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山のビブリオグラフィー(第五話) ――「教養」の来た道(144) 天野雅郎

前回は、山上憶良(やまのうえ・の・おくら)の歌(『万葉集』巻第一、63)――「いざ子等(こども)/早く日本(やまと)へ/大伴(おほとも)の/御津(みつ)の浜松/待ち恋(こ)ひぬらむ」まで話が行って、お仕舞いになっている。が、僕自身は特に、この場で山上憶良の話をしたい訳でもなく、ましてや『万葉集』の話を、あれこれ君に聴いて貰(もら)いたい訳でもない。......とは言っても、仮に君が和歌山に生まれ、育ったのであれば、あるいは僕のように、人生の中途から和歌山に住み、暮しているのであれば、その和歌山の、名前に因(ちな)んだ「和歌」のことを、やはり君は知っておくべきであろうし、そのような「和歌」の生まれる前の、言ってみれば、先祖に当たる『万葉集』についても、それ相応の素養(教養?)を君が身に付けるのは、あたりまえのことではないのか知らん、と僕は感じているけれども、それを君に、無理強(むりじ)いは、しない。

それでは、この場において僕が、どうして山上憶良の話を君にしているのか、と問われれば、それは単純に、この歌人――と言うよりも、当時の彼の肩書に従えば、いわゆる録事(ロクジ→書記兼通訳)の少録(ショウロク)であった、その山上憶良の、まさしく名前が、気に掛かっているからである。と言い出すと、すでに君は察し好く、また僕の仕様のない(^^;)当て推量が始まったことを、不請不請(フショウブショウ=不承不承)に認めてくれているに違いない。でも、このような気掛かりの中から、あらゆる人間の知識や技能や、ひいては学問は生まれてきたのであり、そのような気掛かりの生じない所には、いつまで経っても人間の、知識や技能や学問は姿を見せず、そのような際には、くりかえし人間は同じ習慣に従い、それに沿った頭の使い方を、続けていくしかないのである。

と言う訳で、そもそも僕が気掛かりなのは、この山上憶良の、その名前(「山上憶良」)を、何の予備知識もなく、そのまま読むと、それは現在の君や僕には、これが山上(やまかみ)や山上(やまがみ)と読める点であって、さらに続けて、これを漢字で山上(サンジョウ)と音読すれば、それは文字どおりに山の上を指し示し、そこに至るまでの山の中や、辿り着いた後の、山の頂(いただき=戴)が浮かび上がってくる点である。しかも、そのような山の上で、何らかの良(よ)いことを憶(おも)ったり、また同時に、その憶ったことが良いことであったりする、それが元来、山上憶良という名前の由来であったとすれば、そのような山の上を目指し、そのような山の上で語り始める、ある種の人間のイメージが、この山上憶良という人物には、付き纏(まと)っているのではあるまいか。

もちろん、ここから僕自身は無手法(むてっぽう→当字:無鉄砲)にも、七百年の時を超え、洋の東西を跨(また)ぎ、例えば同じように、山上を目指し、山上で語り始めた、あのイエス・キリストの「山上の垂訓(もしくは、説教)」まで、それこそ一息に山を駈け上る気は、さらさら無いけれども、それでも君に『新約聖書』の中の、例の「マタイによる福音書」の一節(第五章)を伝えておきたい気は、あるのであって、以下に僕の手許にある、日本聖書協会の口語訳(1954年)を引いておくことにしたい。......とは言っても、僕自身は困ったことに、ここに登場してくる「神」や「天国」に対して、いたって不信心(impiety)であり、それこそ「不感症」でもあらざるをえないので、結果的に君には、そのような「神」や「天国」という語を除いた部分のみを、次に掲げておくことにする。

 

悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。

柔和(にゅうわ)な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。

義(ぎ)に飢(う)え〔、〕かわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。

あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らは〔、〕あわれみを受けるであろう。

 

