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『靑春』を読む(第四回)――「教養」の来た道(190) 天野雅郎

今回も前回に引き続き、いわゆる女学生(girl student? schoolgirl?)の話であるけれども、この「女学生」という語に君自身は、何らかの思い入れのある側であろうか、それとも、むしろ「女子学生」や、あるいは「女子高生」や「女子大生」と言った方が、はるかに身近な存在に感じられ、その実態(生態!)も、容易に理解の付き易い側であろうか。――僕自身は、もちろん、その内の「思い入れ」(intensity)のある側であって、今でも時々、ふと取り憑(つ)かれたかのように、あの安達明(あだち・あきら)の『女学生』(作詞:北村公一、作曲:越部信義)のフレーズ(うすむらさきの藤棚の 下で歌ったアベ・マリア 澄んだ瞳が美しく なぜか心に残ってる 君は やさしい 君は やさしい女学生~♪)が口を吐(つ)いて出るほどなのである。いやはや、まったく冗談ではなく。

なお、このような「女学生」が誕生するのは、すでに前回、僕が君に報告を済ませておいた通り、明治五年(1872年)の「学制」の公布と同時であった。が、それが現実に、直接に昨今の君や僕のイメージする、女子高生や女子大生の姿と重なり合うためには、そこに当然、いわゆる「女子」の通う「高校」や「大学」が成り立っている必要がある。その意味において、この折に日本初の「官立(=国立)女学校」として「東京女学校」が創設されながらも、それが「学制」と同様、まさしく「絵に描いた餅」(pie‐in‐the‐sky)であったことから、たちまち頓挫を来たし......そこから、それが明治八年(1875年)に開校した「東京女子師範学校」に吸収され、やがて明治二十三年(1890年)に「女子高等師範学校」と名を改めていく経緯に、まず私たちの国の女子教育の歴史は刻まれている。

そして、この「女子高等師範学校」が明治四十一年(1908年)の段階で、東京の「東京女子高等師範学校」と、奈良の「奈良女子高等師範学校」に枝分かれ(細胞分裂?)をして、これが40年(厳密に言えば、41年)後の昭和二十四年(1949年)には、当時の「戦後学制改革」を経て「新制大学」となって、目下の「お茶の水女子大学」と「奈良女子大学」の起源(ルーツ)となっている点については、どこかで君も目にしたり、耳にしたりしたことが、あったのではなかろうか。要するに、このようにして日本の女子教育(とりわけ、高等教育)は、女性の教員(すなわち、学校教育職員)の養成機関としてスタートを切ったことが、いたって明瞭な特徴であったし、この点は小栗風葉(おぐり・ふうよう)の『靑春』の、女性側の主人公、小野繁(おの・しげる)にも無縁の点ではなかった。

もっとも、これも前々回、僕が君に注意をしておいたように、彼女が通っていた「成女(せいじょ)大学」は、そのまま「大学」ではなく、正式には「大学校」であり、それは「専門学校」という括りの中に収められるべき、高等教育機関であった。と言うことは、この小説の冒頭で彼女が、その「成女大学」の一年生で登場し、年齢は数えの19歳(=満18歳)であった際に、すでに彼女は小学校(=尋常小学校)と高等女学校を卒業していたことになる。ちなみに、もし彼女が仮に、小学校の教員になることを目指していたのであれば、この時点で彼女は小学校を卒業後、高等小学校に進み、そこから初等教育教員の養成を目的とする、師範学校に入学するコースを辿っていたはずであり、もはや小学校の先生になっていて、結果的に関欽哉(せき・きんや)と出会うこともなかったであろう。

裏を返せば、この二人の主人公が運命的な出会い(fateful encounter)を果たすためには、彼女の方が小学校を卒業後、このようにして高等小学校に進み、そこから師範学校に入学するコースを辿っていたり、あるいは、その上に中等教育教員の養成を目的とする、先刻の「女子高等師範学校」に入学したりしていては、いけない訳である。――言い換えれば、このようにして彼女が「青春小説」の主人公として、ある種の悲劇(tragedy=山羊歌)のヒロインを演じるためには、彼女の側にも彼女なりの、それ相応の資質と能力と、端的に言えば、学歴が必要なのであって、それを欠いていては、そもそも「陰口の多い女学校の、教師の眉毛の中の黒子(ほくろ)まで数えねば措(お)かぬような女生一般の目から、一人才色双美を以て、成女大学の花と許されて居る」ことは不可能なのである。

