ホームメッセージ「季節外れ」の話 ――「教養」の来た道(89) 天野雅郎

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「季節外れ」の話 ――「教養」の来た道(89) 天野雅郎

本当は、せめて今週中くらい、僕は君への残暑の「お見舞い」を、せっせと書き続けなくてはならないのでは、と思っているのであるが、いくら暑さが収まらない(......^^;)とは言っても、あまり時候を無視した、いわゆる「季節外れ」の「お見舞い」を君に届けるのは如何(いかが)なものか、という気持ちもあり、今回は前回までの表題(「残暑の、お見舞い」)を、引き下げることにした次第。それに、このような表題を掲げっぱなしでいるから、ひょっとすると、いつまで経っても暑さが収まらないのではなかろうか、という呪術的(magical)な、非科学的(unscientific)な思考法も、僕は決して嫌いな方ではなく、その所為(せい)もあってか、ついつい昨夜は晩酌の折、郷里から送られてきた白烏賊(シロイカ)の「するめ」ならぬ「あたりめ」で、暑気払いをした訳でもある。

ちなみに、この「晩酌」という語が中国の、実に由緒正しい、詩人の李白(リ・ハク)に由来する語であることを、君は知っていたであろうか。と言って、そのことを君が知っていても、いなくても、それほど君の普段の生活や、大袈裟に言えば、君の人生には何の影響もない、と君が高(たか)を括っているのであれば、まあ君は、いつまで経っても人間の、幸福の何たるか(!)を知るには至らないであろうけれども、それでも君は、大丈夫? と言って(と、僕は繰り返すけれども)君が決して大丈夫なはずはないから、ここでは僕が君に代わって、李白の漢詩(「待酒不至」)を以下に掲げておくことにしよう。と言って(と、僕は三度、繰り返すけれども)気が付けば、この漢詩自体が「季節外れ」の、秋の「晩酌」ならぬ春の「晩酌」を、詠じたものであった始末。(不始末?)

 

玉壺繋青絲  玉壺(ぎょくこ)青絲(せいし)に繋(か)け

沽酒來何遲  酒を沽(か)ひて來(きた)ること 何ぞ遲き

山花向我笑  山花(さんか)我に向(むか)ひて笑ふ

正好銜杯時  正(まさ)に杯を銜(ふく)むに好(よ)き時なり

晩酌東窗下  晩酌す 東窗(とうそう)の下(もと)

流鶯復在茲  流鶯(りゅうおう)復(ま)た茲(ここ)に在り

春風與醉客  春風(しゅんぷう)と醉客(すいかく)と

今日乃相宜  今日(こんにち)乃(すなは)ち相(あ)ひ宜(よろ)し

 

さて、このような前置きで、今回も前回と同様、幸田文(こうだ・あや)の『季節のかたみ』(1993年、講談社)の中から、その表題ともなっている一文を取り上げて、僕は君に「季節」(漢音→キセツ、呉音→キセチ)の話を聴いて欲しい、と願っている。が、そもそも君は「季節」という語の、前半部分の「季」は「一年を四等分した区分の名」であって、後半部分の「節」は「一年を二四等分した区分の名」であることを、聞いたことがあったかな? と言い出したのは、このような『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の但し書きを読んでも、おそらく、最近の日本人の相当数に理解できるのは、その前半部分(要するに、季)の説明のみであり、きっと君も、その後半部分(要するに、節)の説明は何のことやら、さっぱり訳が分からない、と言うのが正直な反応ではなかろうか。

と言った次第で、まず僕は引き続き、いつもの『日本国語大辞典』で「季節」の語を引いて、その語釈を、君に紹介することから始めたい。――すると、そこには「一年を天候の推移に従って時間的に区分したもの。温帯では春、夏、秋、冬の四季があり、さらに細分することもある。また、熱帯には乾季と雨季がある」と書かれていて、当然のことながら、いわゆる「季節」にも大きく分けると、温帯には「四季」(すなわち、春・夏・秋・冬)の区別があり、熱帯には「乾季」と「雨季」の区別があることが分かる。そして、そのような「季節」の用例に『日本国語大辞典』が挙げているのは、平安時代の末期の『本朝無題詩』(1163年前後)であったから、この「季節」という語は私たちの国において、中国から伝来した漢詩文化の中で育まれて、今に至る語であったのかも知れないね。

