ホームメッセージほほほほ......と笑う人(第三話)――「教養」の来た道(110) 天野雅郎

メッセージ
メッセージ

ほほほほ......と笑う人(第三話)――「教養」の来た道(110) 天野雅郎

夏目漱石(なつめ・そうせき)の『草枕』は、これまで幾度か、君に伝えておいたように、明治39年(1906年)に文芸雑誌の『新小説』に掲載されたものである。――とは言っても、この『新小説』という雑誌自体を、おそらく君は知らないであろうし、ここで『新小説』という名前を聞いても、この名前の持っている、それこそ新(あたら←あらた)しい、何かが改(あらた)まるような感じを、きっと君も僕も、すでに経験することが叶わなくなっているに違いない。なにしろ、君や僕の周囲には、どこか古ぼけた......とっくの昔に存在していた何かが、とっかえ、ひっかえ、装いを新たに登場するだけで、そこに本当に新奇な、斬新な何かが、君や僕に新鮮な驚きを与えてくれる可能性は、ずっと以前に置き忘れられ、ただ眼前の変化だけを、君や僕は新しいと感じているに過ぎないから。

と、このようなことを言い出すのは、僕が君と違って、ずいぶん年齢を積み重ねてしまった、いわゆるロートル(老頭児→中国語!)であるからなのか知らん。でも、この『新小説』という名前を聞いても、この文芸雑誌が1889年(明治22年)に創刊され、その4年前(明治18年→1885年)には、ようやく坪内逍遥(つぼうち・しょうよう)の『小説神髄』が刊行されたばかりであったことを、君も僕も、まったく感じ取ることが出来ないのではなかろうか。すなわち、君や僕が現在、頻繁に使っている「小説」という語は、この時期になって姿を見せ、それが英語のノヴェル(novel)の翻訳語であった点も含めて、当時、生まれたばかりの産声(うぶごえ=初声)を「オギャア、オギャア」と立てている、文字どおりの「ヲギヤア」(坪内逍遥『当世書生気質』)であったことになるのである。

この感じが分からないと、おそらく『新小説』を刊行した、例えば饗庭篁村(あえば・こうそん)を主幹とする、当時の「小説家」(novelist→『小説神髄』)の面々の、その熱意も、よく分からないであろうし、ましてや夏目漱石が、この『新小説』に意欲満々の、それこそ「天地開闢以来〔、〕類のないもの」(小宮豊隆宛書簡)である『草枕』を、この17年後に掲載した際の意気込みも、ほとんど理解できないであろう。その意味において、これまた岩波書店の『漱石全集』の、小宮豊隆(こみや・とよたか)の解説の受け売りで恐縮であるが、僕は以下、漱石自身の談話(『余が「草枕」』)の文章を引き、君の用に供したい。――「この種の小説は未だ西洋にもないやうだ。日本には無論ない。それが日本に出来るとすれば、先づ、小説界に於ける新しい運動が、日本から起つたといへるのだ」。

ちなみに、この時期の『新小説』の編集長の椅子には、二代目の幸田露伴(こうだ・ろはん)が座っており、第一次の『新小説』が一年半の、はなはだ短命な雑誌であったのに対して、この第二次の『新小説』は明治29年(1896年)に始まり、昭和2年(1926年)に終わる、言ってみれば、明治と大正と昭和の三代を跨いだ、いたって長命の雑誌であったことになる。そして、その間には、夏目漱石の『草枕』の他にも、例えば泉鏡花(いずみ・きょうか)の『高野聖』(明治33年→1900年)や国木田独歩(くにきだ・どつぽ)の『帰去来』(明治34年→1901年)や、あるいは、あの田山花袋(たやま・かたい)を一夜にして、文壇の寵児へと担ぎ上げた、例の『蒲団』(明治40年→1907年)を始めとして、やがて日本の近代文学の本流へと注ぎ込む、数々の名作を掲載することになった次第。

