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深田久彌論(拾遺)――「教養」の来た道(150) 天野雅郎

十年は一昔(ひとむかし)と言うし、この言い回し(「十年は一昔」)自体は『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引くと、すでに江戸時代の「黄表紙」(市場通笑『憎口返答返』)に、その用例(十年は一昔、二十年は二昔、年寄と若い者は馬があはぬと云ふは合点の行かぬ事......)が見出されるようであるから、かれこれ二百年ばかりは、この「十年は一昔」という言い回しが、この日本という国では罷(まか)り通っているらしい。実際、その「十年は一昔」の間、いわゆるテレビ(テレヴィ?)と称される「文明の利器」の、お世話になり、ご厄介(ヤッカイ→厄〔やく〕会? 家〔やか〕居?)になることが、なくなってしまうと、すっかり世の中の事情に疎(うと)くなってしまい、世間で起きていることや行なわれていることが、ほとんど分からなくなってしまうのが実情なのである。

とは言っても、そのような事態は反対に、僕を世の中の「年寄」や、世間(音読→セケン、訓読→よのなか)の「若い者」とは違う形で――少年や少女とは(^^;)決して言わないけれども、ある種の遠い(tele)光景(vision)を見る力(→「想像」力)や、その際の喜びを、僕に齎(もたら)してくれていることも事実であって、つい先日も偶々(たまたま=適々)女優(タレント?)の......と僕は思い込んでいた、釈由美子(しゃく・ゆみこ)が近年、どうやらテレビ(NHK BS-1)の登山番組(『実践! にっぽん百名山』)を切っ掛けにして、私たちの国を代表する「山ガール」に姿を変え、おまけに『山の常識・釈問百答』(2014年、山と渓谷社)という本まで出していることを知り、早速、購入し、彼女と一緒に「教えて! 山の超基本」を、返答者(萩原浩司)を通じて、学び直した次第。

そう言えば、確か我が家(「天野図書館」)には彼女の、それこそ「十年は一昔」の写真集もあったはず、と俄(にわか)に想い起こし、目下、その『Natural Shaku』(1999年、ワニブックス)のページを、僕は捲(めく)っている最中でもある。――と、このようなプライベート(プライヴェート?)な話は文字どおりに、ないしょ(内証→内所→内緒)の、秘密(private→privacy)にしておいて、さっそく本題に話を移したいのは山々(やまやま)であるが、そもそも今回、このような話を君に、しているのは、もともと「山」が私たちの国では、いわゆる「女人禁制」の場所の最たるものであったことを、君に想い起こして貰(もら)いたいからに他ならない。なお、この「女人禁制」の語の用例に、ふたたび『日本国語大辞典』が挙げているのは、謡曲の『道成寺』(1516年頃)である。

謡曲(ようきょく)と言うのは、これまた『日本国語大辞典』に従えば「能楽の詞章。また、その詞章に節をつけて〔、〕うたうこと。謡(うたい)」の意味であり、この『道成寺』(どうじょうじ)の作者も通説では、あの世阿弥(ぜあみ)の甥(おい)の音阿弥(おんあみ)の、第七子であった小次郎(こじろう)こと、観世信光(かんぜ・のぶみつ)とされていて、例の『船弁慶』(ふなべんけい)や『紅葉狩』(もみじがり)と同様に、劇的(ドラマチック)な展開で君や僕の目を楽しませる、それこそスペクタクル(spectacle=光景)を売り物にした、見世物(ショー)としての能楽の典型であったことになる。そして、そのような能楽が日本の、中世から近世へと至る時期(すなわち、戦国時代)には流行した訳であり、おそらく『道成寺』も中世の、そのような末期の作品であったはず。

