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小栗風葉論(拾遺)――「教養」の来た道(179) 天野雅郎

小栗風葉(おぐり・ふうよう)は「美しい人」である、と愛(まな=真)弟子の眞山靑果(まやま・せいか)は言っている。なるほど、そうであろう......と僕自身も思わない訳ではない。ただし、その時の「美(うつく=愛)しい」は日本語で、例えば『日本国語大辞典』(2006年、小学館)の挙げている語釈を並べてみると、それが「①かわいい。いとしい。愛らしい」という意味の「美しい」であるのか、あるいは「②様子が、いかにも〔、〕かわいらしい。愛らしく美しい。可憐である」や「③美麗である。きれいだ。みごとである。立派だ」という意味の「美しい」であるのか、それとも「④ちゃんとしている。きちんとしている」や「⑤人の行為や態度、また、文章、音色などが好ましい感じである」という意味の「美しい」であるのか、そこには相当に、違った判断が生じざるをえない。

結論から言うと、僕自身は当然、小栗風葉の「肉親」ではないから、そもそも「いつくしみをこめた愛情」や「一般に慈愛の心」を表現する折の「美しい」(①)を、彼に対して用いるのは無理であるし、ましてや「幼少の者、小さい物などに対して、やや観賞的にいう」際の「美しい」(②)は最初から論外である。また、さらに「美一般を表わし、自然物などにもいう」場合の「美しい」(③)も、これが「室町期の「いつく〔厳〕し」に近い」ものである以上、彼には到底、適応が叶わないし、ほとんど同じ理由から、彼に「不足や欠点、残余や汚れ、心残りなどのない」状態を指し示す「美しい」(④)を使うのは、僕が前回も、前々回も君に伝えてきたように、彼の普段の生活や行状(ギョウジョウ)を聞き及ぶ限りでは、おそらく彼には不向きな、似つかわしくない形容であったはずである。

もっとも、彼が一面において、ある種のストイック(stoic=柱廊的)な性格を兼ね備えていたのは、これまた眞山靑果の「小栗風葉論」の述べている通りであるが、それは残念ながら、このような柱廊(stoa)が古代のギリシアで、市民の集会の場や遊歩の場として産み出され、そこでは哲学(philosophia=愛知)の授業までもが催されていた――その意味において社会的で、哲学的(ストイック)な形を取ることがなく、むしろ個人的で、禁欲的(ストイック)な姿に留まってしまったのは、以下の眞山靑果の一文からも理解することが出来る。言い換えれば、このようにして「何一つ道楽らしい道楽はない」ままに、ただ「先生の道楽は、云う迄〔まで〕も無く、酒と小説、この二つだ」と、愛弟子に言い切られてしまう辺りが、結局、小栗風葉という作家の限界であったのかも知れないね。

 

先生ほど趣味の狭隘〔きょうあい〕な人は恐らくあるまい。碁は打たず、謡(うたい)は謡わず、盆栽を〔、〕いじくるでも無ければ、小禽(ことり)を楽しむでも無い。何一つ道楽らしい道楽はない。寄席(よせ)も嫌い、芝居〔しばい〕も嫌い、散歩も旅行も大嫌いだ。自分が嫌いなばかりでなく、広く趣味を持ち得る人を、憎むように嫌う。門下の某生〔ぼうせい〕が寄席や芝居を好〔す〕くと云って、何時もブツブツ小言が絶えない。だから着物でも履物でも大概は手当りまかせで、別に凝(こ)った工夫の趣味のと云う事はない。平気なものだ。〔中略・改行〕それに書斎を飾るでなし、煙草や茶に贅沢〔ぜいたく〕を云うでもない、何んでも有り物まかせである。

 

