ホームメッセージ「夏休み」よ、さようなら ――「教養」の来た道(93) 天野雅郎

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「夏休み」よ、さようなら ――「教養」の来た道(93) 天野雅郎

これまでも「夏休み」については、この一連の文章(「教養」の来た道)を通じて、僕は君に、いろいろ話を聴いて貰(もら)っているし、もう君も、この「夏休み」という制度が近代(modern times)に固有の、その意味において、私たちの国では明治時代に始まった、はなはだ特殊な制度であることを、理解してくれているに違いない。また、そのような「夏休み」が学校という場所で、どのような位置づけ(すなわち、意味づけ)を与えられるのかは、その折々の学年暦(要するに、4月学年始期制か? 9月学年始期制か?)の違いであって、その違いによって、このような暦(音読→レキ、訓読→こよみ)ひとつで、実に容易に君や僕の生活や人生は一変してしまうものであることも、君は察してくれているはずである。いわゆる「カレンダー」の力とは、それほど強大なものであった。

と言う訳で、今回は君の(ひいては、僕の......^^;)「夏休み」の最後の一日に当たり、僕は君に、その「夏休み」を送るべく、別れの言葉を書き留めたい。と思って、思い付いたのが、かつて1954年(昭和29年)にフランソワーズ・サガン(Françoise Sagan)の書いた『悲しみよ、こんにちは』(Bonjour Tristesse)であり、それから3年後に、この小説はジーン・セバーグ(Jean Seberg)が主人公(セシル)役を演じて、アメリカのハリウッド(Hollywood=柊〔ヒイラギ〕の森)で映画化され、原作ともども、世界中で大人気を博することになる。――まあ、それが原因で、サガンもジーン・セバーグも共に、かなり不幸な生涯を背負い込むことになったのではなかろうか、と第三者の目には見えるけれども、それは所詮(ショセン→詮ずる所)第三者の目線にしか、過ぎない話であろうか。

ともかく、そのような思い付きで、僕は今回、サガンの小説の顰(ひそみ=しかめ顔)に倣(なら)い、逆に「夏休み」に対する「さようなら」の、この......何とも怪しい、接続詞(conjunction=結合)によって交わされる、お互いの別れの挨拶(アイサツ)を表題に掲げたのであるが、この「夏休み」の間に、これまた僕は思い付きで、たまたま『悲しみよ、こんにちは』を始めとする、何本かの映画を鑑賞したり、多くの場合は、鑑賞し直したりした次第。とは言っても、どの映画も僕にとっては、とても有意義な「夏休み」映画であることに変わりはなく、それは当然、ぜひとも君にも鑑賞して欲しい映画である、という意志表示に他ならない。そして、その中から今回は、それぞれ年代順に、10年刻みで、この60年ばかりの映画を、公開年と監督名を添えて並べておいたので、よろしく。

 

① 『悲しみよ〔、〕こんにちは』(1957年、オットー・プレミンジャー)

② 『冒険者たち』(1967年、ロベール・アンリコ)

③ 『燃えよ〔、〕ドラゴン』(1973年、ロバート・クローズ)

④ 『八月の鯨』(1987年、リンゼイ・アンダーソン)

⑤ 『大誘拐』(1991年、岡本喜八)

⑥ 『藍色夏恋』(2002年、イー・ツーイェン)

⑦ 『虹色ほたる』(2012年、宇田鋼之介)

 

ところで、今日の日付は陽暦(=新暦)では、とうとう「夏休み」の最後の一日となる、9月30日(火曜日)であるけれども、困ったことに、これに和歌山大学の学年暦を宛がうと、すでに9月18日(木曜日)に「夏休み」(正式名称:夏季休業)は、とっくに終わってしまっているし、第一、その「夏休み」が始まったのも8月10日(何と、日曜日!)のことに過ぎない。また、かつて140年余り前まで、私たちの国で使われていた陰暦(=旧暦)では、今日の日付は9月7日である。と言うことは、もう陽暦では9月も終わり、明日から10月になる――という段階であるのに対して、陰暦では9月が始まって、まだ一週間ほどしか時間の経っていない、そのような時分である。おまけに、陰暦では秋は、7月から9月を指し示しており、そろそろ今日は、秋の終わりの近づいてくる日でもあった。