ともかく、このようにして振り返ると、あらためて「季節」は世界の、どのような地域で人間が暮らし、どのような生活を営んでいるのかを抜きにして、無条件に、何時でも、何処でも、誰にでも、同じような形で成り立ちうるものではなく、その意味において、いわゆる「四季」が存在していること自体、私たちが温帯(temperate zone=「中庸地帯」→明治時代まで、そのまま「中帯」や「正帯」という語が使われていたのです!)の住人であることの証拠であることを、君や僕は忘れてはならない。なにしろ、仮に君や僕が温帯の住人ではなく、熱帯(tropical zone)の住人であったとすれば、そこには「四季」ではなく、ただ「乾季」と「雨季」の区別があるに過ぎず、ましてや、君や僕が寒帯(polar zone)の住人であったとすれば、そこには「季節」という語自体が無意味であろう。

とすれば、このようにして君や僕が温帯の住人であり、そこに偶々(たまたま←たまさか)に、その「温帯気候」(temperate climate=「中庸傾向」)の代表である「四季」が存在していること自体、途轍(とてつ)もなく意味の深い、言ってみれば、ある種の奇跡(miracle=驚異)に近い出来事なのではなかろうか。事実、そのような「四季」を抜きにして、私たちの生活や人生や、それどころか、生命すらもが成り立たないであろうし、裏を返せば、このような「四季」が姿を消し、存在しなくなってしまえば、そのような「四季」の上に拵(こしら)え上げられた、さまざまな文化が音を立てて(それとも、音も立てず......)崩れ去ってしまうのは、必定である。例えば、僕が前回、君に話をしておいた「十五夜」や、あるいは「十三夜」と呼ばれる、とても繊細な「お月見」の文化も。

その点において、これまた前回、話題にしておいた「水罰」(みずばち)という語に関して、幸田文の『季節のかたみ』には、もう一箇所、その名の通りの「みずばち」という一文が含まれているので、この一文の方も序(ついで)に、僕は君に、紹介しておくことにしよう。――なお、こちらの方の「みずばち」は、昭和52年(1977年)の『朝日新聞』(夕刊)に、当初は「日記から」という題名で連載されていた文章が、その題名を「春の声」と改めて、この『季節のかたみ』の冒頭に置き換えられたものであったから、執筆順序に即して言えば、この「みずばち」の方が「季節のかたみ」よりも半年ばかり、古いことになる。また、こちらの方は「水罰があたる」という、この「いましめの言葉」が昨今では「もう〔、〕すっかり消えてしまった」時点から、幸田文の話は始まっている。

とは言っても、その時点は当時から数えても、すでに「五十余年まえ」に遡る、まだ筆者が「はたちの頃」の話であって、おそらく大正12年(1923年)の、いわゆる「関東大震災」の直後の時分であったろう、と推測される。......もっとも、その当時の日本のことを、あるいは、そこで「水罰」という語が姿を隠し、もはや人々の口から、この「水罰」という語が聞かれなくなってしまった、その頃の「東京の町なか」のことを、君にしても、僕にしても、まったく想い起こすことは叶わない。でも、そのような君や僕にも「水罰」という語が消え、その存在すら、誰も知らなくなった、言ってみれば、まさしく「ポスト水罰」の時代を生きる側からすれば、逆に、次のような「みずばち」の一節が、むしろ奇妙な、妖しい親近感を伴って、迫って来ることになるのも確かなのでは、あるまいか。

 

いなかには、水道はなかった。水は井戸だった。〔中略〕だからそれを粗末にすると親たちは、いい気になるんじゃない、いまに水罰があたって、水で不自由するから、と叱った。〔中略〕――おまえに水が〔、〕こしらえられるか。〔改行〕だから東京へきておどろいた。洗濯も食器洗いも、水道を流し放しでするぜいたくさ、水罰なんていう人は一人もいなかった。だが、やがて私もそれになれ、ときどきは心に責めもありながら、節水を怠った。このごろ水資源の保護とかいうし、水害もあったりすると、しんみりする。言葉が消えたとき心も消え、言葉と心が消えたあと、じわじわと大水罰が当りはじめるのかなあ、と思う。

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