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ほほほほ......と笑う人(第四話)――「教養」の来た道(111) 天野雅郎

さて、今回も引き続き、夏目漱石(なつめ・そうせき)の『草枕』の話である。が、そもそも草枕(くさまくら)という言い回しを辿り直すと、そこには結果的に、いわゆる枕詞(まくらことば)という言い回しが登場することになり、この二つの語には、どちらにも枕(まくら)という語が宛がわれている。けれども、一方の「草枕」が『万葉集』の頃から、すでに頻繁に......と言ったのは、その『万葉集』だけでも50回ばかり、この語が使われているからに他ならないが、それに対して、もう一方の「枕詞」は少なくとも、古代においては用例が見当たらず、例えば『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の挙げているのも、下って中世(すなわち、室町時代)の歌学書で、今川了俊(いまがわ・りょうしゅん)の著した『落書露顕』であったから、これは今から、ほぼ六百年前の用例になる。

要するに、このようにして「草枕」という「枕詞」自体は、もともと「古代の韻文、特に和歌の修辞法の一種。五音、またはこれに準ずる長さの語句で、一定の語句の上に固定的について、これを修飾するが、全体の主意に直接にはかかわらないもの」(『日本国語大辞典』)でありながら、それが「枕詞」という名で呼ばれ、この『日本国語大辞典』のような形で理解され、説明されるようになったのは、実は、その「枕詞」自体が衰退して、はっきり言えば、ほぼ死滅してしまってからのことであった。したがって、その「被修飾語へのかかり方は、音の類似によるもの、比喩・連想や、その転用によるが、伝承されて固定的になり、意味不明のまま受け継がれることも多い」(同上)のが実情である。――論より証拠、この「草枕」という「枕詞」の「かかり方」にも、よく分からない点がある。

例えば、次に挙げるのは『万葉集』(巻第十四)の、いわゆる「東歌」(あづまうた=吾妻歌)の一首(3404)で、上野(かみつけの→こうづけ)の国の歌として、現在の群馬県で詠まれた歌であるが、そこには多胡(たご)という地名に掛かる形で、この「草枕」という「枕詞」が使われている。おそらく、これは「草枕」が一般に、いわゆる「旅」(たび)に掛かる「枕詞」であったので、それが同じ「た」の音で始まる、多胡にも適応されたのであろう、と考えられているけれども、その真相は、よく分からない。ひょっとすると、こちらの方が古い使い方で、むしろ通常の「旅」に掛かる用法は、ここから導き出されたのではなかろうか、と推測することも可能であるし、また、さらに多胡の「た」が枕を束(たば)ねる、という意味の「束(た)く」と繋がっているのでは、という説もある。

 

安我古非波(あがこひは→吾が恋は)

麻左香毛可奈思(まさかもかなし→まさかも愛し)

久佐麻久良(くさまくら→草枕)

多胡能伊利野乃(たごのいりのの→多胡の入野の)

於久母可奈思母(おくもかなしも→奥も愛しも)

 

第二句に「まさかも」とあるのは、漢字で書くと「目前も」となって、君や僕の目の前の、という意味になる。したがって、この歌の中では詠み手の「あ」(吾=我)が、みずからの恋(こひ→古非)を「かなしい、かなしい......」と、もう一人の「あ」に訴えている訳である。そして、そのような訴(うったえ←うたえ)から、君や僕が歌(うた)と呼んでいる日本語も、生まれてきたに違いない。その意味において、君や僕が「かなしい」と感じる時に、それが一方で「悲しい」や「哀しい」であることは、疑いがないけれども、もう一方では確実に、そこに「愛しい」という感情が含まれていることも、疑いがない。と言うよりも、そもそも君や僕は一人の、それぞれの「あ」として、自分が「愛しい」と思うものしか、これを「悲しい」とか「哀しい」とか、思うことは出来ないのである。

ちなみに、もともと『万葉集』において「三大部立」と称されている、雑歌(ゾウカ)と相聞(ソウモン)と挽歌(バンカ)が、いったい何時の頃から、その形を刻み出し、そこから部立(ぶだて)として成り立つことになったのかは詳(つばひらか→つまびらか)ではない。が、少なくとも、君や僕が誰かを、あるいは何かを、一方で切実に「悲しい」や「哀しい」と感じる時に、そこに挽歌が生まれ、もう一方で熱烈に「愛しい」と感じる時に、そこに相聞が生まれたであろうことは、想像に難くない。なにしろ、このようにして君や僕が、自分では押さえ切れない、抑制の効かない感情に遭遇した際に、その「対象への真情が痛切にせまって〔、〕はげしく心が揺さぶられるさまを広く表現する」(『日本国語大辞典』)ために、この「かなしい」という語は生まれ、育まれてきたのであるから。

事実、例えば先刻の東歌の中で、この歌の詠み手は自分の眼前に広がる、多胡の入野の――要するに、そこに「入り込んで奥深い野」(『日本国語大辞典』)が続いている地点に立って、自分の目下の「恋」を「かなしい」と嘆(なげ)き、文字どおりに、そこで長(なが)い息(いき)を吐いている訳である。けれども、このようにして彼が嘆いている、その時点は現在であっても、そこから彼の視線は入野の奥(おく)の、まさしく沖(おき)の方へと流れ出し、漂い始め......そこから遠い、はるかな未来のことをも、きっと彼は思い描いていたに違いない。と言うことは、その際の「かなしい」は単に「愛」という、この漢字によって表現し尽くされるような、一面的な「かなしい」ではなく、むしろ逆に、そこには「悲しい」や「哀しい」という複雑な思いも、絡まり合っていたはずである。

そうでなければ、そこに「草枕」という、あえて「枕詞」を使い、この「恋」が文字どおりに「草」を「枕」とする、場合によっては、楽しいことも多いけれども、場合によっては、苦しいことも多いであろう、それ自体が「旅」であることを、表現する理由はなくなってくる。残念ながら――と言うのは、いささか語弊があるが、ふたたび『日本国語大辞典』を繙(ひもと=紐解)くと、この歌の中の「奥」という語は「時間的に、現在から遠い先のこと」を指し示し、どうやら「過去の意には用いない」のが規則(ルール)のようであるから、この歌が結果的に、挽歌である可能性はないことになる。とは言っても、はたして「奥」という語の、それこそ「奥」に、この二人の恋人が出会い、おそらく逢瀬を重ねたであろう、多胡の入野が広がっていなかったのか......どうかは、微妙である。

ところで、これまで僕は君に、この東歌の作者を男性に想定して、話をしてきたけれども、この歌の詠み手が女性である可能性も、充分に考えられる。と言ったのは、それが夏目漱石の『草枕』の末尾で、あの「那美さん」の顔に浮かぶ「憐(あは)れ」の正体でもあれば、この作品を夏目漱石が、ほかならぬ『草枕』と名づけた理由でもあったのではなかろうか、と僕が考えているからに他ならない。すなわち、ここで夏目漱石が「憐れ」という語で呼んでいるものと、僕が今回、君に「かなしい」という語で伝えてきたものは、ほとんど等しく、君や僕が生きている以上、必然的に抱え込まざるをえない、どうしようもない感情の、切ない揺らぎであり、それは「うれしいにつけ、楽しいにつけ、悲しいにつけて、心の底から自然に出てくる感動のことば」(『日本国語大辞典』)であった次第。

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