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『靑春』を読む(第五回)――「教養」の来た道(191) 天野雅郎

唐突ではあるが、つい先日、僕は教育学部の専門科目(!)で、いわゆる「初等教育」と「中等教育」と「高等教育」の話をしていて、驚くべきことに現在の大学生(と言うよりも、ほかならぬ「学校教育教員養成課程」の大学生)が、まったく「初等教育」と「中等教育」と「高等教育」の違いを理解しておらず、これを誤解していることを知り、愕然(ガクゼン)としたので、その言い回しの通りに「言わずもがな」(=言わない方が、いいのになあ......^^;)の話では、あるけれども、この件について少々、苦言を呈しておきたい。なぜなら、このような違いが分からないと、今、自分たちの受けている教育が「高等教育」であって、決して「中等教育」や「初等教育」ではないことも、ひょっとすると現在の大学生の頭の中からは、抜け落ちてしまっている虞(おそれ)があるからである。

ちなみに、僕が驚き、呆れ返ったのは、彼ら(+彼女ら)が「中等教育」を、文字どおりに「中学校」の教育と思い込み、すっかり勘違いをしていた点であり、裏を返せば、彼ら(+彼女ら)は「高等学校」の教育を、そのまま「高等教育」として位置づけていた点であった。言い換えれば、彼ら(+彼女ら)の頭の中では、はじめに「小学校」という名の「初等教育」の場があって、その次には、さらに続けて「中学校」という名の「中等教育」の場があり、そして最後に、今度は「高等学校」という名の「高等教育」の場が上乗せをされている、かのようなのである。――ああ、そこに願わくは(OH,MY GOD!)「大学」という名の「高等教育」の場が存在していますように。また、それが断じて「高等教育」とは別の、それこそ「大学教育」という呼び名で、呼ばれたりはしていませんように。

と、このような物言いを......恐る恐る、あえて僕がしているのは、もし仮に、このような事態が現在の、多くの大学生の頭の中の現実であり、実情であるとすれば、それは小栗風葉(おぐり・ふうよう)の『靑春』において、主人公の関欽哉(せき・きんや)や小野繁(おの・しげる)たちの生きていた、今から110年余りも前の日本の、教育制度や教育理念と変わらない、似たり寄ったりの頭の使い方を現在の大学生はしている、という事態に至りかねないからである。具体的に言えば、それは前回まで、このブログで僕が君に報告を済ませてきたような、あの「学校令」(明治十九年→1886年)以降の日本の、まさしく「戦前の国家教育制度と国民教育理念の基礎となった」(『日本国語大辞典』2006年、小学館)法令の中の「教育」が、130年後の今でも生き延びている、という事態であった。

その意味において、ここで改めて『日本国語大辞典』を引き、確認をしておくと、そもそも「初等教育」が「初歩的、基本的な普通教育を内容とする、小学校教育。初等普通教育」であり、これが「就学後〔、〕最初の段階の教育で、中等教育に対応する概念」であることは言うまでもない。が、それに対して「中等教育」は「初等教育と高等教育の中間における教育」であり、目下の「六・三・三制においては、三・三に当たる中学校・高等学校の教育をいう」語であり、この点が「旧制の中学校の教育」とは違う点である。逆に言うと、その上に「中等教育を基礎とし、それに続く段階の教育」として存在しているのが「高等教育」で、これは「教育機関としては、学制改革前の大学院、大学、専門学校、高等学校、現在の大学院、大学および短期大学、高等専門学校が含まれる」ことになる。

さて、このようにして振り返ると、例えば小栗風葉が「初等教育」と「中等教育」を終えた後、当時の高等中学校への入試に失敗し、そこから小説家となっていく経緯に関しても、それ相応の感慨は生じざるをえない。すなわち、この時、彼は「尋常中学校の課程を修了した男子に対して高等普通教育を施すことを主眼とした学校」(同上)である、高等中学校への進学が叶わず、要するに、この折の「高等教育」への挫折と頓挫が、彼の小説家となるべき原体験であった訳であり、それは10年以上の時を隔てて、30歳を過ぎた彼が再度、自分自身の「青春時代」を下敷きにして、そこに学問や学校や、学歴と向かい合い、関わり合わざるをえない、関欽哉や小野繁を中心とした「青春群像」を、その名の通りの「青春小説」として描き出したことにも、深い繋がりを持っていたのではなかろうか。

