ホームメッセージ「吹上の浜」の話 ――「教養」の来た道(94) 天野雅郎

メッセージ
メッセージ

「吹上の浜」の話 ――「教養」の来た道(94) 天野雅郎

先日、たまたま『新古今和歌集』を開いて、読んでいた折、僕は再度、和歌山の「吹上(ふきあげ)の浜」に出会(でくわ)す機会があったので、今回も前回に引き続き、僕は君に「吹上の浜」の話を聴いて貰(もら)いたい。――と、このようにして毎回、僕は貰いたい、貰いたい......と連呼しているけれども、そもそも貰いたい、という使い方をする時の「貰う」は補助動詞であって、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で調べると、そこには「動詞の連用形に助詞「て(で)」を添えた形」で用いられ、この語が「他人の好意により、または自分から依頼して行なわれた行為によって自分が利益を受ける」場合と、さらに「自分の好意により、または他人の依頼によって自分が行なった行為が他人に利益をもたらす」場合の、二つの意味を兼ね備えた語であったことが分かる。

と言うことは、このようにして「貰いたい」という語が、君や僕の口から出て来る際、そこには表裏一体の形で、いつも君や僕の「好意」や「依頼」や、お互いの「利益」が前提とされ、あるいは、そこから導き出されうるものであることが、確信されている訳である。その意味において、この「貰いたい」という語は日本人の、はなはだ特徴的な人間観の機微(きび)を、とらえた語ではないのか知らん、と僕は思うけれども、どのように君は感じるであろう。もっとも、その折には『日本国語大辞典』が述べている通りに、それが「他人の行なった行為によって自分が迷惑を受ける」ことに、たびたび繋がらざるをえないのも、疑いようのない事実であり、いわゆる「貰う物は夏も小袖(こそで)」と、のんびり構えていても大丈夫なのか、どうか、それは結局、相互の信頼次第であろうか。

さて、このような枕(まくら=prologue)で、本題の「吹上の浜」に話を移すと、そもそも『新古今和歌集』に「吹上の浜」が登場するのは、僕の知る限り、以下の三首に過ぎない。簡単に説明を加えておくと、一番目の歌(①)は祐子内親王家紀伊(ゆうし・ないしんのうけ・の・きい)が作者で、題詞には「堀川院に百首の歌、たてまつりけるに」とあるから、平安後期の堀川天皇(1079-1107)の時代の歌であったことになる。二番目の歌(②)は、同じ『新古今和歌集』の「冬歌」(巻第六)で、一番目の歌の直後に置かれている歌であり、この和歌集の「仮名序」の執筆者でもあり、巻頭歌に選ばれたことでも知られている、藤原良経(ふじわら・の・よしつね=摂政太政大臣)が、建仁元年(1201年)に当時の、後鳥羽院(=上皇)に「五十首の歌、たてまつりし時」のものである。

すなわち、これら二つの歌は『新古今和歌集』においては、ほとんど違和感もなく、隣り合わせに並べられている歌ではあるが、何と、これら二つの歌の間には100年ばかりの時間が流れ過ぎている訳である。そして、そのような時間差(時代差?)を物(もの)ともせず、200年であろうが300年であろうが、それどころか、400年であろうが500年であろうが、その歳月(音読→サイゲツ、訓読→としつき)を一気に乗り越え、そこに文字どおりの、300年ぶり(905年→1205年)の『古今和歌集』の再来を夢見たばかりか、驚くべきことに、そこに現実世界の時代転換(平安→鎌倉)をも覆(くつがえ)そうとする、過去(「古」)と現在(「今」)の融合を産み出そうとしたのが『新古今和歌集』であり、ひいては、そのための技法(呪法!)として考案されたのが「本歌取り」であった。

 

① 浦風(うらかぜ)に/吹上の浜の/浜千鳥(はまちどり)/波立ち来(く)らし/夜半(よは)に鳴くなり(646)

② 月ぞ澄(す)む/誰(たれ)かは此処(ここ)に/紀(き=来)の国や/吹上の千鳥/ひとり鳴くなり(647)