と、ここまで読み進めると、どうやら小栗風葉と夏目漱石(なつめ・そうせき)は絵に描いたような、対極的(polar=正反対)な人物であることが、君にも分かって貰(もら)えるはずである。したがって、このような想定を下戸(ゲコ)である、夏目漱石に宛がっても......それは土台、想定外の話に留まらざるをえないが、この二人が仮に、幸運にも酒を酌み交わし、お互いの胸襟(キョウキン)を開くことがあったとしても、むしろ二人の間には文学以前の、趣味や嗜好の違いによって、歴然とした人間の差異が浮き彫りにされざるをえなかったであろうし、この二人が逆に、これまた幸運にも素面(しらふ=白面)で対面をする機会を与えられたとしても、この二人の間には早晩(ソウバン→早かれ晩かれ)仲たがいの火の手が上がったに違いないことは、火を見るよりも明らかであろう。

ところで、たまたま先日、僕は植田弘隆(うえだ・ひろたか)の『文人、ホームズを愛す。』(2015年、青土社)という本のページを捲(めく)っていて、そこに田山花袋(たやま・かたい)が「夏目漱石の作品にコナン・ドイルの影響を嗅ぎ取った」件(くだり)を見つけ出し、そのことに興味を持ち、この本を読み始めたのであるが、その次には上田敏(うえだ・びん)の章が、さらに次には小栗風葉の章が置かれ、その章題には「シャーロック・ホームズ」シリーズの第一作(『緋色の研究』)を翻案した、何と「破倫作家」の名が冠せられている。――とは言っても、きっと君は事情が、うまく呑み込めないに違いないから、簡単に補足を加えておくと、このようにして当時、19世紀の末年から20世紀の初年に掛けて、世間一般の目から見た小栗風葉とは、このような「破倫作家」であった。

ちなみに、この「破倫」(ハリン)という語は昨今の、君や僕が「不倫」(フリン)と呼んでいるものと、ほぼ同じであり、ふたたび『日本国語大辞典』を引くと、そこには「破倫」が「人の守るべき道徳に背くこと。また、そのさま。不倫」という語釈で、もう一方の「不倫」は「不道徳であること。特に、不道徳な男女関係にいう。また、そのさま」という語釈で、それぞれ説明されている。が、挙げられている用例は、前者が内田魯庵(うちだ・ろあん)の『社会百面相』(1902年)であるのに対して、後者は国木田独歩(くにきだ・どっぽ)の『正直者』(1903年)であったから、この二つの語が同じ時代の、まったく同じ趣味や嗜好の中で用いられていた語であることが、はっきりする。要するに、それは小栗風葉という作家が、どのような作家であったのかも、君や僕に告げ知らせている。

おまけに、この「破倫作家」という言い回しは小栗風葉という作家の、もう一面をも告げ知らせていて、それは彼が先刻の、コナン・ドイルの『緋色の研究』を風葉散人(ふうよう・さんじん)訳『神通力』(じんつうりき)と題して、明治三十九年(1906年)に「読売新聞」に連載した折、これが実は愛弟子の、眞山靑果の「代作」(......^^;)であった点である。この点については、前掲の『文人、ホームズを愛す。』で「風葉は、流行作家になってから注文がくると全部受けてしまい、自分の手では処理できなくなると門下生に代作させたという。岡本霊華〔おかもと・れいか〕や真山青果を門下に迎えたのも、彼らの語学力(英語)を見込んでのこと、という」と暴き出されている通りであり、このような「風葉の代作問題は当時、新聞に素〔す〕っ破〔ぱ〕抜かれて表面化した」由(よし)。

けれども、裏を返せば「代作」と見抜かれなければ、翻訳でも創作でも、それは立派な「作品」である――と判断していたのが、当時の文壇の実情でもあり、実際、風葉自身も若い頃から、尾崎紅葉(おざき・こうよう)の文章の模倣に励み、それを「文体模写」の域にまで高めようとしていたのは、彼の『金色夜叉終編』(明治四十二年→1909年)からも窺われうる。そして、そのような系譜が結果的に、紅葉門下から風葉門下へと引き継がれたのであれば、それは彼らが一途に、このような文章修業を文学本来の、創作行為と重ね合わせることが出来たからに他なるまい。したがって、そのような小栗風葉を、それでも君や僕が「美しい人」と評価しうるのであれば、それは単純に彼の「文章」が、もっぱら「美しい」(⑤)ものであるからであり、それ以上でも、それ以下でも、ないのである。

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