事実、陰暦では今日から2日後(すなわち、明後日→この漢字を、どうして君は「あさって」と、読むことが出来るのですか?)に、いわゆる五節供(人日=1月7日、上巳=3月3日、端午=5月5日、七夕=7月7日、重陽=9月9日)の中の一つの、重陽(→陽数の極である、九の重なる日)の節供が営まれ、そこでは、この節供の別称の、菊の節供からも明らかな通りに、菊の花を飾り、菊の花を見て、菊の花を浮かべた杯で酒を飲み、お互いの長寿(と言うよりも、まさしく長久=重九)を祝い、詩や歌を詠み交わしたりしたのが、そもそも、この一日の行事であった。そして、当然のことながら、このような行事が君や僕の、目下、使っている(と言うよりも、使わされている)カレンダーから姿を隠したのは、これまで繰り返し、述べてきたように、明治6年(1873年)の年頭である。

そう言えば、和歌山には「長久」という名の日本酒があって、たまたま昨夜、この酒造会社(中野BC)の醸(かも←かむ=噛)している「紀伊国屋文左衛門」という酒で、僕は晩酌をし、このブログ(第89回「季節外れ」の話)においても君に伝えておいた、あの李白の漢詩(「待酒不至」)のことを、ふたたび想い起こしたりした次第。......でも、残念ながら、かつての中国的な、あるいは日本的な、教養人(persons of culture=文化人)であれば、当たり前に口遊(くちずさ)んだであろう、中国の漢詩も日本の和歌も、ほとんど僕は、嗜(たしな)める域には達していないので、せめて僕は『古今和歌集』(巻第五)に遺されている、今から1100年以上も前に詠まれた、この重陽の節供の歌合(うたわせ)から、次のような菊の花の歌を数首、君に見繕(つくろ)っておくことにしよう。

 

久方(ひさかた)の/雲の上にて/見る菊は/天(あま)つ星とぞ/過(あやま)たれける(269、藤原敏行)

露(つゆ)ながら/折りて挿頭(かざさ)む/菊の花/老(お)いせぬ秋の/久しかるべく(270、紀友則)

秋風の/吹上(ふきあげ)に立てる/白菊(しらぎく)は/花かあらぬか/波の寄するか(272、菅原道真)

秋の菊/匂(にほ)ふ限りは/かざしてむ/花より先と/知らぬ我が身を(276、紀貫之)

心あてに/折らばや折らむ/初霜(はつしも)の/置き惑(まど)はせる/白菊の花(277、凡河内躬恒)

 

ちなみに、この五つの歌の真ん中に置かれているのは、題詞によると「寛平(くゎんぴゃう)の御時(おほんとき)后(きさい)の宮の歌合の歌」とあって、すでに現在を遡ること、1120年以上も昔の歌である。また、この歌を詠んでいるのは、当時、出世街道を驀進(ばくしん)中であり、やがて果敢にも、遣唐使を廃止するまでに至る、菅原道真(すがわら・の・みちざね)であったけれども、このようにして9月9日が訪れると、重陽の節供に合わせて、その名の通りの菊合(きくあわせ)が催され、それぞれの菊の花には、それぞれの歌が結び付けられていた訳である。なお、この歌の中に登場する「吹上」が、言うまでもなく、この当時の観光名所(!)として世に聞こえ、歌枕(うたまくら)にもなっている、和歌山の「吹上の浜」であったことは、君も充分に、承知のはずである。

とは言っても、この時、実際に菅原道真が、和歌山の「吹上の浜」に佇(たたず)んでいた訳では、なく――それならば、すでに彼の大宰府への遷任(いわゆる「左遷」)も、さらに後年の「和歌浦天満宮」の雷(かみなり=神鳴)様への昇任(?)も、この時点において先取りされているかのようであり、興味を掻(か)き立てられること、この上ないが、現実に彼が歌を詠んでいるのは、この歌合の催された、宮中の州浜(すはま)の近くであって、そこから彼は、この模造された州浜を見て、はるかに遠く、はたして彼が目にしたことがあったのか、なかったのか......そのこと自体も二義的な形で、彼は和歌山の「吹上の浜」を望見していたのである。そして、そのような幻視(hallucination)の力が、昔も今も、変わることのない文学の力であることに、君や僕は納得せざるをえない次第。

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