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思春期について ――「教養」の来た道(8) 天野雅郎

前回の表題(「15、16、17と......」)を見て、何のことやら訳が分からず、君は不審に思った側であろうか、それとも、この表題に節(ふし)を付けて、知らず知らずに歌い出した側であろうか?後者であれば、きっと君は桁外れの「歌謡曲」ファンか、あるいは、君の周囲には困った「カラオケ」好きがいて――多分、それは過去に50数回の「年波」が押し寄せるのを経験した、初老のオジサンであろうが、その被害に遭ったことがあるのかも知れない。なお、ここで久し振りに『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「年波」の語を引くと、そこには『式子内親王集』の用例(年波の/重なることを/驚けば/夜な夜な袖(そで)に/添ふ氷かな)が挙げられているから、この語が平安時代の末期には、すでに歌語として存在していたことが分かる。

ところで、前回の表題は実は、今から42年前の、昭和45年(1970年)のヒット曲で、藤圭子の歌った『圭子の夢は夜ひらく』(作詞:石坂まさを、作曲:曽根幸明)の2番の歌詞(十五、十六、十七と、私の人生暗かった、過去はどんなに暗くとも、夢は夜ひらく......)を、冒頭部分から借用したものである。もちろん、それは太宰治の中学校時代――すなわち、彼が数えの15歳から19歳まで、足掛け5年を中学生として過ごした頃のことを、表現するのに相応しい、と感じたからに他ならないが、それは同時に僕自身の中学校時代にも通じるものであり、この歌を僕は、藤圭子の『新宿の女』(1969年)と『女のブルース』(1970年)に続いて、彼女の短い、余りにも短い全盛期に聴き、そこに五木寛之ばりの「怨歌」の神髄(!)を汲み取っていたのである。

と言うと、いかにも大仰な話のように聞こえるが、僕自身は当時、彼女――君も知っている通り、やがて宇多田ヒカルの母親として有名になる、この藤圭子という歌手の熱烈なファンであり、少なくとも、この三枚目のシングル(『圭子の夢は夜ひらく』)の頃までは、確実に僕が彼女の虜(とりこ)であったことは疑いがなく、その頃のレコードは今でも、シングルもLP(アルバム)も含めて、僕の手許に遺されており、時折、無性に耳を傾けたくなることが、ない訳ではない。が、その後に続く彼女の結婚や離婚騒動は、中学生から高校生になった僕をシラケさせ、例えば南沙織のような70年代型アイドルへと、僕を鞍替えさせるのに好都合であったし、その一方では、すでに「洋楽」という名のバタ臭い音楽に、僕が浮かれ始める時期も訪れていたのである。

このような時期のことを、一般に思春期と呼ぶが、ここでも『日本国語大辞典』を繙くと、そこには「第二次性徴が現われ、子どもからおとなになりかける、心身ともに不安定な時期。男では一三歳頃から一七歳頃まで、女では一二歳頃から一七歳頃まで。春機発動期」という説明が施されており、その該当年齢の、男と女の間の微妙な違いなど、妙に僕を納得させてしまうけれども、この説明自体は、どうやら『新時代用語辞典』(1930年)を踏まえたものらしく、この語が当時の「新時代用語」であったことを教えてくれはしても、はたして現時点での妥当性や如何(いか)に、と僕を躊躇(ためら)わせてしまうのも事実である。なお、この辞典は正確には、長岡規矩雄の『時勢に遅れぬ新時代用語辞典』と称し、磯部甲陽堂から昭和5年に刊行されている。

ちなみに、いわゆる「春機発動期」という語――この、何とも薄気味の悪い、機械仕掛けの木偶(でく)にでも宛がわれそうな語は、すでに明治11年(1872年)の『医語類聚』(名山閣)で、翻訳者の奥山虎章(とらふみ)が英語のpuberity(=puberty)の翻訳語として用いたものであり、その「春機」とは端的に、そのまま「性的な情念」(=性欲)以外の何物でもないが、そもそも君は思春期が、その起源を医学用語に有し、なおかつ、もともと明治期の翻訳語に由来するものであることを知っていたであろうか?この点は、例えば『日本国語大辞典』の用例として挙げられている、真継伸彦の『林檎の下の顔』(1974年、筑摩書房)を見ても明らかであり、そこには思春期の代表として、君も知っている「赤面恐怖症」や「対人恐怖症」が名を連ねている。

このようにして振り返ると、ずいぶん長い間、厳密に言えば、ちょうど120年にも亘って、この語が私たちの心身両面に、甚大な影響を及ぼし続けてきたことは確かであり、その経緯に対して、僕は憤(いきどお)りすら感じないではないが、この語を単純に、文字通りの春(はる)を思い、結果的に悩んだり、煩(わずら)ったりすることの多い時期と解すれば、そこには私たちの大切な何か......前回の、太宰治の『正義と微笑』の引用を繰り返せば、君にとっても、僕にとっても、そこに「一つかみの砂金」ような「貴い」何かが埋(うず)もれている、そのような時期と捉えることもできるのではなかろうか? なにしろ、君にしても、僕にしても、すでに医学用語としての思春期なら、通過し終わっている、その点においては、対等の間柄のはずであるから。

その間柄を祝して、今回は僕の大好きな、凡河内躬恒(おほしかふち・の・みつね)の歌を、君に伝えたい。この歌は、僕が『古今和歌集』(全1100首)の中で、この数年来、個人的には変わることなく、いちばん好きである、と言って憚(はばか)ることのない歌であるけれども、それは春の歌の巻末に収められており、どうやら延喜13年(913年)に宇多上皇の催した、いわゆる「亭子院歌合(ていじのゐんのうたあはせ)」の折に詠まれた歌らしく、その点では『古今和歌集』の成立の年(905年)の、さらに8年後に作られ、ちょうど来年(2013年)で1100年を迎える歌であり、たまたま『古今和歌集』の歌の数とも通じ合うし、この一連の文章(「教養」の来た道)の、今年の締め括りにも相応しい歌なのではなかろうか、と思いつつ、この歌を君に贈ろう。

この歌自体は、それほど難しい歌ではないから、君も一読して、それ相応の感慨を持ってくれるに違いない、とは思うが、僕自身は例えば、この歌を昭和52年(1977年)に岩崎宏美が歌った『思秋期』(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)の歌詞(足音もなく行き過ぎた、季節をひとり見送って、はらはら涙あふれる、私十八......)と重ね合せて、あれこれ振り返ることが多い。――想い起こせば、これまで私たちは春の日を、その日、その日を限りとして、いつでも、そこから立ち去り難く感じてきたのではなかろうか?しかし、残念ながら私たちには、その立ち去り難さを感じ切れない、鈍感さも備わっており、とうとう「今日」で春も終わる、という「今日」になって、ようやく春との別れを惜しみ、ひたすら嘆かざるをえないのである。多分、君にしても、僕にしても。

今日のみと

春を思はぬ

時だにも

立つこと易(やす)き

花の影かは

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