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点灯夫の話(第二話)――「教養」の来た道(212) 天野雅郎

連城三紀彦(れんじょう・みきひこ)の『瓦斯(ガス)灯』(1984年、講談社)という短編集の、その名の通りの表題作(「瓦斯灯」)を読んでいて、ふと僕は「点灯夫」(テントウフ)と称される職業に興味を持ち、その話を前回から、し始めているのであるが、まず君は「瓦斯灯」に本来の、正真正銘の「瓦斯灯」と、そうではない「瓦斯灯」が存在していることを、知っていたであろうか。......とは言っても、それほど話は複雑な、難解な説明を要する訳ではなく、いたって単純に明治時代には、そもそも「瓦斯灯というと、石炭瓦斯を燃した〔、〕いわゆる瓦斯灯だけだと思うと大間違いで、街灯、門灯、軒灯の大多数は石油ランプを使ったものだった」という事実さえ分かっていれば、話は容易に片が付くのであり、前者も後者も、私たちの国では「瓦斯灯」と呼ばれていたのである。

と、このように述べているのは、榎恵(えのき・けい)の『ランプ』(1980年、築地書館)と題された、歯医者さん(日本矯正歯科学会賞第一号受賞者)の書いた、とても美しい、細やかな「ランプ」の本であるけれども、そこには上記の説明を裏付ける形で、柴田宵曲(しばた・しょうきょく)の『明治の話題』(1962年、青蛙房)の一節が引かれている。いわゆる孫引(まごびき→requotation)となり、恐縮ではあるが、ご参考までに。――「ここに瓦斯灯とあるのは必ずしも瓦斯の火という意味ではない、戸外にある門灯、軒灯、街灯の類を一般に「ガストウ」と称していた。ガラス張りの中に入っているのはランプで、夕方になると脚榻(きゃたつ)を担いだ男が火を入れに来る、むずかしく書けば点灯夫だが、蝙蝠(こうもり)の飛ぶ夕方など、忙しげに火を入れて歩く姿を思い出す」。

すなわち、このようにして明治時代には、日本人の家の中(インテリア)は言うまでもなく、家の外(エクステリア)の門にも、軒下にも、はたまた街にも、まさしく「文明開化」の象徴(symbol=割符)として光を放っていたのは、実は本来の、正真正銘の「瓦斯灯」ではなく......その多くが廉価な、お手軽な「石油ランプ」の「瓦斯灯」(?)であった訳であり、ここにも私たちの国の「文明開化」(civilization=都市化)が抱え込んでいた、光と影の両面を覗き見ることが出来て、興味は尽きない。とは言っても、そのような「瓦斯灯」の代用品(substitute)である「石油ランプ」にも、いろいろ手間の掛かる、逆に面倒な作業は必要とされていたのであり、その代表が今回も、僕が君に話を聴いて貰(もら)っている、文字どおりの「点灯夫」(ランプ・ライター)であった訳である。

ちなみに、このような「点灯夫」が忙しく、明治時代の夕暮れの街を走り回っている姿は、前回も紹介したように、あの小栗風葉(おぐり・ふうよう)の『戀慕ながし』(明治三十一年→1898年)を始めとして、さまざまな作品に描き出されており、その意味において、それは明治時代の「夕暮れの町の一つの風物詩」でもあったことになる。が、これらは榎恵の先刻の著書に従えば、どうやら「みなランプの軒灯をつけに廻る人たち」であったらしく、例えば永井荷風(ながい・かふう)の『夢の女』(明治三十六年→1903年)に姿を見せる「点灯夫」や、あるいは森鷗外(もり・おうがい)の『靑年』(明治四十三年→1910年)に登場する「点灯会社の人足」は、すべて「瓦斯灯」ではなく「石油ランプ」の「点灯夫」であったことになり、僕は少々、拍子(ヒョウシ)抜けがしている次第。