なお、この「学歴」という語を『日本国語大辞典』で調べると、そこには「学業に関する経歴。どんな学校で学び卒業したかという経歴。特に、大学、専門学校等の高等教育についていう」――という語釈と共に、用例には何と、小栗風葉の『靑春』(秋之巻)の一節(聞けば貴方は、大学の方も優秀で出なすったとか。然〔そ〕ういう立派な学歴は有るし......)が挙げられている。と言うことは、この「学歴」という語が明治三十年代の後半になってから、にわかに登場した新造語であり、流行語であった可能性も、ない訳ではなかろうが、そうであるとすれば、この語が20世紀の初頭に姿を見せて以来、君や僕の生きている、この21世紀(100年後!)の今に至るまで、えんえんと日本人の「青春時代」を蝕(むしば)み、まるまると太り、肥え続けた語であったことにも、なりうるであろう。

ところで、この一節は『靑春』において、すでに小説も終盤に向かう折、関欽哉が高等学校の頃の旧友、北小路安比古(きたこうじ・やすひこ)と出会い、お互いの「青春」を回顧する場面に、収められている訳であるが、この「子爵家の殿様」は名前の通りに、名門の華族の出であった。とは言っても、この「華族」(かぞく)という語を君が、よく分からないと困るから、以下に『日本国語大辞典』の語釈を掲げておくので、ご参照を。――「明治時代に設けられた、身分制度の称の一つ。明治二年(一八六九)六月、江戸時代の公卿、諸侯をこれにあて、同一七年の華族令により、公、侯、子、男の爵位を授けられ、国家に勲功のあった政治家、軍人、官吏、実業家なども列することができるようになった。皇族の下、士族の上に位置し、種々の特権を受けた。昭和二二年(一九四七)廃止」。

いやはや、大変な時代である。......と、まるで他人事のように嘆くのは、君の自由(勝手?)であるけれども、よもや君は自分自身が、このような「身分制度」の表面的に、姿を隠した時代に生きていることを、知らない訳ではなかろうし、そこで姿を隠した「身分制度」の亡霊は、今でも君や僕の周囲に、それこそ神出鬼没に、見え隠れを繰り返していることも、よく弁(わきま)えているに違いない。したがって、このようにして「生存競争上、余儀〔よぎ〕無い現社会の風潮」の中で、君や僕が様々な「身分制度」と向かい合い、関わり合わざるをえない時に、どうやら「忘れられないのは高等学校時代ですな!」と、この『靑春』の登場人物たちのように声を揃えるのは、昔も今も変わらない点であろうし、それが多分、いわゆる「高等教育」の持つ、最大の利点でもあったはずである。

 

それに就〔つ〕けても、忘れられないのは高等学校時代ですな!〔中略・改行〕未だ中学時代は無我夢中だし、と云って、大学へ入る頃になると、最〔も〕うポツポツ卒業後の事なぞ考えたり為〔す〕るから、実世間を却〔かえっ〕て重く見過ぎる。其所〔そこ〕へ行っては高等学校時代で、自分の信ずる理想――現実が何〔ど〕うであろうが、那様〔そんな〕事には頓着無い、只〔ただ〕理想に憧れて、理想に渇仰〔かつごう〕して、信念も有れば勇気も有る。単純な代りには真率で、誠実で――那〔あの〕頃の事を思うと、人の事よりも、僕なんか実に自分で自分の今日が恥しいようです!

 

全〔まった〕く! 那頃が〔、〕お互に花だったね。〔中略〕感情は醇(じゅん)だし、意気は壮(さかん)だし、世中〔よのなか〕に恐れるものも無ければ疑うものも無い、有〔あ〕らゆるものに好意を持って、而〔しか〕して〔、〕有らゆるものに敬意を払い得られた、君の言う通り真率で誠実で、究〔つま〕り真面目だった。今日〔こんにち〕の皆は其〔そ〕の真面目が無くなって〔、〕不真面目になったのだ! 然〔しか〕し不思議なもので、那様に皆〔、〕変って了〔しま〕って居ても、何かの拍子に偶(ふ)と高等学校時代の話が出ると、誰でも沁(しんみ)り真面目になって了う......

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