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台風以前、台風以後 ――「教養」の来た道(84) 天野雅郎

先週から今週へと、立て続けに台風のニュースが飛び込んでくる。先週が台風12号で、今週が台風11号である。結果的に、このようにして台風番号(!)に齟齬(ソゴ→食い違い)が生じているのは、後者(台風11号)の方が前者(台風12号)よりも早く、マリアナ諸島沖で発生した(らしい)からであるが、君は今から70年近く前まで、四半世紀に亘って、マリアナ諸島が日本の統治領(要するに、植民地)であったことを、知っていたであろうか? 例えば、その内のサイパン島は第一次世界大戦後、日本名で「彩帆島」と表記され、その挙句、第二次世界大戦(と言うよりも、太平洋戦争)の折に最大の激戦地となったし、また、その隣にあるテニアン島も焦土と化し、ここから逆に、日本を目指してアメリカのB-29が「原爆」を搭載して飛び立つことになるのは、何とも不気味な話。

ところで、もともとマリアナ(Mariana)諸島に住み、暮していたのは、スペイン語で禿頭(はげあたま)を意味する、チャモロ(Chamorro)人であり、このような、いかにも差別的な言い回しからも窺えるように、マリアナ諸島という名前自体がスペイン語である。――と言い出すと、ただちに君は高校時代に、おそらく世界史の教科書あたりで目にしたであろう、あのマゼラン(Ferdinand Magellan, 1480頃-1521)の「世界周航」の旅を想い起こしてくれるのではあるまいか。とは言っても、そもそもマゼランはポルトガル人であり、その名をマガリャンイスとポルトガル語では発音するし、彼自身は結果的に、このマリアナ諸島に辿り着いた後、フィリピン諸島のマクタン島で島民に殺されてしまうから、この際の「世界周航」を達成しえたのは、彼を除いた、少数の部下たちであった次第。

それに、マリアナ諸島が現在の、この名前を手に入れるのは、スペイン王のフェリペ4世(Felipe Ⅳ, 1605-65)の王妃であり、彼とは同時に、姪の関係(要するに、近親相姦......^^;)でもあった、マリアナ・デ・アウストリア(Mariana de Austria, 1634-96)に因(ちな)んだものであって、それは17世紀の後半(1668年)の出来事である。そして、それ以降、230年にも及んでスペインの支配が続いた後、今度は1898年の米西戦争(すなわち、アメリカ・スペイン戦争)を経て、戦勝国のアメリカがフィリピン諸島と共に、このマリアナ諸島の中のグアム島を割取し、それ以外の島は、ドイツへと売却されることになる。――と、このようにして振り返ると、もはや日本が第一次世界大戦に乗じ、連合国側に与して、マリアナ諸島へと侵攻の兵を進めるのは、わずか16年後のことであった。

さて、いささか台風の件からは、話が逸(そ)れてしまったが、まあ、このようなコース変更を伴いがちなのも、台風の話であって......と言うのは少々、苦しい言い訳に過ぎるであろうか。でも、この台風という語自体が、元来、その起源の定まらない、あやふやな語であったことも確かであり、ここで例えば、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「台風」の語を引いてみると、そこには語誌として、まず「台風」が「颱風」の書き換えであり、この書き換えが1956年(昭和31年)の「同音の漢字による書き換え」(国語審議会→現:文化審議会国語分科会)に基づくものであったことが分かる。と言うことは、この「台風」という漢字表記自体は、まだ使われ始めてから60年に満たない、言ってみれば、還暦以前の、それほど世間的には熟(こ)なれた語ではなかったことになる。

と言うことは、この「台風」が「颱風」から書き換えられる以前に、どの程度の期間、今度は後者の「颱風」が使われていたのか知らん、という疑問が生じるのであるが、それは『日本国語大辞典』によると、どうやら「岡田武松が明治四〇年(一九〇七)に台風を学術的に定義付けたのを受け、大正時代」以降、この「颱風」という語が一般化をした旨、記されている。したがって、この「颱風」という表記も長く見積もって、これまた50年に満たない、短い使用期間の語であったことが分かる。なお、ここで名前を挙げられている岡田武松(おかだ・たけまつ、1874-1956)とは、私たちの国の気象学(meteorology←ギリシア語:meteorologia=流星学)の、確立期における代表的な研究者であって、当時の中央気象台(現:気象庁)の台長を、18年に亘って、勤め上げたことで知られている。

と言うことは――と僕は繰り返すけれども、このような近代的な気象学が成り立つに先立って、それまで「台風」は、いったい何と、その名を呼ばれていたのであろうか? と言い出すと、それが実は「大風」(音読→たいふう、訓読→おほかぜ)や「太風」(たいふう)や、あるいは「颶風」(ぐふう)であり、しかも、これらの語は遡ると、中国語経由の語であったり、場合によっては、英語(typhoon→タイフーン)経由の語であったりしたのであって、この点から推測すると、どうやら「台風」という語は元来、中国語の「大風」や「太風」を音読したものであったか、さもなければ、もう一方の英語の音を借り、例えば先刻の、岡田武松が「フェーン」現象に対して、そのまま「風炎」という漢字を宛がったように、ある種の駄洒落(!)であると評しても、間違いではなかったはずである。

ちなみに、このような外国語経由の呼び方とは違って、もう一つ......あるいは、二つでも三つでも、私たちの国には日本語で、いわゆる「台風」を称するために用いられた言い回しが、当然、存在していたはずであり、存在していなくては、おかしいはずである。なにしろ、君や僕が暮らしているのは、昔も今も、変わることのない「地震列島」であると共に、変わることのない「台風列島」でもあったから。その意味において、さしあたり君や僕に、想い起こすことが叶うのは、残念ながら、その残響を遠い、昔の古典(クラシック)の中にしか留めていない、あの「野分」(のわき)という語ではあるまいか。そして、それは例えば、平安時代の『枕草子』や『源氏物語』の一節に、ひいては、江戸時代の芭蕉や蕪村や一茶の俳諧に、その閃光を放っている、次のような「野分」の姿であった。

 

吹き飛ばす/石は浅間(あさま)の/野分かな(芭蕉)

野分して/鼠(ねずみ)の渡る/庭水(にはたづみ)(蕪村)

寝筵(ねむしろ)や/野分に吹かす/足の裏(一茶)

 

もっとも、このような「野分」の語は幸いなことに、明治時代になって以降も、近代的な短歌や俳句の中に留まって、その名の通りの季語(season word)となり、わずかな命脈を保ち続けているし、それに伴い、動詞形の「野分立つ」や、さらには「野分雲」や「野分晴」や「野分跡」という名詞形も、細々と生き長らえている。また――それよりも、何よりも、このような季語を介して、その刹那(せつな←クシャナ)の人間の、人生の季節(season←ラテン語:satio=種蒔期)が自覚され、それを表現する方法が意識されることにもなる。事実、そこから例えば、以下の子規や漱石や虚子の一句に窺えるような、何とも奥の深い、心情表現が産み出され、私たち(要するに、君や僕)にとって、いつも人間が「種蒔く人」であらねばならないことを、教えてくれるものともなりえたのである。

 

闇の夜(よ)を/めつたやたらの/野分かな(子規)

この夕(ゆふべ)/野分に向(むかひ)て/分れけり(漱石)

大いなる/ものが過ぎ行く/野分かな(虚子)

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