とは言っても、その一方で連城三紀彦の『瓦斯灯』の、倉田安蔵(くらた・やすぞう)が本来の、正真正銘の「点灯夫」であったことは間違いがない。なぜなら、彼は「夕暮れ時になると〔、〕この周辺〔=深川〕から日本橋まで街並の瓦斯(ガス)灯に火を点(とも)して走り回り、朝になるとまたその火を消しに忙しく駆(か)け回る」のが仕事であり、このようにして目抜き通りの「瓦斯灯」に「朝夕〔、〕火を点しに三里の道を走っている」のは、彼が由緒正しい「瓦斯灯」の「点灯夫」であったからに他ならない。――もっとも、このような「点灯夫」は元来、その名を「点消方」(てんしょうかた)と呼ばれており、それは「瓦斯灯」が「ランプと違って油が尽きて自然と火が消えるということがないので、明け方には〔、〕いちいち消して廻らなければ」ならなかったからである。

と、このように教えてくれているのは、これまた榎恵の『ランプ』であるが、いささか僕自身が腑(フ)に落ちないのは、このような「瓦斯会社の人夫で正しくは点消方といわれて」いた、彼らの出で立ちは「ふつうは脚立〔きゃたつ〕を持たず、点火棒とガス孔の開閉棒とを持って歩いて」いた点である。それと言うのも、この小説の中の倉田安蔵は、たしかに「点灯に使う竹の火つけ棒」を手に持っているし、その「火つけ棒」が主人公の峯(みね)の家の土間の闇に、あやしい「蛍ほどの小さな火」を燃やし続けていたりも......するのであるが、その一方で彼は常に「瓦斯灯に脚立を立てかけ、その上にあがって火つけ棒を高く伸ばして」いたからである。あの、峯が十数年ぶりに「生まれ育った深川」に戻って、そこで倉田安蔵と再会することになる、秋の終わりの「電車道」のように。

 

昼中〔ひるなか〕ぼんやり電車道を歩いていると、「峯ちゃんじゃないか」不意に上方から声が落ちてきて、見上げると安蔵の笑顔があった。瓦斯(ガス)灯にたてかけた脚立(きゃたつ)の上にのぼり、安蔵は火を点していたのだった。「ちょっと待ってくれよ、今済(す)むから」四十に間近い齢(とし)である。十数年ぶりの安蔵は〔、〕もう髪に白い物すら混じっているが、それでも切れ長の目に昔に変わらぬ色が残っていて「安さん」娘の頃の声が自然に口を突いた。「どうしたのさ、昼行灯(ひるあんどん)でもあるまいし、こんな時刻に」「いや火つけ口の具合が悪くて直してる所さ」後は〔、〕どちらともなく昔よく通った蕎麦屋(そばや)に足をむけ、たがいの丼(どんぶり)が空(から)になるうちに〔、〕峯は十数年の身上〔みのうえ〕話を終えていた。

 

ところで、この小説自体は十数年ぶりに、このようにして再会した倉田安蔵と、主人公の峯が結局、夫婦(音読→フウフ、訓読→めおと)になることが叶わず、18歳の時と35歳の時の二度に亘り、この男のことを裏切り続けた、女の思いが主題(テーマ)となっている。――と言ってしまえば、話は簡単であるけれども、この『瓦斯灯』の「あとがき」で作者自身が、この小説を「ごく小さな作品ではあっても、今現在、僕自身が一番愛着をもっている作品です」と言い切っている理由は、どの辺りにあったのであろう。この小説の中で「一度は闇の中に美しく燃えながら〔、〕最後には陽光の中で〔、〕その色を失ってしまう火」が、これまた「もう時代遅れ」となり「あちこちでとり壊されて」いる「瓦斯灯」の、その朧気(おぼろげ)な「幻の火」に、重なり合うことは分かるのであるが。

なお、もう一つ、この小説の中で僕には、よく分からない点がある。それは、このようにして倉田安蔵が、かつて「点消方」と呼ばれていた「点灯夫」の、言ってみれば、後継であり、末裔であるとすれば、この仕事は朝寝坊(......^^;)をしないように、どうやら既婚者であることを義務づけられていたようであるし、その服装も再度、榎恵の『ランプ』に従えば、もともと「ざんぎり、紺かんばん、赤シャツ〔、〕わらじ素足」とか、ひいては「ズボンに長目のコートみたいな制服に学帽みたいなものをかぶって」いたとか、いろいろ記されているが、いずれも不格好である。まあ、その次に述べられている「ハンテン〔半天〕に腹あて、細い〔、〕ももひき〔股引〕」に「地下(じか)タビ」姿であれば、この『瓦斯灯』の登場人物としては、僕は一番、似つかわしいように感じるけれども。

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