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ほほほほ......と笑う人(第六話)――「教養」の来た道(113) 天野雅郎

前回は夏目漱石(なつめ・そうせき)の『草枕』の言葉(「春は眠くなる」)の通りに、まったく「那美さん」のことを喋るのを忘れてしまい、このブログの表題(「ほほほほ......と笑う人」)には、似つかわしくない内容になってしまったけども、僕自身は決して、この笑い声の主のことを、頭の中から除いてしまっていた訳ではない。なにしろ、この小説の中で主人公の「余」(よ)が、物語の冒頭に雲雀(ひばり)の声を聞き、そこでシェリーの詩まで想い起こしながら、結局、このような鳥の鳴き声から人間の、それどころか、この世界に生きる、ありとある(→あらゆる)生き物の「魂の〔、〕ありか」に目を開かれることになったのは、やがて主人公が「那美さん」と出会い、彼女の口から「あれが本当の歌です」と、鶯(うぐひす→うぐいす)の鳴き声を教えられてからのことであったから。

ちなみに、その鶯の鳴き声を、漱石自身は「ほーう、ほけきよう」と表現しているけれども、これは言うまでもなく、鶯が「経読み鳥」の異名の通りに、彼の耳には『法華経』を唱えているように聞こえていたからに他ならない。とは言っても、もちろん、これは単純に彼の耳に、このように鶯の鳴き声が聞こえた、という話ではなく、このように鶯の鳴き声を聞く――と言うよりも、聞かざるをえず、聞くことしか出来ない、そのような文化の中に、君や僕と同様、夏目漱石が生きていたからであり、このような文化は『日本国語大辞典』(2006年、小学館)によると、どうやら中世以降の文化であったらしく、例えば、室町時代の後期に浄土真宗の蓮如(れんにょ)が末期に臨み、このように「法ほききよ」と鳴く鶯の声を聞いた、という言い伝え(『空善聞書』)も、遺されているようである。

と言うことは、鶯の鳴き声は必ず、いつも決まった形で、君や僕の耳に「ホウ、ホケキョウ......」と、ありがたい『法華経』の経文のように聞こえた訳ではなく、裏を返せば、鶯の鳴き声も文化が違えば、それに合わせて、違った声で聞こえざるをえない、と言うことになる。事実、これまた『日本国語大辞典』の語誌に従えば、かつて僕の郷里(島根県松江市)が『出雲国風土記』(和銅六年→713年)に登場した際、その「嶋根(しまね)の郡(こほり)」の「法吉郷(ほほきのさと)」(現:法吉町)の地名の由来は、次のように書き記されていたのである。――「神魂(かむむすび)の命(みこと)の御子(みこ)宇武賀比売(うむかひめ=蛤貝比売)の命、法吉鳥(ほほきどり)と化(な)りて飛び度(わた)り、此処(ここ)に静まり坐(まし)き。故(か)れ、法吉(ほほき)と云ふ」。

なお、このようにして「法吉鳥」に変身(メタモルフォーゼ)を遂げた、その名の通りの蛤(はまぐり=浜栗!)姫が、この場所に鎮座して、そこが結果的に、この女神の名を取って「ほほき」と名付けられたからには、当然、この女神が姿を変えた鶯も雌(めす)の鶯であり、雄(おす)の鶯ではなかったことになるであろう。などと言い出すと、ひょっとして君は、まったく僕が鳥の生態に詳しくなく、言ってみれば「鳥音痴」ではなかろうか......と、僕を蔑(さげす)んでいると困るので、ここで僕の「鳥音知」(?)を披露しておくと、僕も通常、鳥の鳴き声が聞こえる時には、それが繁殖期の雄の鳴き声であり、いわゆる「縄張り宣言」のための鳴き声であることは知っているし、それを鳥類用語では囀(さえずり)と呼び、普段の地鳴(じなき)からは区別していることも知っている。

