ホームメッセージよむ、ということ(承前)――「教養」の来た道(118) 天野雅郎

メッセージ
メッセージ

よむ、ということ(承前)――「教養」の来た道(118) 天野雅郎

さて、今回も引き続き、僕は君に「よむ」という日本語の、幅の広さと言おうか、奥の深さと言おうか、いずれにしても、もともと「よむ」という行為が君や僕にとって、はなはだ重要な、豊かな含蓄を有する行為であったことを知って欲しく、前回の続編の筆を執ることにした次第。が、よく考えてみれば、君にしても僕にしても、実は普段から、このような「よむ」という語の幅の広さや、あるいは奥の深さは弁(わきま)えているのであって、君や僕が単に、前回の『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の語釈( 3 )に述べられていたような、いつも決まって「文章など書かれた文字をたどって見ていく。また、文章・書物などを見て、そこに書かれている意味や内容を理解する」ことを「よむ」と称している訳ではないことも、君や僕の日常を顧みれば、おのずと明らかなはずである。

ところで、君は僕が前回、紹介しておいた『日本国語大辞典』の語釈で、この「よむ」という語の説明が、すべて完了したと思い込んでいるのではなかろうか。――と言い出すと、この場で即刻、君がリタイア(retire)をして、退役軍人のような隠居生活を送ってしまわないのか知らん、と僕は少々、心配であるけれども、それは文字どおりの、杞人の憂慮(→杞憂)に過ぎないことを期待して、そそくさと僕は『日本国語大辞典』の抜き書きを続けよう。 4 (「訓」とも書く)漢字の字音を国語の訓(くん)で表わす。漢字を訓読する。 5 眼前の事物・行為を見て、その将来を推察したり、隠された意味などを察知したりする。囲碁・将棋などで、先の手を考えたり、相手の手筋を察知したりする意にもいう。 6 講釈師などが歴史上の事件などを仕組んで講ずる。 7 カルタ遊びをする。

以上(......^^;)である。このような『日本国語大辞典』の説明を読んで、君は納得した側であろうか。それとも「エエ~」と、疑いの声を漏らした側であろうか。どちらにしても、きっと君が納得し、それ相応に頷(うなず)いてくれるのは、前回では 2 と 3 の語釈であり、今回では 4 と 5 の語釈であるに違いない。そして、それは同時に、僕が「読む」と「詠む」の二通りの漢字表記への拘泥として、君に伝えておいた点に他ならない。具体的に言えば、君も僕と共に、前回の 2 には「詠む」という漢字を、逆に 3 には「読む」という漢字を、宛がっていたはずである。また、今回の 4 に対しては、君は普段、訓読(音読→クンドク、訓読→くんよみ)という語の通りに「読む」という漢字を宛がっているであろうし、おそらく 5 の場合にも、等しい選択なのではなかろうか。

このようにして振り返ると、例えば 6 や 7 のように、君や僕が昨今、ほとんど(まったく?)親しみのないものになってしまった講釈(すなわち、講談)や、あるいはカルタに対しても、これに「よむ」という語を結び付けざるをえない時、君や僕は結果的に、どちらの漢字表記を宛がうのであろう。なお、講釈については『日本国語大辞典』に「江戸時代、民衆を相手に「太平記」などの軍書、中国の戦記、伝記、人情咄などの本を面白く注釈を加えて読んだこと。また、そのもの。明治時代、講談に発展した」と書かれているし、カルタについては「いろはガルタ」や「うたガルタ」のことを想い起こしてくれると有り難い。ついでに、もともとカルタが遡ると、カード(card→英語)やカルテ(Karte→ドイツ語)と同語源の、ポルトガル語(carta)に由来するものであった点も含めて。

ちなみに、そのようなカルタ(漢字→骨牌・歌留多)を子供の頃、君は誰かと一緒に、遊び、興じていた記憶があるのではなかろうか、と僕は思うけれども、仮に、このゲームが無言で、沈黙の内に行なわれ、いっさい「よむ」という行為を介在させないゲームであるとしたら、いかがであろう。――と言って、今、僕の頭の中に浮かんでいるのは「うたガルタ」のことであるが、この「うたガルタ」は元来、室町時代の歌貝(うたがい)に起源を持っていて、さらに平安時代の貝合(かいあわせ)にまで、その起源を遡ることができる。そして、その際の蛤(はまぐり)の裏面に書かれていたのが、ほかならぬ『伊勢物語』や『源氏物語』や、とりわけ『古今和歌集』の和歌であり、それが江戸時代になってから、いわゆる『百人一首』へと変化をし、これが一般に普及をしたのが順序である。