③ 打ち寄する/波の声にて/著(しる)きかな/吹上の浜の/秋の初風(1607)

 

その意味において、三番目の歌(③)は実際に、その「本歌取り」を地で行ったものであり、この歌自体は藤原教長(ふじわら・の・のりなが)が「名所(などころ)の歌、詠ませ侍(はべ)りけるに」と題詞にはあって、その際に祝部成仲(はふりべ・の・なりなか)が作った歌である。なお、その折の「名所」(訓読→などころ、音読→メイショ)には全部で、どうやら25の名勝旧跡が、日本中から選ばれていたらしく、要するに、その内の一つが和歌山の「吹上の浜」であった次第。そして、そのような「名所」の一つに和歌山の「吹上の浜」が選ばれたのは、すでに前回、僕が君に紹介を済ませておいた、あの菅原道真(すがわら・の・みちざね)の歌が直接の、起源と言おうか、典拠と言おうか、少なくとも、この歌の「本歌取り」の、その「本歌」と目されていたからに他ならない。

と言うことは、この歌が詠まれたのは、おそらく12世紀の中盤であったから、いわゆる「本歌」を作った天神様(=菅原道真)との間には、250年以上の隔たりが介在していたことになる。例えば――と言いながら、なかなか適当な例が引き合いに出せず、僕は困っているけれども(......^^;)例えば、今年(2014年)から250年を遡って、ちょうど、その年(1764年)に中国(清)から、中国史上で最大規模(一万巻)の百科事典(『古今図書集成』)が日本に輸入され、これが江戸城内の「紅葉山(もみじやま)文庫」(library=図書館)に収蔵されることになった(!)と聞いても、いっこうに君はピンと来ない側であろうか、それとも、このような図書館が結果的に、私たちの国を内側から、新しい時代へと変えていく力を秘めたものであったことに、敏感に、反応してくれる側であろうか。

ちなみに、この『古今図書集成』を私たちの国に輸入するに当たり、主導的な役割を果たしたのは、これまた和歌山に縁(ゆかり)の、徳川吉宗(とくがわ・よしむね)であった。――と聞けば、よもや君は彼(江戸幕府第八代将軍)が「暴れん坊将軍」(?)であることは知っていても、その反面、彼が大変な勉強家であり、読書家であり、ひいては蔵書家(book collector)であったことを、知らなかった訳では......ないよね。でも、彼自身は残念ながら、この年を遡ること13年前(1751年)に亡くなっているので、この文庫自体を、彼は目にすることが叶わなかった次第。そのような時、君は彼が、どのような思いを抱いて死んでいったのか、ほんの少しでも、分かるであろうか。なお、この「紅葉山文庫」が基になって、やがて「内閣文庫」や、現在の「国立公文書館」は生まれている。

言い換えれば、このようにして人間は、何時(いつ)の時代にも、過去(「古」)と現在(「今」)を結び付け、その結び付きの中から、新しい未来(「古今」→呉音:ココン、漢音:コキン)を想像し、かつ、創造してきた訳である。例えば、かつてライプニッツが『人間知性新論』の中で、まさしく「現在は未来を孕み、過去を担う」と、言っている通りである。その意味において、僕は再度(三度?)君に和歌山に縁の話をしておくと、このようにして『古今図書集成』が中国から日本に輸入される直前、あの本居宣長(もとおり・のりなが)が生涯に一度だけ、師である賀茂真淵(かも・の・まぶち)の教えを受けたこと(「松坂の一夜」)も、彼らがライプニッツの、ほぼ同時代人であったことを含めて、決して偶然の出来事ではない、と僕は思うけれども、さて君は、どうであろうか。

教養の森に関するお問い合わせはこちらまで 和歌山大学学生センター 学務課

| 所在地:〒640-8510 和歌山県和歌山市栄谷930 | 電話番号:073-457-7130 |

Copyright ©2012 - 2017 Wakayama University