これを英語で言うと、前者がバード・ソング(bird song)になり、後者がバード・コール(bird call)になる。鶯で言えば、後者に当たるのは「チャッチャッ」という「ささなき」であるけれども、これを漢字で書くと小鳴になったり、笹鳴になったりする。――と言うことは、一般に英語では鶯が bush warbler と呼ばれ、文字どおりに「叢林の囀鳥」の意味を担っていることも、なるほど、と思われてくる。なぜなら、もともと『万葉集』あたりを読んでいると、例の「梅に鶯」の組み合わせとは別に、例えば「竹に鶯」の組み合わせも登場してくるからであり、要するに、このようにして鶯は、そもそも竹林を始めとする、どこかの籔(やぶ)の中から、その鳴き声を聞かせるのが本来の形であり、君や僕の目の前で、例えば梅の花を啄(ついば)んだりするのは、不自然な話なのである。

と言い出すと、けっこう君は鳥にも造詣が深く、それは鶯ではなく、目白(めじろ)です、と僕に『草枕』の「那美さん」のように、教えてくれるのではなかろうか。その意味において、これまで僕が『万葉集』あたりに目を通していても、そこで頻用される「梅に鶯」とは違う、以下のような歌に興味が湧いてくるのも、当然のことであったのかも知れない。なにしろ、それが鳥獣であっても、あるいは楽器であっても、もちろん人間であっても、その声(こえ)や音(おと)や音色(ねいろ)は、はるか遠くから、君や僕の耳に届いてくることが、とても重要な要件であり、その要件を抜きにして、やたら自分の耳の近くで、声や音や音色を聞こうとすることは、どこか我儘(わがまま)な態度であり、君や僕が改めなくてはならない、声や音や音色との付き合い方であったに違いないから。

 

打ち霧(き)らし/雪は零(ふ)りつつ/しかすがに/吾宅(わぎへ)の苑(その)に/鸎(うぐひす)鳴くも(巻第八、1441)

春の野に/霞(かすみ)たなびき/うら悲し/この暮影(ゆふかげ)に/鸎(うぐひす)鳴くも(巻第十九、4290)

うぐひす(原文:宇具比須)の/声は過ぎぬと/思へども/沁(し)みにし心/なほ恋ひにけり(巻第二十、4445)

 

これらの歌は、実は三首とも、そろって大伴家持(おおとも・の・やかもち)の歌であり、すべて奈良時代の歌である。けれども、それぞれの歌が詠まれた時期は、かなり異なっていて、一番目の歌は一説によると、彼の処女作と目されている歌でもあり、二番目の歌と三番目の歌との間には、ほぼ二十年前後の歳月が横たわっている。彼の年齢に即して言えば、一番目の歌が十代の後半の......今風に言えば、何と、高校生の頃の歌であったのに対して、二番目の歌と三番目の歌は、三十代の後半の歌になる。したがって、そこには当然、一人の人間の成長や、いわゆる酸いも甘いも噛み分けた上での、自然観察と人間理解の妙が、生かされている。その妙を、しいて一言で表現するならば、それは二番目の歌の「うら悲し」と、三番目の歌の「沁みにし心」によって、代表させることができる。

このような境地は、いまだ十代の後半の青年に、到達可能な境地ではない。が、それにも拘らず、君や僕は一番目の歌の中にも、やがて三十代の壮年が辿り着くことになるであろう、はなはだ繊細(デリケート)な精神の、その蠢(うごめ)きの音を、きっと聴き取ることが出来るに違いない。――と言ったのは、このようにして雪が降り、雪が舞い、視界が遮られた時にこそ、はじめて遠くから、はるかに聞こえてくる鶯の声があることを、君も僕も、充分に理解は叶うはずであり、そのような冬の最中(さなか)の春の到来を、君や僕は声として、あるいは音として、その音色を通じて受け止めるのであって、それが日本語で、古く「おとなひ」(→音なひ)や「おとづれ」(→音づれ)と呼ばれたものでもあれば、それに漢字を宛がうと、これが「訪」(=言+方)となる語でもあった次第。

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