ホームメッセージ映画の灯火(ともしび)――「教養」の来た道(209) 天野雅郎

メッセージ
メッセージ

映画の灯火(ともしび)――「教養」の来た道(209) 天野雅郎

前回、僕は君に『ガス燈』と題された、とても面白(おもしろ)い......と言い出すと、昨今の日本語では相当に語弊があるけれども、この「面白い」という語の本来の意味からすれば、それほど不都合ではない評価を、この映画に対して僕は与えよう。なぜなら、この「面白い」という語が「外面の明るさから、心に楽しく思う意となり、美に対しても、また知的な興感に対しても」(白川静『字訓』1987年、平凡社)用いられるようになったのが、そもそも日本語の語誌であったから。その意味において、例えば次のような『万葉集』(巻第七、1081)の「月を詠む」歌は、このような日本語の語感が巧(たくみ=工)に表現されていて、印象的であるので、ご一読を。――烏玉(ぬばたま)の/夜(よ)渡る月を/おもしろみ/吾(わ)が居(を)る袖(そで)に/露(つゆ)そ置きにける

ちなみに、このようにして「月」を「面白い」と表現する感覚は、あの『古今和歌集』(巻第九、406)の有名な、安倍仲麻呂(あべ・の・なかまろ)の歌(天〔あま〕の原/ふりさけ見れば/春日〔かすが〕なる/三笠〔みかさ〕の山に/いでし月かも)あたりにも引き継がれていて、興味は尽きない。が、この歌は君も、きっと高校生の頃に古文の授業で習ったように、実は「唐土(もろこし)にて月を見て、詠みける歌」であったから、君や僕にとっては、いたって切ない歌でもあったことになる。事実、この歌は彼が長い歳月(30年!)を中国で過ごし、ようやく日本に帰る機会が巡ってきた折、その送別の宴席で「月の、いと面白く差し出(い)でたりけるを見て、詠める」歌であった次第。そして、それにも拘らず、彼の乗った船は暴風雨に遭い、中国に押し戻されてしまうのである。

要するに、このようにして「面白い」という日本語が、一面において切なく、ひどく悲しい、哀れな感覚を伴う語であることを、今の君や僕も、決して忘れてはならないのではなかろうか。そのような意図もあって、僕は君に『ガス燈』という映画を、とても「面白い」と評している訳である。この感覚が分からないと、例えば近年、あの夏目漱石(なつめ・そうせき)の疑似伝説のごとく、やたら「月が綺麗(きれい)ですね」とか「月が、とっても青いなあ」とか、まるで馬鹿の一つ覚えのように(......^^;)繰り返す、多くの日本人が出現することにもなる。――まあ、その後に続けて、菅原都々子(すがわら・つづこ)の大ヒット曲(『月がとっても青いから』)でも諳(そら)んじることが出来るのであれば、それは正真正銘の、由緒正しい日本語の使い手でも、ありえたのであろうが。

閑話休題。このようにして『ガス燈』(Gaslight)は、とても「面白い」映画なのであるけれども、この映画からは後年、何と「ガスライティング」(gaslighting)という語まで生まれ、それが特に精神分析(サイコアナリシス)における医療用語や、臨床用語として使われ、現在に至っていることからも窺えるように、この映画自体は主人公(ポーラ)が、作曲家で、さらに宝石強盗で殺人犯であった、夫(グレゴリー・アントン)から次々と心理的な虐待を受け、常軌を逸していくことになる物語であった。したがって、映画のジャンルで言えば、この映画は一般に、いわゆる「サスペンス」(suspense=未解決の、不安定な、持続的な緊張感)に分類されるのが通常であり、そのまま「面白い」......喜劇や笑劇や、まさしく「コメディ」(comedy=酒宴歌劇)ではなかったので、念のため。

ところで、この映画の話題を前回、僕は君にベルギーとの繋がりで、持ち出し始めたのであるが、それは実は、この映画の主演女優のイングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman, 1915-82)や、あるいは主演男優のシャルル・ボワイエ(Charles Boyer, 1899-78)に関わる話ではなく、この映画の監督をした、ジョージ・キューカー(George Cukor, 1899-1983)に纏(まつ)わる話であって、しかも、それは彼が『ガス燈』の時点(1944年)から、ちょうど二十年後(1964年)に監督をして、とうとう宿願の「アカデミー賞」(監督賞)を受賞することになる、こちらはオードリー・ヘップバーン(Audrey Hepbum, 1929―93)が主演女優で、レックス・ハリソン(Rex Harrison, 1908-90)が主演男優の、あの『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady)の話であったのであるから、ややこしい。

とは言っても、試しに日本人に年齢を問わず、いわゆる老若男女に対して、誰か一人だけ、ベルギーで生まれた、ベルギー出身の映画俳優の名を挙げて下さい、と尋ねたら、おそらく圧倒的に第一位になる可能性が高いのは、この『マイ・フェア・レディ』の主演女優、オードリー・ヘップバーンであったのではあるまいか。――なおかつ、そこから続けて、そのベルギーを舞台にしている『尼僧物語』(1959年、原題:The Nun's Story)にまで、あれこれ話を繋げることが出来るのであれば、それは結構な映画好きか、とりわけオード―リー・ヘップバーンの、熱心なファンでもあったに違いない。ちなみに、この映画の、もう一つの舞台となった、ベルギー領コンゴで独立革命が起きて、そこから「コンゴ民主共和国」が誕生するに至るのは、この映画の公開の翌年(1960年)のことになる。

と言い出すと、おそらく君もフムフムと、ようやく話の糸口を見つけ出し、これから僕が君に、どのような話題を提供しようとしているのかを、それ相応に理解してくれているのではないか知らん。また、仮に君が運好く、例えば『マイ・フェア・レディ』の冒頭の劇場や、あるいは馬車に灯(とも=点・燈)る「ガス燈」あたりを、あれこれ想い起こすことが叶うのであれば......それは僕にとっても、かなり嬉しいことであるけれども、残念ながら、そこから映画の画面は次第に、屋外にも屋内にも、もっぱら「ガス燈」を映し出すのではなく、街にも建造物の壁にも、自動車のヘッドライトにも、テーブルの上のスタンド・ライトにも、そこに煌々(コウコウ)とした光を放っているのは、すでに「電燈」(electric light→エレクトリック・ライト)であった点にも、君は気が付いたはず。

この点は、この『マイ・フェア・レディ』の原作である、ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, 1856-1950)の戯曲(『ピグマリオン』)を、そのままの題名で映画化した、言ってみれば、戦前版(1938年版)の『マイ・フェア・レディ』も同様であり、そこに登場するのは「ガス燈」ではなく、もはや「電燈」でしかない。――と、このようにして振り返ると、どうやら君や僕が「近代」(Modern Times=現代)という名で呼んでいる時代とは、こよなく光(light)と結び付き、光とは切っても切れない関係にある時代であることが、より鮮明になってくるに違いない。その意味において、僕は今回、君に『ガス燈』との繋がりで、これまた「面白い」映画の代表格である、チャールズ・チャップリン(Charles Chaplin)の『街の灯』(City Lights)を紹介して、また次回。

教養の森に関するお問い合わせはこちらまで 和歌山大学学生センター 学務課

| 所在地:〒640-8510 和歌山県和歌山市栄谷930 | 電話番号:073-457-7130 |

Copyright ©2012 - 2017 Wakayama University