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富☆士☆山(第五話)――「教養」の来た道(172) 天野雅郎

今回は最初に、いつもの『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「ふじさん」(富士山・不尽山・不二山)を引いて、この山(やま→訓読)が君や僕にとって、どのような山であるのかを、確認することから話を始めたい。――「静岡県と山梨県との境にそびえる円錐状成層火山。山頂に直径約八〇〇メートルの火口をもち、火口壁の最高点は剣ヶ峰と呼ばれる。すそ野は雄大にひろがり、基底の直径は三五~四〇キロメートル。山腹に宝永山・大宝山など七〇を数える寄生火山がある。古くから霊山として崇拝され、平安時代から信仰登山が〔、〕さかん。日本の象徴の一つとして世界的に知られる。吉田口、富士宮口、須走口、御殿場口などの登山口があり、五号目までバスが通じる。標高三七七六メートルで、日本の最高峰。ふじ。ふじの山。ふじやま。蓬莱(山)。擂鉢山。駿河太郎」。

さて、いかがであろう。この『日本国語大辞典』の語釈の内で、君は「ふじさん」について、これまで何を、どの程度まで知っていたのか知らん。......と言い出すと、おそらく君や僕が「ふじさん」に対して、それほど深い知識を持っている訳ではないことが、明らかになってくるのではあるまいか。実際、君や僕が知っているのは「ふじさん」という、この山の名や、この山が静岡県と山梨県に跨(またが)り、標高3776メートルの、現在の日本では「最高峰」の山である、という程度の知識であったのではなかろうか。したがって、この山が「擂鉢(すりばち=摺鉢)山」や「駿河(するが)太郎」と称されることさえ、ひょっとすると君は初耳であったのかも知れないし、ましてや「蓬莱(ホウライ)」とまで、この山が呼ばれる理由など、君の頭の中から抜け落ちていても、無理はない。

もっとも、仮に君が、この一連の文章(「教養」の来た道)の熱心な読者で、い続けてくれているのであれば、すでに僕は君に、北村透谷(きたむら・とうこく)の話(第153回:北村透谷論)をした時にも、そこで彼の『蓬莱曲』(明治二十四年→1891年)を持ち出して、いわゆる「蓬莱山」と「ふじさん」との繋がりについて、あれこれ話を聴いて貰(もら)ったはずである。また、それに先立って日本語(と言うよりも、中国語)の「登山」(トザン→日本的慣用音、呉音→トウセン、漢音→トウサン・トウザン)が、もともと仏教用語であって、このような仏教的な「登山」から、言ってみれば、キリスト教的な「登山」(mountaineering)への移行期が、ちょうど北村透谷の『蓬莱曲』の出版と重なっている話(第152回:「登山」のエティモロジー)も、僕は君に、しておいた次第。

ところで、このように「山」という漢字を中国語で音読して、これを漢音で「サン」と読んだり、呉音で「セン」と読んだり、あるいは日本語で訓読して、これを「やま」と読んだり――君や僕は普段、あたりまえのように繰り返しているけれども、そこには驚くべきことに、読み方を変えれば意味の違う、異なった「山」が姿を現(あらわ=露+顕)すことになるのであり、そのことは「山のビブリオグラフィー」と題して、このブログでも『日本国語大辞典』の「やま」の語釈を紹介しながら、僕は君に、あれこれ話を聴いて貰ったはずである。なお、その証拠に『日本国語大辞典』で、今度は「さん」を調べると、そこには興味深いことに「山の名につけていう語」という第一の語釈に続いて、その後に「仏寺の称号に添えていう語。山号(さんごう)」という第二の語釈が置かれている。

言い換えれば、このような形で「ふじさん」という、この山の名を「さん」付け(!)で呼んだ途端に、たちまち「ふじさん」は「富士山」と表記しようとも、あるいは「不尽山」や「不二山」と表記しようとも、そこには仏教的な、ひいては中国的な、命名(ネーミング)の作用が上乗せをされることになるのであって、それは「ふじさん」が中国伝来の、仏教の影響を蒙(こうぶ→こうむ)ることを意味している。その意味において、もともと「ふじさん」が原初的に、火の神や水の神や、要するに、このような日本的な神(かみ→訓読、音読→シン・ジン)の姿と結び付き、二重写しになる存在であったとしても、その存在は容易に、たやすく仏教と絡まり合い、いわゆる菩薩(ボサツ)や如来(ニョライ)の姿を受け容れて、それらに背後から、支えられる存在となってしまうのである。

ちなみに、先刻の『日本国語大辞典』の「さん」の語釈には、最初に「袞龍(こんりょう)の御衣(天子が用いる礼服)の模様の一つ」という......君や僕には縁遠い、馴染みのない説明文が添えられており、この「さん」という語が伝統的に、はなはだ中国的な色彩の強い語であったことを再認識できるし、この説明文の中の「御衣」も、これを音読して「ギョイ」と読むのか、それとも訓読して「みそ」や「みぞ」や、あるいは「おんぞ」や「おおんぞ」と読むのかで、君や僕の古典の素養も、一目瞭然である。が、それが端的に中国趣味の、いかにも中国風の「龍の〔、〕ぬいとりをつけた衣服。また、その〔、〕ぬいとり」(同上)を指し示している以上、君や僕は結果的に、この衣服から日本の文化を読み取るべきなのであろうか、それとも、中国の文化を垣間見るべきなのであろうか。

ついでに、この「袞龍の御衣」についても、はなはだ印象的な説明文を『日本国語大辞典』は掲げているから、これも以下、君に一読をして貰えると有り難い。すなわち、このような中国風の衣服を身に纏(まと)い、奈良時代の始まる頃から、江戸時代の終わる頃まで、厳密に言えば、何と1122年にも亘って、日本の天皇は即位の儀式に臨んでいたのであった。――「赤地に龍の模様の刺繍〔シシュウ〕がある天子の祭服。日本では、聖武天皇〔在位:724年~749年〕から孝明天皇〔在位:1846年~1866年〕の時まで、大儀の服として即位の際に用いた。大袖に龍を、胴に日、月、星辰、山、龍、華虫〔カチュウ=雉→きじ〕、火、宗彝(そうい)〔=祭器〕などの姿かたちを刺繍したもの。これに裳の刺繍の藻(も)、粉米、黼(ほ)〔=斧〕、黻(ふつ)〔=亞〕を加えて十二章とする」。

このようにして振り返ると、いったい日本(ニホン? ニッポン? ジッポン?)とは何なのか知らん、という疑問が湧き起こらざるをえないし、君や僕が通常、当然のように日本的なものと思い込んでいる、多くのもの(日本国、日本人、日本語......)が、むしろ日本的なものではなく、そこには薄皮を捲(めく)ると、そのまま中国や朝鮮や、いわゆるアジア(Asia=日が昇る所)が姿を見せることになるし、それと同時に、そこにはヨーロッパ(Europe=日が沈む所)までもが姿を見せることになる。――そして、その時、君や僕は日本が、このようなユーラシア(Eurasia=Europe+Asia)の片隅の、はしっこの島嶼(トウショ=大きな島+小さな島)に過ぎず、そのような島の連なりの、ある所にはデコ(凸)が、ある所にはボコ(凹)が、見え隠れしていることに気付かされるのである。

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