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「お彼岸」を振り返る ――「教養」の来た道(92) 天野雅郎

言うまでもない......ことでは、あろうけれども、いわゆる「お彼岸」には、春の「お彼岸」と秋の「お彼岸」の二つがあって、それぞれ春分の日と秋分の日を真ん中に置いて、その前後の一週間が「お彼岸」である。今年のカレンダーで言うと、春分の日が3月21日であったのに対して、秋分の日は9月23日(すなわち、今日)であるから、その意味において、今日は「お彼岸」の中日(音読→チュウニチ、訓読→なかび)に当たっている。おまけに、今日は文字どおりの「国民の祝日」でもあって、これが昭和23年(1948年)に私たちの国の法律(「国民の祝日に関する法律」→通称「祝日法」)で定められてから、すでに67年に亘って、私たち(要するに、君や僕)は今日という一日を祝日として迎え、結果的に、今日という一日を休日(holiday=聖日)として過ごすことも叶う訳である。

なお、その「国民の祝日に関する法律」には、第1条に「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける」と記されている。と言うことは、今日という一日が君や僕の、何よりも「自由」と「平和」を希求する心から生まれ、そこに「美しい風習」が育ち、ひいては「よりよき社会、より豊かな生活」が築き上げられるために、設けられた一日であったことが分かる。でも、それならば今日という一日は、いったい君や僕にとって、どのような「自由」や「平和」や、あるいは「美しい風習」と結び付き、どのような「よりよき社会」と「より豊かな生活」を実現しようとするものなのであろうか――という点が、問題になってくる。

この点を、どのように「国民の祝日に関する法律」は説明しているのであろうか? と言い出すと、少なくとも「お彼岸」の中日である、春分の日と秋分の日については、なかば納得の行く、なかば意外な、次のような語義が述べられている。すなわち、春分の日とは「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日であり、秋分の日とは「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日である由(よし)。......と書き写すと、さしあたり君には、この文面を僕が最初に読んだ時と同様、驚いて貰(もら)うしかないのであるが、これは一般的に君や僕の理解している「お彼岸」の説明とは、それなりに重なり合うものであっても、それは例えば、僕の手許にある『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の説明とは、いささか(それとも、けっこう)違った、春分の日や秋分の日の、説明であったに違いない。

と言った次第で、ここで恒例の『日本国語大辞典』の語釈を紹介しておくと、まず「春分」には「太陽が黄経0度の春分点を通過する時刻。ふつうは〔、〕その日をいう。二十四節気の一つ。春の彼岸の中日で新暦の三月二一日頃にあたり、昼夜は〔、〕ほぼ同時間」とあり、この語が中国の『周礼』の注釈書(『周礼注疏』)から生まれた語であって、私たちの国でも、すでに平安時代の中期の『延喜式』(延長5年→927年)において、用いられていた語であったことが窺われうる。そして、一方の「秋分」にも「太陽が黄経一八〇度の秋分点を通過する時刻。ふつうは〔、〕その日をいう。二十四節気の一つ。秋の彼岸の中日で新暦の九月二三日頃にあたり、日の出から日没までの昼と日没から日の出までの夜は〔、〕ほぼ同時間」と、当然のことながら、ほとんど似かよった語釈が置かれている。

普段、これが君や僕の理解している「春分」や「秋分」であることに、おそらく君も、異論はないはずである。言い換えれば、この二つの「分」(音読→ブン、訓読→わかつ)を挟んで、その名の通りに春を分かち、秋を分かち、君や僕は一年に二度、昼と夜の長さが「ほぼ同時間」の、言ってみれば、特異な体験をすることになる。――が、そのような体験を、あくまで自然現象の面で、特異な出来事と見なすのか、それ以外にも、そこに固有の、独自の意味を付け加えるのかは別問題であって、例えば戦前には、この「春分」と「秋分」が「春季皇霊祭・春季神殿祭」と「秋季皇霊祭・秋季神殿祭」と称され、列記とした国家的祝祭日であったし、どうやら現在でも、君や僕の知らない所で(......^^;)この「皇室祭祀」の「大祭」は、いわゆる「宮中祭祀」として、営まれ続けているらしい。

と、僕は今、入江相政(いりえ・すけまさ)編『宮中歳時記』(1979年、TBSブリタニカ)の頁(ページ)を捲(めく)りながら、君に伝えている。――まあ、自分でも半ば、呆れ返らざるをえないが、このようにして「歳時記」(さいじき)と呼ばれる書物が、僕の周囲には目下、数十冊も並べられていて、そこには僕の目から見ると、かなり身近な行事もあれば、かなり縁遠い行事もあることは、事実である。ただし、そのような行事が今日(陽暦→9月23日、陰暦→8月30日)の、この「秋分」に限って言えば、そして、さらに半年後の「春分」に限って言えば、どちらも等しく、昼と夜の長さが同じになって、そこに昼と夜の、まさしく同一性(identity→アイデンティティ)が姿を現す時に、それを日本人が古くから、生と死の同一性に重ね合せてきたことは、はなはだ印象的である。

と言ったのは、確かに「秋分」にしても「春分」にしても、また、この二つの「分」を真ん中に置いた、いわゆる「お彼岸」の一週間にしても、これらが漢語経由の、その意味において、もともと中国風の仏教語であったことは、以前、君に紹介しておいた、岩本裕(いわもと・ゆたか)の『日常佛教語』(1972年、中公新書)の、以下の叙述からも明らかである。が、そこに「秋分」であれば「おはぎ」(=萩餅)が登場したり、これが「春分」になると「ぼたもち」(=牡丹餅)に姿を変えたりするのは、やはり君や僕が暮らしている、この日本の風土や歴史の中から、産み出されたものに他ならないのであって、その限りにおいて、君や僕が仏壇に手を合わせたり、お墓参りに出掛けたり、少なくとも、君や僕が誰かの、あるいは自分自身の、生と死を胸の奥で考えることは必要であろう。

 

ひがん〈彼岸〉

① さとり〔原文:傍点〕の境界。生死に迷う現世を此岸〔しがん〕とし、現世の煩悩を解脱して、さとり〔同上〕の境界である彼岸に達した状態を波羅蜜(パーラミター、到彼岸)といい、そのために六種の実践行為が説かれる。これが六波羅蜜〔=布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧〕である。

② 春分・秋分の日を中日として、その前後の三日を合わせた七日間の称。この期間中に、墓参(「彼岸参り」という)や、法要(「彼岸会」〔ヒガンエ〕という)を行なう。この期間に佛事を営む風習は〔、〕わが国独自のもので、しかも各種の民俗行事と習合している。

 

そう言えば、昨年の今日(9月23日)......要するに、昨年の「お彼岸」に僕は偶々(たまたま)北海道の函館で「秋分」を迎えることになり、その折、念願の石川啄木(いしかわ・たくぼく)の墓参を果たしたことを、このブログ(第43回「海辺の墓地」を訪ねて)で、君には報告を済ませておいたけれども、そもそも石川啄木が、数えの27歳で亡くなるのは、明治45年(1912年)4月13日のことであり、彼の遺骨が現在の、函館の立待岬に移されるのは、翌年の一周忌の際のことである。そして、それから一月ばかり後に、今度は妻の節子が28歳で亡くなり、やがて17年後(昭和5年→1930年)には二人の遺児(京子・房江)が、それぞれ25歳と19歳で亡くなって、石川啄木の家族は全員が、若くして肺結核の犠牲となる。振り返れば私たちの国の、たかだか百年前の出来事に過ぎない。

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