と言った次第で、今回も再度、僕は君に『百人一首』の話題を持ち出すことになったのであるが、そのような『百人一首』が江戸時代以降、多くの日本人の口から口へと、耳から耳へと、引き継がれ、受け継がれ、無数の日本人の声(こえ)を通じて生き続け、今に至るものであることを、僕は君に改めて、想い起こして貰(もら)いたい。また、それに加えて、そもそも歌(うた)という名で呼ばれているものが、和歌であれ、連歌であれ、短歌であれ、それらの歌は君や僕の声を介し、君の側から僕の側へと、逆に、僕の側から君の側へと、一つ一つの言葉が声を伴い、声に裏打ちをされ、君と僕との間を繋ぎ、結び付けるものであることを、もう一度、君や僕は確認をし直す必要がある。例えば、前回の『万葉集』(巻第十七、3982)の大伴家持(おおとも・の・やかもち)の歌のように。

 

春花(はるはな)の/うつろふまでに/相(あひ)見ねば/月日よみつつ/妹(いも)待つらむそ

 

この歌は、なるほど一方で、越中(現在の富山)にいる大伴家持と、一方で都(現在の奈良)にいる、彼の妻(大伴坂上大嬢)との間に交わされた、その意味においては、離れ離れの二人の人間の、声を伴わない、歌の遣り取りであるかのように見受けられる。が、そのような歌の遣り取りに際しても、実は二人の声は変わることなく、この二人の間を行き交っていたのではあるまいか。......なにしろ、この歌の中で「月日よみつつ」(月を指折り、日を数え)「妹待つらむそ」(妻は待っているであろう)と想像されている、その折の妻の声(「一つ、二つ、三つ」)は確実に、一方で大伴家持の耳に届き、聞こえているに違いないのであって、それどころか、その声が次には、この歌を通じて一方の、妻の許へと送り返され、要するに、そこで二人の声は、唱和されるに違いなのであるから。

言い換えれば、そもそも「和歌」(音読→ワカ、訓読→やまとうた)とは、このようにして『万葉集』においては、いまだ二人の人間が、あるいは、それ以上の人間が、お互いの声と声との遣り取りを通じて、お互いに埋(うづ→うず)めることの叶わない、お互いの間(あひだ→あいだ)を埋めようとする、その名の通りの「和(こた)ふる歌」のことであり、それが日本に固有のものであることも、中国の漢詩の対語であることも、二義的なものでありえたのではなかろうか。そして、そうであるからこそ、例えば『百人一首』に収められている、あの大伴家持の七夕(音読→シチセキ、訓読→たなばた)の歌も、それが「物語の内」(宋左近『鑑賞百人一首』2000年、深夜叢書社)のものであっても「物語の外」のものであっても、言ってみれば、どちらでも構わない話であったのである。

 

かささぎの/わたせる橋に/置く霜〔しも〕の/白きを見れば/夜〔よ〕ぞふけにける

 

鵲(かささぎ)が天の河に渡した橋を通って牽牛〔ケンギュウ=彦星〕と織女〔ショクジョ=織姫〕は会うことができた。いま、その橋が目にうつる。ああ、冬の夜はふけた。

 

鵲(かささぎ)が並んで作った橋を渡って 昔の昔/物語の内(なか)の牽牛と織女は天の川の上で会った

鵲が決して作らぬ危ない橋を渡って 今の今/物語の外のわたしときみはどんな天の川の上

ああ いま夜の冬 凍〔い〕てついている空の霜の川/おお もう心の冬 裂けている地の霜の橋

せめて鳴け 鵲よ 羽ばたいて/あの夢の上で こうこうこうと

どうしても泣け わたしよ 身悶〔もだ〕えして/この夢の底で おうおうおうと

教養の森に関するお問い合わせはこちらまで 和歌山大学学生センター 学務課

| 所在地:〒640-8510 和歌山県和歌山市栄谷930 | 電話番号:073-457-7130 |

Copyright ©2012 - 2017 Wakayama University