ところが、そのような「成女大学」の教育方針は、この小説の明記している通りに「賢母良妻」(=良妻賢母)であり、それが突き詰めるならば、彼女の「独身主義」と摩擦や衝突を惹き起こすことになる理由でもあれば、この小説の中で彼女を、青い春(=青春)から赤い夏(=朱夏)へと、ひいては白い秋(=白秋)へと、導いていく縦糸ともなっているし、最終的に彼女を、この小説の外部の黒い冬(=玄冬)へと、連れ出してしまう原因ともなっている訳である。その繋がりにおいて、この小説で一番、言ってみれば、当時の男性の常識(common sense=共通感覚)を代弁していたのは、彼女に対して淡い、秘かな恋心を寄せている、軍人の香浦速男(かうら・はやお)であって、この「砲兵少尉で無骨(ぶこつ)一遍(いっぺん)の男」が、次のように言っているのは印象的であろう。

 

学校へ二三年も行くと直〔じ〕き其〔そ〕れだ! 何か夫を持つと不見識のように考えて、やれ社会の為めに働くんだとか、やれ婦人の天職が何〔ど〕うだとか、直き此〔こ〕の、生意気な事を言いたがるのが今の女学生の極〔きま〕りなんだ。馬鹿な! 那丈(あれだけ)の縹致(きりょう)を持ってながら、学校へなんか入るのが間違ってる。女が学問するのは、大抵まあ貰人(もらいて)の無さそうなのが、独〔ひとり〕で食って行く用意なんさね。そりゃ何有(なに)、然〔そ〕ういう徒(てあい)が独身主義を振廻すのに文句は無いが、那(ああ)して人並に生れて結婚せんてのは、第一此の、人間の自然に背くじゃ無いか。僕は其れだから、女の学問したのは嫌なんだ。

 

と、これ以上、続けると、ひょっとして君が金輪際(こんりんざい)このブログを読まなくなってしまう虞(おそれ)も、ない訳では(......^^;)なかろうが、そこは小説中の一人物が「独りガブガブ〔、〕ビイルを呷(あお)」り、とうとう「少しく呂律(ろれつ)の怪しくなるまで酔った」上での酔言、酔語の類と、ご容赦を願い、もう少しだけ、この「忠君愛国と云う観念より外には頭に無い武人」の発言(と言うよりも、暴言)を聴いて貰(もら)いたい。が、このようなことを心の中で、ひそかに考えているだけの話であれば、それは今から110年前の、この「青春小説」の登場人物に限った話ではなく、実は今でも多くの、このような「武人」と似たり寄ったりの、それどころか、それに輪を掛けたような旧式の、古い頭の持ち主は、幾らでも君の周囲に存在しているから、ご用心を。

 

それも曩(さき)言ったように、社会の為めに働くとか、婦人の天職の為めに何うとか、実際〔、〕然〔そ〕ういう考〔かんがえ〕から出たのなら未〔ま〕だしもだが、家庭の世話が煩(わずらわし)いとか、子を育てるのが面倒だとか、其実〔そのじつ〕自分以外の責任を避けようって我儘〔わがまま〕から出た独身主義が多いんだから......左右(とか)く此の、女の学問は弊が多いて。学問で食って行けば、外〔ほか〕の女の職業と違って、社会にも相応な地位を得て困らないと云う考が有るものだから、自然〔、〕独身なんて我儘が起きるんだ。女は弥張(やっぱり)親なり夫なりに懸〔かか〕らなきゃ成らんものと為〔し〕て置くに限る!

 

要するに、このようにして昨今の、君や僕が聞いたら、ぶったまげる(打魂消!)ような発言が、まさしく「良妻賢母」の名の下に、どうどうと罷(まか)り通っていたのが明治時代の、とりわけ「学校令」(明治十九年→1886年)以降の、日本の学校教育の状況であって、例えば『日本国語大辞典』(2006年、小学館)で「良妻賢母」を調べると、そこには「夫に対しては〔、〕よい妻であり、子に対しては賢い母であること。また、そのような人」という語釈と共に、用例には徳冨蘆花(とくとみ・ろか)の『思出(おもひで)の記』が挙げられているから、これが折しも、19世紀から20世紀への、分岐点で発表された小説の中の用例であったことが分かる。また、それが意外にも、はなはだ近代的(モダン)な少女(ガール)であるはずの、当時の「女学生」をこそ、教育するものであったことも。

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