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『靑春』を読む(第二回)――「教養」の来た道(188) 天野雅郎

小栗風葉(おぐり・ふうよう)の『靑春』は、その筋立て自体は、いたって単純であるし、これから僕が、その骨組みを君に紹介し出しても、はたして君は興味を持ってくれるのか知らん、と僕は少々、不安である。理由は簡単で、この類(たぐい)の話は昨今の、君や僕の身の回りには幾らでも、至る所で目にしたり、耳にしたりすることの出来る話であり、ことさら君が、このような話に関心を示してくれるとすれば、それは君が現在、ひょっとすると彼(それとも、彼女)との間に、いろいろ恋愛や結婚についてのトラブル(trouble)を抱え込んでおり、その「混濁」や「混乱」や、手っ取り早く言えば、その代表格である「妊娠」(pregnancy)について、悩みが生じているからでは(......^^;)なかろうか。この小説の主役、関欽哉(せき・きんや)と小野繁(おの・しげる)のように。

このように言い出すと、この小説が全体を通じて、どのような筋立てであるのかは、かなり見え見えであろうし、そこに「妊娠」の二文字が介入する以上は、この小説の主役の二人が、この「妊娠」に「出産」(birth=誕生)という形で対応するのか、それとも「流産」(abortion=中絶)という形で処理するのか――要するに、やがて産まれるべき命を産む方向で考えるのか、それとも産まない方向で考えるのか......という選択の前に、この二人が立たされるのが小説の骨組みである、という点については、すでに君も了解済みであろう。とは言っても、そのような事態に仮に君が置かれたとしたら、それ相応の困惑は君の中に、あるいは君の彼(それとも、彼女)の中に、生まれざるをえないであろうし、それが明治時代の、今から110年も昔の話であれば、はるかに事態は深刻であったはず。

なにしろ、この小説では前回、このブログで報告を済ませておいた通り、男性側の主役の関欽哉は、数えの25歳(すなわち、満年齢24歳)の時点で登場し、東京帝国大学の一年生であったし、ましてや女性側の主役の小野繁は、たかだか数えの19歳(すなわち、満年齢18歳)に過ぎず、これまた「成女(せいじょ)大学」の一年生であったから。もっとも、この「成女大学」は正式には、大学と呼びうる教育機関ではなく、むしろ「大学校」と称されるべきであり、このようにして私たちの国に女子教育を旨とする「大学校」が誕生するのは、明治三十四年(1901年)の「日本女子大学校」(現:日本女子大学)が最初であって、その意味において、わずか執筆の数年前に、ようやく姿を見せたばかりの「女学生」を一方の主役に配して、この『靑春』という小説は書き始められたのでもあった。

そして、この小説では主役の二人が、まず「春之巻」において出会い、熱烈な恋愛関係に陥り、そこから彼女(小野繁)の方が妊娠をし、裏を返せば、彼(関欽哉)の方が妊娠をさせ、そのことに悩み、苦しんだ末に、とうとう彼女が不憫(フビン=不愍)にも、みずからの手で「堕胎」をするまでを描くのが、次の「夏之巻」である。ちなみに、このような「堕胎」の用例として、例えば福澤諭吉(ふくざわ・ゆきち)が慶応二年(1866年)から明治三年(1870年)まで、5年に亘って書き継いだ、あの『西洋事情』には「貧院」の項があり、そこには「西洋にて密通は〔、〕もとより厳禁なれども、薬を用いて脱胎(=堕胎)する者は、その罪、密通より重し」の一文が含まれていて、このような考え方が新しく、私たちの国に「西洋事情」として持ち込まれたものであったことが窺われよう。

もちろん、このような「堕胎」という語自体は、近代以前にも延々と使われており、とりわけ多くの用例や事例が見出されるのは、江戸時代であった。また、そこでは「子おろし」という名で営まれる、医療や売薬の行為も成り立っていたし、当時は生まれたばかりの赤子(あかご)を「間引き」と称して、殺すことも頻繁に行われていた始末。なお、このような「堕胎」に対して私たちの国で、禁止令が出るのは意外に早く、明治二年(1867年)のことである。が、これが「堕胎罪」という形で、刑法の中に明確に位置づけられるのは、まず明治十三年(1880年)の「旧刑法」と、それを改め、明治四十年(1907年)に公布された、現行の刑法以降のことであり、それは小栗風葉の『靑春』が、大団円を迎える翌年に当たっていて、現時点から数えると、これまた110年ほど前の出来事になる。

