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富☆士☆山(第四話)――「教養」の来た道(171) 天野雅郎

今回で、この「富☆士☆山」という表題も四度目になる。そろそろ種明かしをしておく必要があるのかな、と思いつつ......その一方では、すっかり君が事態を弁(わきま)えてくれているのであろうから、その必要もないのかな、と思いつつ、僕は今回も、この「富☆士☆山」の話を続けたい。とは言っても、この「富☆士☆山」という表題に対して、わざわざ僕が「星」(ほし→訓読、音読→セイ・ショウ)の印を挟み、それによって富士山を、この「星の光っている形に似たしるし。星の形をしたもの。「★」「☆」など」(『日本国語大辞典』2006年、小学館)で飾っているのは、この富士山が昼の富士山ではなく、夜の富士山であることを示したかったからであり、その意味において、この富士山は君や僕の前に、あの「青ぞら高く」(~♪)聳(そび)え立つ富士山では、なかった次第。

 

  青ぞら高く そびえたち、

  からだに雪の きものきて、

  かすみのすそを とおくひく、

  ふじは 日本一の山。

 

その点、ひょっとすると「富☆士☆山」よりも「富★士★山」の方が、むしろ好都合であったのかも知れないな、と埒(ラチ)の無いことを、僕は想い起こしているけれども、それは『万葉集』(巻第三、320)において、例の高橋虫麻呂(たかはし・の・むしまろ)が「不尽(ふじ)の山を詠む歌」で表現していたような、夜の富士山に僕が興味を惹かれているからに他ならない。――とりわけ、この歌(不尽の嶺〔ね〕に/零〔ふ〕り置く雪は/六月〔みなづき〕の/十五日〔もち〕に消〔け〕ぬれば/其〔そ〕の夜〔よ〕ふりけり)の中の神秘的(mysterious)な、この語の原義に即して言うと、不可視の富士山に対して、僕は関心を持たざるをえない。なにしろ、この歌の伝承を信じれば、一年に一度、旧暦の六月十五日の深夜、一晩にして富士山の雪は入れ替わってしまうのであるから。

ところで、先刻の歌は「ふじの山」という名の、いわゆる「文部省唱歌」であり、明治四十三年(1910年)の『尋常小学読本唱歌』に掲載されたものであるけれども、この「文部省唱歌」が発表された、新暦の7月14日は、このブログ(第168回:富☆士☆山)で僕が君に報告を済ませておいた通り、ちょうど夏目漱石(なつめ・そうせき)が『三四郎』と『それから』と『門』の、俗に言う「三部作」の連載を終え、その後、わずか一週間に満たない内に胃潰瘍(gastric/stomach ulcer)を患い、そのために長與胃腸病院での入院生活を、余儀なくされていた頃に当たっている。なお、この病院は日本で最初(!)の胃腸内科専門病院であって、この病院の創設者である長與稱吉(ながよ・しょうきち)についても、やがて僕は夏目漱石の繋がりで、君に話を聴いて貰(もら)う予定である。

ちなみに、この「文部省唱歌」の「ふじの山」は、さきほど挙げておいたのが二番の歌詞であり、以下が一番の歌詞である。この歌は、まだ僕が子供の時分には、其処彼処(そこかしこ)で耳にすることの出来た歌であり、おそらく小学生の折、音楽の授業で無理矢理に(......^^;)歌わされて以来、僕の「音楽」(と言うよりも、音楽の授業)嫌いに拍車を掛け、逆に僕の「歌謡曲」好きにも拍車を掛けた、いわく因縁(インネン)のある歌であるけれども、この齢になって振り返れば、この歌の一見、悠長(ユウチョウ)な歌い振りの中に、どこかで僕は世の中の、文字どおりの拍車(ハクシャ)をも聴き取り、この語が実際、英語の spur の翻訳語であったことからも明らかなように、何か言い難い、ある種のプレッシャー(pressure=圧力)を、子供ながらに感じていたのかも知れないね。

 

