ホームメッセージ哲学とフィロソフィーの間(あいだ)――「教養」の来た道(120) 天野雅郎

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哲学とフィロソフィーの間(あいだ)――「教養」の来た道(120) 天野雅郎

新学期が始まり、しばらくバタバタしていた分、このブログの更新にも遅れが生じてしまい、君には大変、申し訳ない次第である。――と、このような窮屈な挨拶(アイサツ)から、話を始める心算(つもり)は、さらさら無かったのであるが、今回の表題にも堅苦しい(?)哲学の二文字が並んでいる。とは言っても、それを君が堅苦しいと、いっこうに感じることなく、この哲学という語が日常茶飯の、まるで君が「お茶」を飲んだり「ご飯」を食べたりするのと同じ、ありふれた行為であることを、理解してくれているのであれば、とても僕はハッピー(happy→happiness=幸運、happening=偶然)である。と書きながら、これまたハッピーにも、たまたま引いた『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の「日常茶飯」の用例には、大正8年(1919年)の『現代新語辞典』が挙げられている。

が、この辞典を出版した会社(耕文堂)も、編纂した団体(時代研究会)も、まったく僕は知らないから、ほとんど君に情報らしい情報を伝えることは出来そうにない。けれども、この『現代新語辞典』で「日常茶飯」を調べると、そこには「家常茶飯又は尋常茶飯ともいふ。平常ありふれたことの意味」という語釈が掲げられ、それにも拘らず、その前には「二重意識」や「二重人格」や「二重生活」という語が並べられ、この時代を支配する、特徴的な雰囲気には「二重」があって、それは端的に、この「日常茶飯」と裏表の関係にあることが浮かび上がってくる。また、この語の後には「日蓮主義」に続いて、さらに「日本アルプス」(Alps=アルプス山脈)や「日本ライン」(Rhein=ライン川)という語が並べられていて、そこには奇妙な、私たちの国の二重の風景も浮かび上がってくる。

言い換えれば、このようにして日本語の中に、ひいては日本人の中に、今の君や僕にとっては、当たり前になり......その「当たり前」という語すら「当然」を「当前」と書き誤り、これを訓読することによって生まれた語(当前→あたりまえ)であったことを、すっかり忘れてしまっている日本人には、訳の分からない事態が姿を見せることになる。そのような事態を、僕は今回、哲学とフィロソフィーの間(あいだ)と題して、あれこれ君に話を聴いて貰(もら)いたい。と言ったのは、きっと君は日本語の「哲学」が、ここでも『日本国語大辞典』の助けを借りると、もともと英語のphilosophyの「訳語」であって、さらに遡ると、それがギリシア語のphilosophiaに辿り着き、これを再度、日本語の「訳語」に置き換えると、それは「愛知」の意味になる、と誤解しているに違いないから。

と、このような物騒(ブッソウ=物忩)な話を始める前に、さしあたり君には『日本国語大辞典』の「哲学」の語釈を紹介しておくと、そこには「世界や人生の究極の根本原理を客観的・理性的に追及する学問。とらわれない目で事物を広く深く見るとともに、それを自己自身の問題として究極まで求めようとするもの。古代ギリシアでは学問一般を意味していたが、のち諸科学と対置されるようになった。論理学、認識論、存在論、哲学史、倫理学などの諸領域を含む」と書かれている。もっとも、その用例には一般に、この「哲学」という「訳語」の生みの親とされている、西周(にし・あまね)の『百一新論』(明治七年→1874年)に先立って、三遊亭円朝(さんゆうてい・えんちょう)の怪談(『真景累ヶ淵』)が挙げられているのも面白い、と僕は思うけれども、さて君は、いかがであろう。

と言うことは、この「哲学」という語の起源にも、一応、留保付きで西周の名を宛がっておくのが穏当であるし、それを収めた『百一新論』や、それに先立つ『百学連環』(明治二年→1870年)の著者のことを、あまりにも四角四面に、日本における最初の哲学者(第1号!)に祭り上げるのも、いかがなものであろう。と言ったのは、例えば先刻の『日本国語大辞典』の説明文の中にある、いわゆる「原理」も「客観」も「理性」も、ことごとく西周の「訳語」である以上、これらの語を繋ぎ合わせ、そこから「哲学」の語義を纏(まと)め上げようとすることは、言ってみれば、西周の理解した「哲学」の枠の中から、一歩も外に出ていることにはなりえない。第一、そのような「哲学」を西周自身が、そもそも「希哲学」の省略形として考案した事実を、君や僕は、忘れてはならないのである。

すなわち、この「哲学」という語が当初、英語のフィロソフィー(philosophy)の「訳語」として誕生した際に、これを「哲学」と翻訳したのでは――その、翻訳という語の原語である、これまた英語のトランスレーション(translation)の字義どおりに、そこでは「哲学」が、あちら側から、こちら側へと、越えて(trans)運ばれた(latus)ものでありながら、そこでは同時に、この「哲学」が運ばれることの叶わない、翻訳不能の状態に留まり続けていることを、見逃すことになる。なにしろ、そのような状態を危惧したからこそ、あえて西周も「希哲学」という、この語の本来の「訳語」を案出し、それにも拘らず、それが「哲学」に姿を変え、日本最初の哲学辞典(『哲学字彙』)に採用され、普及をするのが順序であって、それは見方を変えれば、まさしく偶然に過ぎなかったから。

その意味において、その偶然(ハプニング)が日本語にとって、ひいては日本人にとって、幸運(ハピネス)と称しうる出来事であったのか、どうか......それを今、130年余りの時を隔てて、あらためて君や僕は考え直し、受け取り直す段階に至っている。と言ったのは、このようにして古くから、何と古代のギリシア語にまで遡りつつ、そこで単なる知識や知恵や、そのような知(sophia)を自分自身が所有している、と自称する連中に闘いを挑み、彼らが決して、その名の通りの知者(sophist)ではないことを訴えたのが、あのソクラテスであったし、また同時に、彼らを世間が、そのまま仮に知者(ソフィスト)として認めるのであれば、あえて逆に、おのれをフィロソフォス(philosophos)と呼び、その名の通りの「知を愛する者」として位置づけたのが、再度、ソクラテスであった次第。

裏を返せば、このようにして「哲学」は、この語を日本語で訓読すれば、哲(あきらかな)学となったり、哲(さとい)学となったりする。そして、そこには肝心の、そのような「あきらかな」状態や「さとい」状態を、哲学は希(ねが)い、希(のぞ)むものではあっても、それは残念ながら、君や僕には到達不能の、ほとんど希(まれ=稀)な境地でしかないことを、理解する地盤が失われてしまうことになる。したがって、僕自身は個人的に、このような「哲学」の原語である、いわゆるフィロソフィーに「愛知」の字を宛がい、これを素朴にも、知を愛する行為として説明することに対しては、首を傾(かし)げざるをえないのであって、強いて言えば、僕の語感に一番、ピッタリくるのは「こいねがう」という日本語であり、何よりも、その折の熱烈な、切実な「こい」の感情である。

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