ともかく、そのような罪や罰や、あるいは刑法の文脈(コンテクスト)の中で、この『靑春』という小説を読むことは可能であるし、実際、第三部の「秋之巻」では、やがて三年間の刑期を終えて「監獄署」(!)の門を出る、関欽哉を小野繁が出迎える所から、話はスタートしている。ただし、そのような罪は罪でも、小栗風葉が描きたかったのは、やはり法律上の罪(crime)ではなく、むしろ道徳上の罪(sin)であり、それは端的に言えば、当時の若者(とりわけ、大学生)の間に流行していた、いわゆる「独身主義」への懐疑と批判であったに違いない。とは言っても、そのような「独身主義」が一般に、それほど珍しい主義主張(イズム)ではなくなり、ごく普通の男女の間に浸透する時代が来ると、はたして君は以下のような、関欽哉の「恋愛論」を、どのように受け止めるのであろう。

 

結婚は恋愛の堕落ばかりじゃ無い、人間其者〔そのもの〕の堕落で、甚麼(どんな)美しい恋間(こいなか=恋仲)でも、結婚して夫婦になると――夫婦の情愛と云う別種の愛を説く者も有るけれど――今迄〔いままで〕の其〔そ〕の美しい華〔はなや〕かな空想的、詩的な所は全然〔、〕失せて了〔しま〕う。唯〔ただ〕もう実際的、物質的の無趣味な関係になって了う。成程〔なるほど〕、花より実を尊ぶ功利論者の目から言ったら、或〔ある〕いは結婚して始めて男女(なんにょ)の関係は意義あるかも知れない、けれど......貴方〔あなた〕は何〔ど〕う思います? ねえ、花は永(とこしな)えに花で置きたいじゃ有りませんか! 久遠(くおん)の恋! 恋を恋のまま続けて、何時までも若々しい恋に酔って、而(そう)して永久に楽しい恋から醒めなかったら、我々の生活(ライフ)も実に、無限に老いざる春では有りませんか!

 

と、このようにして始まった、関欽哉と小野繁の「恋愛」の顛末(テンマツ)を、その出会いから別れまで、ある種の「風俗小説」として描き出したのが、小栗風葉の『靑春』であった訳であるが、そもそも「風俗小説」とは『日本国語大辞典』(2006年、小学館)を引くと、もともと「昭和一〇年代(一九三五-四四)に、横光利一・武田麟太郎・丹羽文雄などにより定着した」語であって、これが「その時代に生きる人々の生態や風俗を描き出すことに重点を置く小説。一般に、思想性が希薄で、社会を表面的・現実的に描き、人間の本質に迫る姿勢が弱いとされる」――という点までは承服できても、はたして明治三十年代の小説に、このような「昭和一〇年代」の基準を宛がうことは妥当であり、可能なのか知らん、という躊躇(音読→チュウチョ、訓読→ためらい)は残らないではない。

なぜなら、僕が今回、小栗風葉の『靑春』を読み、いちばん興味深かったのは、この小説の作者が自分自身、大学生であった訳でもなく、ましてや当時の「女学生」の生態など、知る由(よし)もなく、彼自身は小学校を卒業後、薬学学校や商業学校を転々とし、やっと中学校には入っても、そこで結局は彼自身の、すべての学校生活は終了し、頓挫してしまう、そのような作者が『靑春』という......まさしく「青春小説」を大学生や「女学生」を主役にして、縷々(ルル)として書き継いだ、という点であった。その点において、この小説の読者も多分、似たり寄ったりの状態であったか、もしくは、それ以下の「学歴」しか持ち合わせていなかったはずであり、そのことを踏まえると、この小説の読者の関心も、どうやら次のような描写にあったのではなかろうか、と勘繰らざるをえない次第。

 

二人は夢の中を行くように空(うッ)とりとなって歩いて居たが、旋(やが)て又〔また〕小さい声で、「貴方〔あなた〕......本当に私を愛して下さるって事を、貴方〔、〕聞〔きか〕して下さいな!」

「..................」

木間〔このま〕を洩〔も〕るる青白い月の光を受けながら、凝(じッ)と見挙げた繁の顔――恋する少女(おとめ)の顔は、秋の鹿の毛並が澤立(つやだ)つように輝いて美しい! 憧〔あこが〕るるような、希(こいねが)うような心深い其〔そ〕の目、火の如き唇は情の閃(ひらめき)に顫(ふる)えて......

男の唇の方が或〔ある〕いは冷たかったかも知れぬ。

「分〔わか〕りましたか?」

「忘れちゃ嫌〔いや〕よ!」

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