  あたまを雲の 上に出し、

  四方(しほう)の山を 見おろして、

  かみなりさまを 下にきく、

  ふじは 日本一のやま。

 

今回の引用は、岩波文庫版の『日本唱歌集』(1958年)からであるが、残念ながら、表記が新漢字と新仮名遣いである点と、作詞が巌谷小波(いわや・さざなみ)である点を、付け加えておくべきであろう。巌谷小波については、彼が夏目漱石と同世代の、明治三年(1870年)の生まれであり、硯友社(けんゆうしゃ→尾崎紅葉グループ)の小説家からスタートして、後に童話作家や児童文学(juvenile literature)の研究者として有名になったことを、また――僕が今回、君に伝えている、作詞家や俳人としても活躍したことを、さしあたり押さえておいて貰(もら)えると有り難い。ついでに、彼が「文部省唱歌」として作詞をしたものの中には、先刻の「ふじの山」と並んで「一寸法師」(いっすんぼうし)が知られているけれども、そのこと自体に関しても、僕自身は興味を抱いている。

なぜなら、きっと君も微(かす=幽)かに覚えているに違いないが、一寸法師とは身長が一寸の、現行のメートル法で言えば、わずかに3センチの少年(と言うよりも、青年)が、そもそも主人公の物話であり、それは結果的に明治三十八年(1905年)の、この『尋常小学唱歌』に掲載された「一寸法師」を通じて、あるいは、それに先立つ明治二十九年(1896年)の、同じ巌谷小波の「一寸法師」(『日本昔噺』)を通じて、私たちの国に普及し、定着したものであった。そして、この段階に至って、ようやく主人公は例の「鬼退治」を果たし、手に入れた「打出(うちで)の小槌(こづち)」を使い、今度は身長が六尺(182センチメートル)の、当時としては巨大な体躯の若者に変貌を遂げ、京(みやこ=都)の姫と結ばれる、という「ハッピー・エンド」の物語へと、姿を改めるのである。

ところが、もともと一寸法師とは、例えば『日本国語大辞典』の語釈のように、江戸時代には単に「身長の低い人。こびと」(『日葡辞書』)を意味する語であって、それは端的に言えば、差別用語でもあったし、この物語の淵源を遡ると、おそらく室町時代や、場合によっては鎌倉時代まで辿り着くことにもなる。しかも、そこでは主人公が女好きであったり、嘘を吐(つ)いたり、昨今の判断基準に従えば、とうていヒーローらしからぬ性格や行動を兼ね備えていたのも印象的である。要するに、この物語は日本の中世の、まさしく「下剋上」の時代を反映した、悪党譚や妖怪譚や、あるいは民俗学で言う所の、異常出生譚や異種婚姻譚や、ひいては比較神話学の唱える、例のトリック・スター(trickster=詐欺師)や文化英雄(culture hero)までもが、複雑に絡まり合う物語でもあった。

そのような物語を、明治時代になって巌谷小波が、まず日清戦争の直後に「昔噺」に繕(つくろ)い直し、続いて日露戦争の直後に「唱歌」に着せ替えをしたことだけでも、そこに僕は直接的な、それとも間接的な、歴史の因果を感じ取らざるをえないが、それが今度は、さらに「ふじの山」という形で、この山を「日本一の山」と見なし、日本の学校で子供が声を揃え、一斉に歌う、そのような時代を紡ぎ出していく訳である。そして、その経緯を、僕は今回も「富☆士☆山」(「富★士★山」?)の話として、君に聴いて欲しかった次第。とは言っても、残念ながら富士山は、そのまま「ウテバ フシギヤ、イッスン ボウシ、ヒトウチ ゴトニ セガ ノビテ、イマハ リッパナ オオ オトコ」(『日本唱歌集』)になるはずなど、ないことを、よく知っていたのは、子供であったろうが。

 

  ユビニ、タリナイ、イッスン ボウシ、

  チイサイ カラダニ、オオキナ ノゾミ、

  オワンノ フネニ、ハシノ カイ、

  キョウへ、ハルバル、ノボリ ユク。

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