ちなみに、この『道成寺』の舞台となっているのは、言うまでもなく、和歌山の道成寺であって、現在の地名で言えば、和歌山県日高郡日高川町の鐘巻(かねまき)となる。実際、この『道成寺』も原曲は、どうやら『鐘巻』と名づけられていたようであり、それは当然、あの安珍(あんちん)の身を潜める鐘の周りを、ぐるぐる巻きにする清姫(きよひめ)の蛇体(!)を指し示している。と言い出すと、きっと君も人形浄瑠璃(すなわち、文楽)や、あるいは歌舞伎の一連の、道成寺物(『京鹿子娘道成寺』等々)で、この物語を見聞済みであるに違いない。また、ひょっとすると君が上田秋成(うえだ・あきなり→シュウセイ)の『雨月物語』を介して、この物語を知っている可能性も......ない訳では、なかろうし、この物語を題材にした映画すら、僕の子供の頃には作られていたのである。

ところで、この『道成寺』自体が「女人禁制」の、用例に挙げられている点からも窺えるように、そもそも「女人禁制」とは「女の立ち入りを禁止すること。特定の寺院や霊場で、信仰上〔、〕女性を〔、〕けがれ多いものとして、はいるのを禁止した制度のこと。また、その地域。女人結界」(『日本国語大辞典』)の意味であったけれども、そのような「地域」が主として「寺院」や、とりわけ「霊場」(sacred place・holy ground)という名で呼ばれている、まさしく「山」であったことは印象的である。裏を返せば、このようにして「女人結界」を示す石(すなわち、結界石)を立ててまで、そこを目印とし、そこから先は女性の「立ち入りを禁止する」ことが繰り返され、それが堂々と罷り通ってきた背景には、どのような人間(と言うよりも、男性)の思いが、隠されているのであろうか。

なるほど、このような「女人禁制」や「女人結界」は結果的に、明治五年(1872年)の太政官布告(第98号→「神社仏閣ノ地ニテ、女人結界ノ場所コレ有リ候処、今ヨリ廃止サレ候條、登山参詣等勝手トナスベキ事」)が発せられて以降、徐々に改められ、現在に至るが、その過程が決して平穏なものでも、平坦なものでもなかったことは、今でも依然として、このような「女人禁制」や「女人結界」の「山」が残されていることからも明らかであろう。また、このような「女人禁制」や「女人結界」の場所が、単に「山」に限られた話ではなく、さまざまな祝祭や芸能や、あるいは職業においても、あいかわらず「女人禁制」や「女人結界」が成り立ち、それどころか――それを抜きにすると、その祝祭や芸能や職業が、成り立たなくなる虞(おそれ)さえ、あるのであるから、話は面倒である。

ともかく、そのような「山」に昨今では、釈由美子のような「山ガール」が登場し、どうやら深田久彌(ふかだ・きゅうや)張りの『実践! にっぽん百名山』への登頂すら、試みられているようであるから、結構な話である。とは言っても、僕自身には多分、このテレビ番組を観る機会は訪れないであろうし、ましてや「にっぽん百名山」の、どこかの山で、ばったり釈由美子に出会う幸運は死ぬまで(死んでも?)訪れないであろう。......と嘆きつつ、たまたま先刻からページを捲っていた、深田久彌の『瀟洒なる自然』(1967年、新潮社)の中に、まさしく「山おんな」と題する一文を見つけたので、これを今回は、いわゆる「安楽椅子の登山家」(armchair mountaineer)を自認する僕から、おそらく「山について読んだり考えたりすることの好きな人」であろう君に、以下の一節を贈りたい。

 

女の人が服装に苦労と喜びを感じるのは当然だが、山行きにももっと〔、〕その心遣いがほしいものである。おしゃれといっても、都会のウインドーに飾られるマネキンのような登山姿ではない。赤いベレー〔原文:ベレ〕が〔、〕はやるから、自分もそれをかぶるというのでは、あまりに芸がなさすぎる。〔改行〕もっと自分で発明工夫した美しい登山姿になってほしいものだ。新宿駅などに行列している女性登山家の、まるで申し合わせたような同じスタイルを見ると、つくづく個性の欠乏を感じる。〔改行〕美しい山の頂には、謙遜な美しい姿で立ちたいものである。近年は女性の登山者がふえて、どのパーティー〔原文:パーティ〕にも女性の加わっていないものは〔、〕ないほどだが、美しい山おんなであってほしいことは、私の願いであるばかりでなく、山に対するエチケットである。

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