この傾向は、明治から大正へと時代が移っても、依然として引き継がれ、例えば森鷗外(もり・おうがい)の『堺事件』(大正3年→1914年)や、ふたたび泉鏡花の『天守物語』(大正6年→1917年)や、あるいは横光利一(よこみつ・りいち)の『日輪』(大正12年→1923年)等、この『新小説』に掲載され、有名になった作品は少なくない。もっとも、このような時期には結果的に、すでに夏目漱石は鬼籍(きせき)の人となっており、戒名(文献院古道漱石居士)を持つ身となっているから、この『新小説』という文芸雑誌が役目を終えて、やがて廃刊を迎える頃のことは、知る由(よし)もないが......。ともかく、このようにして今から、百年前後も前の「小説」が、遡ればイタリア語の「新しい物語」(novalla storia)に由来する語であったことを、もう一度、君や僕は想い起こしたい。

さて、いささか前置きが、長くなってしまったけれども、このようにして『草枕』という「小説」は、おそらく夏目漱石が「小説家」となり、文字どおりの「新しい物(もの)語」を物(もの)していく上で必要な、知力や体力や、要するに筆力を、彼自身が推し測るために書き上げられた、重要な作品であったことになるであろう。そして、そのような背景を踏まえると、この作品の中で主人公の「余」(よ)が、部屋で「小説」を読んでいる折に「那美さん」が入って来て、この二人が「小説」について、あれこれ議論を交わし、そもそも「小説」は、最初から読まなくてはならないのか、逆に、最後まで読まなくてはならないのか、あるいは適当な所を適応に読んでも、いっこうに構わないのではないか、と言い争い、そこから続いて、この作品の主題が姿を見せることになるのは興味深い。

例えば「小説」を読む時に、その作品の「筋を読まなけりや〔、〕何を読むんです。筋の外(ほか)に何か読むものがありますか」と、主人公に「那美さん」が問い質(ただ)す。はたして君なら、どのように答えるであろう? 普段、君や僕が一般に「小説」を読む時には、このようにして「那美さん」の言うように、もっぱら「筋」を読んでいるのではなかろうか。むしろ「筋」以外に、読むべきものがあるとすれば、それは一体、何なのであろう。――と言い出すと、実は僕は主人公と同様、案外、そうではないから(......^^;)困ってしまうのであるが、ひょっとして君は常に、まず「小説」の最初の1ページを開き、これを読み始めて、次から次へとページを捲(めく)り、とうとう最後の1ページに辿り着き、その「小説」を読み終える、という形の読書を、繰り返してきた側であろうか。

それならば、どうやら君は現時点において、いまだ『草枕』の主人公の唱える、いわゆる「非人情」の境地には、達したことがないらしい。と言って、そのこと自体を、僕は別段、馬鹿にしたり、非難したりする気持ちは、さらさら無いし、また、逆に僕自身の「非人情」な読書法(!)を君に自慢したり、伝授したりしたい気持ちも、まったく湧き起こらないけれども、結果的に僕自身は、このような「非人情」な読書法を、おそらく大学生の頃から、あまり意識せず、知らない間に身に付けていた、と言うのが正直な所である。なにしろ、何度も言うように、この『草枕』の「那美さん」に僕が興味を抱くのは、いつも決まって、彼女が「ほほほほ」とか「ホホホホ」とか笑っている、その笑い声にこそ、僕は興味があるからであった。――「ホホホホ〔、〕大変〔、〕非人情が御好きだこと」

 

「小説なんか初〔はじめ〕から仕舞〔しまひ〕迄(まで)読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。こゝへ逗留(とうりう)して居るうちは毎日話をしたい位です。何なら〔、〕あなたに惚(ほ)れ込んでもいゝ。さうなると猶(なほ)面白い。然し〔、〕いくら惚れても〔、〕あなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初から仕舞迄読む必要があるんです」

「すると不人情な惚れ方(かた)をするのが画工(ゑかき)なんですね」

「不人情ぢや〔、〕ありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんか〔、〕どうでもいゝんです。かうして、御籤(おみくじ)を引くやうに、ぱつと開(あ)けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」

教養の森に関するお問い合わせはこちらまで 和歌山大学学生センター 学務課

| 所在地:〒640-8510 和歌山県和歌山市栄谷930 | 電話番号:073-457-7130 |

Copyright ©2012 - 2017 Wakayama University