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「教養としての音楽」について ――「教養」の来た道(81) 天野雅郎

今回の表題(「教養として音楽」)は、前回に続き、ふたたび吉田秀和(よしだ・ひでかず)の『千年の文化 百年の文明』(2004年、海竜社)から、その節題を借り受けた(ぱくった?)ものであるけれども、僕自身は正直な所、この「教養としての○○」という題名が、ひどく嫌いであって、例えば大学の講義題目に、この「教養としての○○」という名の授業科目(すなわち、教養科目)が並んでいるのを目にしたりすると、それが数十年前の、いわゆる「昭和レトロ」(retrospective=回顧的)な大学なら、いさ知らず、このような授業科目を性懲(しょうこり)もなく、臆面(おくめん)もなく並べている大学は、きっと昨今の「教養教育改革」に対しても、ほとんど熱心な取り組みをしていない大学であるに違いない......と思うのであるが、さて和歌山大学の場合には、いかがであろう。

嫌いな理由は、いたって単純であり、この「教養としての○○」という言い回しには、これまで日本の大学が陥ってきた、専門主義の匂いがプンプンと漂っているからである。もちろん、そもそも大学が専門家を養成するために産み出された、その意味において、専門教育の場であることは、昔も今も変わりがない。ただし、その際に使われる「専門家」とは、あくまでプロフェッショナル(professional)という語の同義語(equivalent=等価物)であり、決してスペシャリスト(specialist)の置き換えではないのであって、実際、和歌山大学の場合にも、大学の教育は「専門教育」と「教養教育」とに二分され、この二つは、それぞれ「専門家になるための教育」(the art of being a professional)と「人間になるための教育」(the art of being a human)として位置づけられている。

と言うことは、このようにして「専門家」であることは、ある一定の領域――和歌山大学で言えば、それは教育学(education)や経済学(economics)や、あるいはシステム工学(systems engineering)や観光学(tourism)の、それぞれ固有の分野に即して、そこに限定された、ある特定の知識や技能を修得し、身に付けた者であることを指し示しているのではなく、むしろ、そのような知識や技能を、多くの人の前で、はっきりと口に出し(profess)、これを公言し、明言し、宣言することの出来る者であることを指し示している。そして、そのような「専門家」である状態を、私たちは狭義の場合、プロフェッサー(professor=大学教授)と呼んだり、広義の場合、プロフェッション(profession=専門職)や、プロフェッショナル(professional=専門家)と称したりしている訳である。

ところで、僕が今回、このブログ(「教養」の来た道)の話題として持ち出している、吉田秀和の一文は、もともと雑誌の『諸君!』(文藝春秋)に、1978年(昭和53年)から1980年(昭和55年)に掛けて、計3回に亘って掲載されたものらしく、さらに遡ると、文末には「これは琵琶湖放送の依嘱で昭和五十二年十一月四日〔、〕同放送局スタジオで行なった講演をもとに、書き改めたものである」と記されているから、この講演自体は、彼が満64歳の折に行なったものになる。ちなみに、この講演を僕が初めて聴いた、と言いたいのは山々(やまやま)であるが、残念ながら......読んだのは、1980年に文藝春秋から刊行された『響きと鏡』においてであり、また、この講演は後に『吉田秀和全集』の第15巻(『カイエ・ド・クリティクⅡ』)にも収められているので、ぜひ君にも、一読を勧めたい。

なお、この講演自体は、その題目(「教養としての音楽」)を主催者(琵琶湖放送→びわこ放送?)の側が付けたものであることが、冒頭に述べられている。したがって、この表題と吉田秀和は、直接に繋がり合っている訳ではないこと、それにも拘らず、わざわざ彼を琵琶湖畔に招いて、このような題目で講演が行なわれたこと――このような点から判断すると、逆に「教養としての音楽」という表題が、当時は普通に罷(まか)り通るものであったこと、それどころか、かなり時代の先端を行くものであったことが窺われうる。と言うことは、このような言い回しが例えば大学の講義題目となり、ごく一般に用いられるようになるのは、ひょっとすると1980年代のことではなかったのか知らん、と僕は推測するのであるが、その「あてずっぽう」の成果(「まぐれあたり」)は、いかがであろう。

と言ったのは、僕の見る所、今でも大学で「教養としての○○」という授業科目に拘泥する(=泥〔どろ〕に拘〔かかわ〕る→拘〔とらえ〕られる)のは、どうやら1980年代の大学で、学生生活を送った教員の傾向であり、彼ら(彼女ら)は揃って、その反面に強固(頑固?)な、専門主義の洗礼を受けているのが特徴である。したがって、彼ら(彼女ら)の口からは、きっと学科や教科や、それぞれの学問分野を指し示す、いわゆる「ディシプリン」(discipline)という語も飛び出すに違いない、と僕は思っているけれども、こちらの「あてずっぽう」の的中率は、どの程度であろう。まあ、僕自身は個人的に、この「ディシプリン」という語がヨーロッパの修道院で使われた、苦行や懲罰のための鞭(むち)に遡るものであった分、あまり好きになれない(......^^;)のが、正直な感想である。

ともかく、このようにして「教養としての音楽」という語は、吉田秀和によれば、その対語に「職業としての音楽」という語を置き、これと対照させることによって、成り立つべき語であった。もちろん、その際の「職業としての音楽」を「専門としての音楽」と言い換えても、いっこうに構わない。そして、そのような「職業」と「教養」という二つの立場が、現代という時代を生きる、単独の個人の生活の場においても、また、そのような個人の集団生活の場(すなわち、社会)においても、等しく重要な役割を果たしていることを、彼は力説している。それと言うのも、私たちは誰しも、一方的に「職業」の側に身を寄せることも、あるいは「教養」の側に身を寄せることも、いずれにしても不可能な、それが許されない時代を生きているからであり、生きていかざるをえないからである。

 

私たち現代日本の普通の人間は、有用人と無用人の間に引きさかれて生きている。私たちは、社会の中で自分の椅子を手にいれ、それを維持するため、あくせく働く一方で、それから解放され、無用のことで時間を潰(つぶ)して生きている。それは私たちが余暇を必要とするだけでなく、有用性に照準をあわせた生き方だけでは〔、〕どうしても満たされない自分の中の〔、〕ある部分――無用であって実は生命の根元につながる――から湧いてくる要求に〔、〕こたえるための重要な意味を持っている。現代の人間は、多かれ少なかれ勤労と自由と、この二種類の時間の中で生きてゆくための智慧を、各人各様に身につけずには〔、〕すまなくなっているのではないでしょうか。勤労と自由と、この〔、〕どちらの時間も、私たちは全面的に所有できない。その中で、どうやって一個の人格を確保してゆくべきか。その中で教養が役立つとしたら、それは〔、〕どういう教養なのか?

 

このように問い掛けた後、結果的に吉田秀和が持ち出すのは、例えば「音楽でいえば、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった人々の作品」であり、このような「古典的ヒューマニズムの芸術の最高の成就(じょうじゅ)」を、決して「大雑把でなく、より正確にきく力を養い、そうして〔、〕まるで深呼吸でもするみたいに自分の中に深く吸いこむことを通じて、一歩一歩、音楽の核心に近づく努力をすること」――それが彼自身の、文字どおりに「教養」という名の「たしなみ」であった次第。......ウ~ン、ここまで来ると、やはり僕自身は唸(うな)り声を上げながら、二進(にっち)も三進(さっち)も行かない状態に落ち込まざるをえなくなる。確かに、吉田秀和の述べているのは正論である。非の打ち所が、ない。でも、それを「教養としての音楽」と、はたして、言うのかなあ。

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