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熊野学事始(第一話)――「教養」の来た道(96) 天野雅郎

昔々(once upon a time)――と言って始まるのは、その名の通りの昔話(むかしばなし=昔噺)であるけれども、はたして君は、この「昔話」という語が意味するものと、例えば「神話」や「伝説」という語が指し示しているものが、どのように違っているのか、知っているであろうか。あるいは、そもそも「昔話」にしても「神話」にしても「伝説」にしても、これらの語が今のような形で使われるようになったのは、私たちの国が近代化を遂げて以降の、明治時代からのことであり、何と「昔話」も「神話」も「伝説」も、はなはだ近代的な語であって、近代(modern times)という時代が産み出した、きわめて新しい仕組み(system→仕掛け)であることを、まず君には覚えておいて欲しい。それと言うのも、いつも決まって「昔話」には、何か古い香りが、つきまといがちであるから。

ところで、そのような昔々......今から四半世紀ばかり前に、はじめて僕が和歌山に来た時、和歌山市駅の近隣に居を定めてから、まっさきに僕が訪ねたのは、現在の和歌山県日高郡みなべ町の、ただし、当時は「平成の大合併」の前であり、この町も漢字で「南部」と書かれてはいたが、その町内を走る、JR西日本の紀勢本線(愛称→きのくに線)の、岩代(いわしろ)駅であった。と言えば、このブログの熱心な読者である君は――と書いて、ふと僕は気になったので、この「熱心」という語を馬鹿の一つ覚えのように、それとも虚仮(コケ→虚と仮の呉音、仏教用語)の一心(=一念)のごとく、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で調べてみると、そこには予想どおり、この語が明治時代に生まれた、その意味において、近代的な日本語であり、翻訳語であることが分かる。

もっとも、より厳密に言えば、この語の初出として『日本国語大辞典』が挙げているのは、すでに江戸時代の末年(慶応2年・1866年)には刊行されていた、日本初の本格的な英和辞典であり、堀達之助(ほり・たつのすけ)の編纂した『改正増補英和対訳袖珍〔しゅうちん〕辞書』であったから、この語の成立自体は、実は明治以前に遡る、と言えば言える。また、この「熱心」という語に続いて、さらに『日本国語大辞典』は「熱心家」と「熱心者」という語を並べており、それぞれの語の用例には井上勤(いのうえ・つとむ)訳の『亜非利加〔あふりか〕内地三十五日間空中旅行』(1883年)と、坪内逍遥(つぼうち・しょうよう)の『春迺家〔はるのや〕漫筆』(1891年)が挙げられているので、いずれにしても、これらの語は明治時代には、好んで使われた語であったことが窺われうる。

ちなみに、井上勤(1850-1928)は和歌山とは、紀伊水道を挟んだ徳島の出身であり、この頃の大蔵省や文部省で、翻訳係を務めていた人物であって、その甥(おい)には内田魯庵(うちだ・ろあん)がいることでも知られているが、この時期、彼が翻訳した書物には、例えばトマス・モアの『良政府談』(ユートピア)や、シェイクスピアの『人肉質入裁判』(ヴェニスの商人)や、デフォーの『絶世奇談魯敏孫漂流記』(ロビンソン・クルーソー)があって、驚かされる。が、このようにして数え上げると、いかに当時の日本人が貪欲(どんよく←とんよく)に、まさしく欲を貪(むさぼ)るようにして、英語であれ、ドイツ語であれ、フランス語であれ、これらの外国語(foreign language)を通じて、多くの新しい、知識や情報を仕入れようとしていたのかが想い起こされ、興味は尽きない。

なお、さきほどの「熱心家」の用例として、その名を挙げた『亜非利加内地三十五日間空中旅行』は、おそらく君も気が付いている通りに、フランスの小説家で、今では「SFの父」と称されている、ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)を一躍、人気作家に仕立て上げることになった、あの『気球に乗って五週間:三人のイギリス人によるアフリカ探険旅行』(Cinq semaines en ballon : voyage de découvertes en Afrique par trois Anglais)の翻訳である。ついでに、同じヴェルヌの翻訳として、さらに井上勤は『月世界旅行』(→前篇『九十七時二十分間月世界旅行』・後篇『月世界一周』)や、あるいは『海底旅行』(→『六万英里海底旅行』)や『八十日間世界一周』(→『通俗八十日間世界一周』)と言う、君にしても僕にしても、よく知っている作品の翻訳も手掛けているから、またビックリ。

と言う訳で、どんどん話が脱線を続けている(......^^;)と、君は感じているかも知れないが、この程度の「脱線」(derailment? deviation? digression?)は僕にとっては、いっこうに脱線ではなく、事実、今回の話は僕にとっては、文字どおりのレール(rail=横木)の上に乗った、円滑な「旅行」の話なのである。――と言った強弁は、この程度にしておいて、僕が今回以降、しばらくの間、君に伝え続けたいのは、このような「旅行」や「鉄道」(イギリス語→railway、アメリカ語→railroad)や、場合によっては、その「脱線」から導き出されうる、さまざまな人間の経験(experience=試行錯誤→実証知識)であり、そのような経験談を可能な限り、僕は目下、君や僕が暮らしている、この和歌山の南部(すなわち、南紀)の、とりわけ熊野(くまの)に即する形で、君に物語りたい。

さて、このようにして振り返ると、僕が今回、このブログの冒頭部分で、まさしく昔々......今から四半世紀(25年!)も時を遡り、はじめて和歌山に移り住んだ折、まっさきに現在の日高郡の「みなべ」町の、当時は「南部」町の、岩代駅を訪ねたことから話を始めている――その、起源と言おうか、経緯と言おうか、理由を薄々、君は察してくれているのではあるまいか。そして、きっと君の察してくれている通りに、僕は和歌山に来た時、大袈裟(おおげさ)な言い方をすると、生まれて初めて、それまで一度も足を運んだことのない、和歌山の土を踏んだ際、僕には和歌山の最も魅力に富んだ場所として、この「南部」(みなべ)と呼ばれる、それ自体が特別な、日本の南部(音読→呉音:ナンブ、漢音:ダンホウ)に位置を占めている場所へと、どうしても僕は、出向きたかったのである。

理由は簡単である。でも、それは生まれもって、生まれながらに和歌山に暮している人(native)には、うまく分かって貰(もら)えない、ある種の「外部」の視線であり「他者」の感情であるのかも知れないけれども、僕自身が例えば、このようにして和歌山に到着後、最初の旅行先として「南部」を選んだのは、それが『万葉集』に登場する、あの有間皇子(ありま・の・みこ)の自傷歌の舞台であったことや、それに纏(まつ)わる、柿本人麻呂(かきのもと・の・ひとまろ)や山上憶良(やまのうえ・の・おくら)の歌が僕の頭の中に、あったことは確かであるにせよ、やはり一番、この場所に僕が惹き付けられた理由は、お察しの通りに、この時、谷山浩子(たにやま・ひろこ)の『テングサの歌』の中に置かれている、あの「古いベンチ」に、ぜひとも僕が座りたかったからである。

 

紀勢本線 各駅停車 南部の次の岩代駅の

ひと気のないホームの 古いベンチの上に あたしはいるの

・・・・・

ぽかぽか お陽さまよ いい天気

・・・・・

しゅるしゅる そよ風よ いいきもち

・・・・・

紀勢本線 各駅停車 南部の次の岩代駅の

ひと気のないホームの 古いベンチの上に あたしはフワフワ

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