうとする者)同士の、骨肉の争いであったのではなかろうか。このように考えると、例えばシューベルトにしてもベルリオーズにしても、メンデルスゾーンにしてもショパンにしても、リストにしてもヴァーグナーにしても、あるいはヴェルディにしても、彼らは揃って、いわゆる音楽家の血筋ではない点が浮かび上がってくる。逆に言えば、そのような音楽家の血筋ではない、初代の、これまでとは違った「音楽家」を産み出すのが、そもそも「ロマン主義」であったのではあるまいか。

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