ホームメッセージ夏越(なごし)の話 ――「教養」の来た道(82) 天野雅郎

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夏越(なごし)の話 ――「教養」の来た道(82) 天野雅郎

暑い。......今日も朝から、とても暑い。まるで、う(茹)だるような暑さである。――と、この漢字(茹)を書けば、すぐに気の付くことであるが、この語は元来、音読すれば「ニョ」(呉音)や「ジョ」(漢音)となって、文字どおりに草(と言うよりも、いわゆる野菜)を茹(ゆ)でて、柔らかくし、これを食べる(そもそもの日本語で言えば、食う→喰う)ことを指し示している。したがって、この漢字を私たちが「うだる」と読む時も、もともと、それは野菜を始めとする食物を、湯(ゆ)で茹(ゆ→う)でて、これが柔(やわ=よわ→弱)らかくなるのが原義であって、よもや、その際に煮上がって、弱々しくなり、それどころか、怠(だる←たる)くて、怠くて、フラフラになるのが私たちの体であろうとは、この漢字の成り立ちからは想像も付かない、秀逸な逸脱であったに違いない。

ところで、ここで久し振りに......とは言っても、それは結果的に、このブログ(「教養」の来た道)では久し振りに、という意味であって、僕自身は連日、自分でも驚き、呆れ返るほどに、いつもの「くびったけ」(←くびだけ=首丈)の付き合いを辞書(ディクショナリー)との間に続けているけれども、たまたま今回、このブログでは久し振りに、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「うだる」の語を引いてみると、そこには最初に、この語が「ゆだる」の変化したものである、と説明されてから、その次に「湯で煮られて、食物が柔らかくなる」という第一の語釈が置かれている。そして、そこから続けて、目下、話題にしている第二の語釈(「暑さのために〔、〕ゆだったような感じになる。体が〔、〕だるくなる」)の用例としては、夏目漱石の『吾輩は猫である』が挙げられている。

と言うことは、このような「うだる」の使い方は、ひょっとすると、今から110年ほど前(明治38年・1905年)に、夏目漱石が始めたのではないか知らん――と僕は気になったので、さっそく手許の『漱石全集』の第一巻で『吾輩は猫である』(1965年、岩波書店)を読み直してみると、ありました、ありました、出典箇所(^O^)が。......でも、それは残念ながら、暑さは暑さでも、苦沙彌(くしゃみ)先生の入っている、銭湯(原文:洗湯)の薬湯(くすりゆ)の話であって、それは暑(あつ)さ、と書くよりも、むしろ熱(あつ)さ、と書くべきであり、いささか肩透(かたすかし)を喰わされたような格好ではある。が、そもそも日本語では「暑い」も「熱い」も、同じ「あつい」であって、それが「あたたかい」(温=暖)という限度を超えて、いわゆる摂氏温度の高い点では、同じである。

 

むかしハンニバルがアルプス山を超える時に、路の真中(まんなか)に当(あた)つて大きな岩があつて、どうしても軍隊が通行上の不便邪魔をする。そこでハンニバルは此(この)大きな岩へ醋(す)をかけて火を焚(た)いて、柔かにして置(お)いて、夫(それ)から鋸(のこぎり)で此大岩を蒲鉾(かまぼこ)の様に切つて滞(とゞこほ)りなく通行したさうだ。主人の如(ごと)く〔、〕こんな利目(きゝめ)のある薬湯へ煑(う)だる程(ほど)這入(はい)つても少しも功能のない男は矢張(やは)り醋をかけて火炙(ひあぶ)りにするに限ると思ふ。

 

ちなみに、この摂氏(セッシ)温度という語は、もともとスウェーデンの物理学者で、天文学者として有名な、アンデルス・セルシウス(Anders Celsius, 1701-44)の中国語表記(摂爾修斯)を宛がったものであり、彼が1742年――私たちの国の年号で言えば、寛保2年に提唱したものであったけれども、この年は、このブログの繋がりで言うと、例えばシューマンの「交響曲第一番」と「交響曲第二番」を初演した、ライプツィヒの「ゲヴァントハウス」の管弦楽団が創設される、その前年に当たっている。ただし、このような摂氏温度のことを、普段、君や僕は例の記号(℃)を通じて、それなりに慣れ親しんではいても、この記号を英語で読むと、それがdegree(s)Celsiusやdegree(s)centigradeになる点を始めとして、それほど詳しく、知ってはいなかったのが正直な話ではなかろうか。

