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志賀重昻論(第七話)――「教養」の来た道(166) 天野雅郎

志賀重昻(しが・しげたか)が『日本風景論』の冒頭で、まず「日本江山(こうざん)の洵美(じゅんび)」を語り、おまけに、それが「実に絶対上」のものであることを語っているのは、すでに前回、僕が君に紹介を済ませておいた通りである。そして、その「日本風景の渾円(こんえん)球〔=地球〕上に絶特なる所因」として、彼は「日本風景の瀟洒(しょうしゃ)、美、跌宕(てっとう)なるところ」を挙げ、これを順次、論じていくことになる。と言うことは、そもそも彼が論じている「日本風景」は、そのまま「日本江山」の置き換えであり、そこに姿を見せるのは、例えば「文部省唱歌」の『故郷』の中の、あの「兎」や「小鮒」や、あるいは「父母」や「友がき」ではなく、それは端的に、もっぱら「山」と「川」(=「江山」)であることを、君や僕は押さえておく必要がある。

しかも、その「山」と「川」を彼は、当時としては斬新な、自然科学の知見を用い、とりわけ「地理学」(geography=地球描写)の手法を使って、おそらく日本人の目の前に、はじめて提示するに至ったのであり、そのことによって彼の『日本風景論』は、その刊行の年(明治二十七年→1894年)から百二十年を過ぎても、いまだに古典(クラシック)としての地位を、それどころか記念碑(モニュメント)としての地位まで手に入れて、読者を獲得し続けている次第。また、それが『日本風景論』の本論の、章立て(第二章~第五章)ともなっている......言ってみれば、アリストテレス張りの「四原因説」でもあった訳である。――「(1)日本には気候、海流の多変多様なる事。(2)日本には水蒸気の多量なる事。(3)日本には火山岩の多々なる事。(4)日本には流水の浸食激烈なる事」。

とは言っても、このような章立てを眺めただけで、君や僕が志賀重昻の『日本風景論』を、どれほど画期的(エポック・メーキング)な書物として理解できるのかは、はなはだ疑わしい。なぜなら、このような形で用いられている、例えば「水蒸気」や「火山岩」という日本語が、この頃の日本人には真新しい、新(さら=更)の日本語であり、ほとんど理解不能の語であったことが、今の君や僕には、よく分からなくなってしまっているからである。言い換えれば、これらの日本語は当時、私たちの国が「近代化」を遂げていく中で、まさしく近代的な日本語として、一から新しく産み出された、文字どおりの翻訳語であって、それぞれの語の裏側には、例えば英語で言うと、水蒸気にはvaporが、火山岩にはvolcanic rockが、その貼り付き具合も見えないまま、貼り付いていたからである。

したがって、現在の君や僕が子供の時分から、このような「水蒸気」や「火山岩」という語に慣れ親しみ、その意味が正確には把握できていない(......^^;)としても、これらの語を普通に、あたりまえに口走ることの叶う状態と、志賀重昻の『日本風景論』が出版された頃の日本では、日本人も日本語も、大きく様相を違(たが)えていた訳である。もちろん、このような状況は「気候」や「海流」についても、ほとんど同じであり、前者(気候)であればclimateやweatherが、後者(海流)であればcurrentやstreamが、それぞれの語の裏側には、貼り付いていたのであるが、これらの語には一方において、古くから漢語(すなわち、中国語)の用法も存在しており、その上に、これらの語は新しく、ヨーロッパ諸語の用法が積み重なった語であった点に、違いがあるとすれば、違いがある。

このようにして振り返ると、いくぶん志賀重昻の置かれていた状況や、そこで彼の『日本風景論』が果たした役割が、君や僕にも見晴らしの好いものに、見えてくるのではあるまいか。すなわち、彼が近代的な地理学の知見を駆使しつつも、その一方で「日本風景の瀟洒、美、跌宕なるところ」を論じるに当たり、いわゆる「漢文口調で、ありきたりの表現を無邪気に」使い、しかも「そのあいだに、自然科学の新しい術語が〔、〕ちりばめられている」――ある種の「キメラ」(chimera→獅子+山羊+龍蛇=怪物)のごときスタイルを編み出し、それが同時に、この頃の「殖産興業の第一線に活躍した人たちの「教養」に〔、〕まさに合致した」点に、この書物が「当時のベスト‐セラーの随一でありえた」理由も、包含されていたはずである(桑原武夫編『日本の名著』1962年、中公新書)。