さて、このようにして振り返ると、どうやら人間には山の上に登り、山の上に立って、はじめて気の付くことや、考えの及ぶことは、あるらしく、それが山上憶良の場合にも、ある時には「子等(こら)を思(おも)ふ歌」――「瓜(うり)食(は)めば/子ども思ほゆ/栗(くり)食めば/まして偲(しぬ)はゆ......」(『万葉集』巻第五、802)という形で、また、ある時には「貧窮問答(びんぐもんだふ)の歌」――「風雑(ま)じり/雨降る夜(よ)の/雨雑じり/雪降る夜は......」(同上、892)という形で、いたって当時としては珍しい、親子の情愛や貧困の情景を扱った、まさしく情(音読→ジョウ、訓読→なさけ)を抒(の)べる歌人であったことが、この場で想い起こされて、しかるべきであろう。その意味において、彼は文字どおりに、名は体(たい)を表わす、歌人であった。

もっとも、このようにして今風に、この「山上憶良」という名前を解釈し、判断することが許されるのか、どうかは定かではない。なにしろ、現在の君や僕のように、それぞれの人間(すなわち、個人)が普通に、姓名や氏名と称されるものを持っており、それが突き詰めれば、君や僕が「日本」という名で呼ばれる、この国に所属し、その国のルールに従い、さまざまな権利や義務や――要するに、したいことも、したくないことも含めて、あれこれ制約を課されていることの、いちばん分かりやすい証拠であったから。したがって、当然、その姓名や氏名を仮に、君や僕が失くしてしまったり、忘れてしまったり、場合によっては誰かが、その姓名や氏名の肩代わりをしてしまえば、たちまち君や僕は、明日からは君や僕ではなくなり、君や僕でいることが、できなくなってしまうのである。

おそらく、かつて山上憶良の生きていた時代にも、このような姓名や氏名に付き纏う、いろいろなルールは存在していたであろうし、ひょっとすると、それは君や僕の生きている、この「日本」とは違う形で、もっと複雑な、もっと困難な、数多くの柵(しがらみ=笧)が立ちはだかり、立ちふさがっていたのかも知れないね。そして、そのような柵に即して言えば、きっと彼を安易に、呑気(のんき)に昨今の、山上(やまかみ→やまがみ)さんや、あるいは上山(かみやま)さんや上山(うえやま)さんと結び付けることは、出来ないであろうし、さらには山下(やました)さんや下山(しもやま)さんや、ひいては山中(やまなか)さんや中山(なかやま)さんと、まったく同じ意識で、ほとんど似た状態で、彼を理解すること自体が、間違った態度であると見なされても、致し方がない。

それでも、僕が今回、あえて君に山上憶良の話を聴いて貰ったのは、何時(いつ)の時分からであろうか、僕の頭の中で、どこかで彼が山を好きであったり、山の景色を好んだり、そのような景色の中で日々を送りたい(!)と願う、そのような人物に感じられてきたからである。......とは言っても、彼は無論、いわゆる近代人(moderns)ではなく、古代人(ancients)であるから、そのような彼が僕のように、目の前の和歌山の、和歌浦の奠供(テング)山を選び、そこに家を建てたり、このようにして毎日を、窓外の風景に目を遣(や)って暮らしたりする、そのような志向性を持っていたとは考え辛い。が、そのような違いは違いとしても、やはり人間には眼前の、山を見ることでこそ叶えられる、ある種の生活体験や、そこから生じる「福音」が、きっと見出されるに違いないのである。

 

何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命(いのち)のことで思いわずらい、何を着ようかと自分の〔、〕からだのことで思いわずらうな。命は食物(しょくもつ)にまさり、からだは着物(きもの)にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。〔中略〕野の花が〔、〕どうして育っているか、考えて見るがよい。〔中略〕あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日〔、〕一日だけで十分である。(「マタイによる福音書」第六章)

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