また、このような摂氏温度に対して、アメリカ等では、これとは違う、華氏(カシ)温度が用いられており、こちらは1724年にドイツの物理学者で、現在はポーランド領のグダニスク(ドイツ名:ダンツィヒ)で生まれた、ガブリエル・ダニエル・ファーレンハイト(Gabriel Daniel Fahrenheit, 1686-1736)が考案したものであり、こちらも彼の中国語表記(華倫海特)を宛がって、私たちは華氏温度という語を使っている。――と言い出すと、僕個人は直ちに、この物理学者がライプニッツと交わした書簡のことや、あるいは、彼の生まれた場所が後年、これまた哲学者のショーペンハウアーや、リッカートの故郷となることや、さらには、この場所が20世紀の最大の悲劇(第二次世界大戦)の、火蓋(ひぶた)を切って落とされた場所でもあったことが、次から次へと、想い起こされてくる。

そう言えば、この場所を舞台にして、やがて「ノーベル賞」作家となるギュンター・グラスが、あの「ダンツィヒ三部作」(1959年『ブリキの太鼓』、1961年『猫と鼠』、1963年『犬の年』)を書くことも、そして、その中の『ブリキの太鼓』(Die Blechtrommel)が20年後(1979年)に映画化をされ、同年、監督のフォルカー・シュレンドルフが「カンヌ国際映画祭」で、フランシス・フォード・コッポラの監督した『地獄の黙示録』と並んで最高賞(パルムドール)を受賞するに至ったことも、僕個人にとっては、忘れられない思い出である。もっとも、この二つの映画が日本で公開されたのは、一方の『地獄の黙示録』が翌年の冬のことであり、一方の『ブリキの太鼓』は翌々年の春のことであったから、この二つの映画を僕が観たのは、それぞれ、冬の映画館と春の映画館であったことになる。

......と、このような季節はずれの話をしていても、いっこうに夏の暑さは収まらず、とうとう今週は、連日の真夏日と猛暑日が続いた次第。とは言っても、ちょうど暦の上では今週が、今年の「大暑」に当たっていた訳であり、その意味において、君や僕が大いに暑いのは、当然(natural=自然)のことでもある。実際、このような暑さを凌(しの)ぎ、これを宥(なだ)め、そこから生じる「わざわい」を未然に防ぐためにも、例えば京都では祇園会(ぎおんえ→祇園祭)が、大阪では天満祭(てんままつり→天神祭)が、入れ替わるようにして行なわれたのであって、これらの祭は君や僕が暮らしている、この日本という風土(climate=傾斜)の産み出した、固有の文化(culture=教養)でもあれば、そこに生きる、人間と自然との間に成り立った、ある種の極相(climax=頂点)でもある。

すなわち、このような祭(まつり←待つ)を通じて、君や僕は「大暑」の中、さしあたり「神」という名で呼ばれている、あの、名状し難い「何か」の到来(advent=降臨)を待ちつつ、この一年(音読→イチネン、訓読→ひととし)の前半期(要するに、春と夏)を終え、後半期(要するに、秋と冬)を迎えることになる。そして、その際の十字路(クロスロード)に当たっているのが、ちょうど陰暦の6月30日に合わせて営まれる、その名の通りの夏越(なごし=名越)の行事の数々――例えば、夏越の神楽(かぐら←かむくら=神座)や夏越の節供(せっく→節句)や、あるいは、夏越の祓(はらへ→払・除)や夏越の禊(みそぎ→身濯ぎ?水濯ぎ?)であり、実は、そのような夏越は今日......陽暦の7月26日の朝(と言うよりも、真夜中)に、君や僕の許を、密かに訪れているのである。

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