言い換えれば、このような「東洋」(East→Orient)と「西洋」(West→Occident)の間の、政治も経済も、宗教も芸術も含めて、あらゆる次元で惹き起こされざるをえなかった、漢学(すなわち、儒学)用語と洋学(すなわち、科学)用語の、言ってみれば「漢洋折衷」(!)の渦の中から、志賀重昻の『日本風景論』は姿を見せるのであり、それは端的に、私たちの国の「和漢折衷」から「和洋折衷」への転向(conversion=改宗)を指し示す、分かりやすい目印(メルクマール)ともなりえた訳であるし、それは同時に、この頃の「論壇の主題」(鹿野政直『近代日本思想案内』1999年、岩波文庫別冊)であった、いわゆる「欧化と国粋」というテーマに順応し、即応するものでもあれば、そうであるからこそ、この書物は当時を代表する、ベスト・セラーの典型ともなりえたのであった。

実際、志賀重昻が『日本風景論』において、まず「瀟洒の粋〔スイ〕」としているのは「日本の秋」であり、次に「美の精〔セイ〕」としているのは「日本の春」であって、そのこと自体は、遡れば『古今和歌集』にも、あるいは『万葉集』にも辿り着くことの出来る、いたって古典的な季節観や、伝統的な価値観であり、そこに目新しい何かを探し出すことは、むしろ不可能に近い。けれども、それが当時、以下のような「漢文脈」と「洋文脈」を組み合わせた、いわゆる「美文調」(=擬古文)によって表現される時、そこに姿を見せるのは、困ったことに「アジア」とも「欧米」とも言い切れず、見分けの付かない......まさしく「漢洋折衷」の中に蠢(うごめ)いている、はなはだ危険な、日本の「でしゃばり」(intrusion=土地不法占有)以外の、何物でもなかったのではなかろうか。

 

もし〔、〕それアジア大陸よりの西北風かすかに吹き初め、霜気(そうき)ようやく動きて、爽籟(そうらい)八十余州に徹透(てっとう)するや、欧米諸邦まれにみるところの白桐(きり)は、黄ばみ尽くして笛声(てきせい)、砧声(たんせい)と共に落ち、頃しも鴻雁(こうがん)は、朔北(さくほく)地方に餌食(じしょく)の欠乏するをもって、党派を団結し相競いて寒雲を渡り、餌食の饒多(じょうた)なる日本に南来して蓼汀(りょうてい)蘆渚(ろしょ)の間に下り、ときにみる、植物黄色素(カロチン)の代表者にして〔、〕しかも欧米諸邦にみえざる公孫樹(いちょう)は、葉々黄金を累(かさ)ね来るを。ひとり植物黄色素(カロチン)の代表者の日本に多在するのみならず、植物紅色素(アントチアン)の代表者たる槭樹(もみじ)属もまた日本国中いたるところに普遍し、〔中略〕いっせいに紅葉して宛然(えんぜん)天女の雲錦(うんきん)を曝(さ)らすがごときは、実に瀟洒と美とを兼併するもの。

 

とは言っても、それは決して、志賀重昻の独擅場(ドクセンジョウ)ではないし、逆に誤って、この語を「独壇場」(ドクダンジョウ)と表記し始めた、今から百二十年余り前の日本が、そこには背景として存在しているのであって、このような誤記や誤認を当時、たかだか三十歳を過ぎたばかりの作者の、責任に帰するのは間違っているし、むしろ君や僕が今でも、このような「漢洋折衷」や、あるいは「和漢折衷」や「和洋折衷」の思考様式を、繰り返していることにこそ驚くべきなのである。その意味において、君や僕と『日本風景論』との距離は、それほど遠くないし、ひょっとすると、それは地続きと評した方が、ふさわしいのかも知れないね。でも、残念ながら君や僕の周囲には、もう「日本風景の瀟洒、美、跌宕なるところ」さえ、どこを探しても、残されてはいないのであるが。

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